054 『弱小領主のダメ息子、一世一代の告白をする(2)』

 ベルは神妙な面持ちでヴィレッティ家の廊下を歩いていた。

 

 その表情はいつもの飄々とした様子とは正反対で、彼の心に渦巻いている感情を正確に推し量ることは出来ない。しかし、彼は足を止めず広い邸内を迷いなく進んでいく。

 

 やがて、ある一室の前にたどり着くとようやくベルは足を止めた。心を落ち着けるように深く呼吸をした後、コンコンと扉をノックした。

 

 しばしの後、ゆっくりと扉が開かれ褐色の肌を持った黒髪の美女が半分だけ顔を覗かせた。

 

「やあ、ヤンアル。気分は落ち着いたかい?」

「……うん。少し横になっていたら多少楽になった」

「そうか、良かった……!」

 

 ヤンアルの返事を聞いたベルはホッとしたような笑顔を見せ、すぐに照れくさそうな表情になった。

 

「……ヤンアル」

「ん?」

「その……キミの体調が大丈夫ならでいいんだけど、良かったら俺と少しアンヘリーノの街を散歩でもしないか……?」

「……散歩……」

「うん。良かったら、だけど」

「…………」

 

 ヤンアルは少し考えた後、バタンと扉を閉めてしまった。

 

「————ヤ、ヤンアル⁉︎」

 

 予想外の反応にベルが戸惑っていると、閉められた扉の奥からヤンアルの声が聞こえてきた。

 

「……一応、私も女なんだ。寝起きの姿で出歩くのは難しい。用意をするから少し待っていてくれないか」

「あ、ああ! ゴメン! そんなことにも気が回らないで!」

「全くだ、失格だぞ」

 

 言葉とは裏腹にヤンアルの口調が柔らかくなり、ベルは再びホッと一息ついた。

 

 

           ◇

 

 

 ————街路樹が立ち並ぶ通りを一組の男女が肩を並べて歩いている。

 

 銀髪の男性は青みがかったグレーのジャケットをゆったりめに着こなし、足元では薄ピンクの靴下のアクセントが効いている。

 

 黒髪の女性はツバの大きな帽子を被り、黒の上着に赤いチェックのロングスカートを合わせていた。

 

「————今日は珍しくスカートなんだね」

 

 タイミングを見計らっていたようにベルが言うと、ヤンアルは少し恥ずかしそうに答える。

 

「……うん。あまりヒラヒラしたのは好みではないんだが、ベルが買ってくれたものだからな。この帽子も」

「わざわざ着てくれてありがとう。でも、とても似合っているよ、そのスカート」

「……ありがとう。でも、あまりジロジロ見ないでくれ……」

 

 ヤンアルは視線を遮るように帽子を深く被り直した。その様子にベルは眼を細めた。

 

「さて、それでどこに行こうか?」

「え? 決めていないのか?」

 

 少し驚いたようにヤンアルが訊き返すと、ベルはコクリとうなずいた。

 

「うん、何も決めないで誘ってみた」

「ダメじゃないか。それではエスコートが出来ないぞ」

「自他共に認めるダメ息子だからね、俺は」

「ふふふ。偉そうに言うことじゃないな」

 

 ようやくヤンアルの顔から笑みが漏れ、ベルも一緒に微笑んでみせる。しかし、突然ヤンアルは笑顔を収めて背後へ顔を向けた。釣られてベルも振り返るが、視線の先には住民と観光客の姿が見えるばかりであった。

 

「急にどうしたんだい、ヤンアル?」

「……いや、気のせいだ。なんでもない」

「……?」

 

 ベルが小首を傾げると気を取り直したようにヤンアルが言う。

 

「ベルは行きたいところはないのか?」

「俺? 俺は州立図書館とかサン・エミリオ教会に行ってみたいけど、でも図書館は二人で行くところじゃないね」

「いいじゃないか、図書館。州立というからには蔵書量もかなりなものなんだろう。サン・エミリオ教会というのは有名なのか?」

「ああ、アンヘリーノという街の名前の由来となった天使像が有名だね。と言っても俺も観たことはないんだけど」

「ではそこに行ってみよう。他には観光名所はないのか?」

「あとは……そうだな、ラトレの泉かな。ここには少し面白い逸話があるんだ」

「どんな逸話なんだ?」

 

 興味を持ったヤンアルが身を乗り出して問いかけたが、ベルははぐらかすように笑った。

 

「それは行ってみてのお楽しみさ」

 

 

          ◇ ◇

 

 

 ————州立図書館の壮大さに圧倒された二人は遅めのランチを食べた後、サン・エミリオ教会で街のシンボルである天使像に祈りを捧げた。

 

 翼の生えた天使を眺めていたベルがうっとりとした様子で口を開いた。

 

「……美しいなあ、天使様……。良ければウチに連れ帰りたいくらいだ……」

「そんなに美しいのか?」

「……ああ、完璧なプロポーションに黄金比で構成されたご尊顔……それに、この身体を覆うほどの大きな翼————全てが美しいよ……!」

「……やはり、サンドラの息子だな……」

 

 ヤンアルの冷めた視線と口調に気が付いたベルは慌てて手を振った。

 

「————い、いや! 全然大したことないさ! キミの方が断然美しいよ! 顔だって翼だって————」

「……ふん。翼の話はしない方がいいんじゃないのか?」

 

 不機嫌そうに言うと、ヤンアルはきびすを返してスタスタと出口へと向かって行ってしまった。

 

「ま、待ってくれ! ヤンアル!」

「そっちの天使様とやらと散歩を続ければいいだろう」

 

 ヤンアルは振り返りもせずに斬って捨てた。ベルは大ダメージを負いながらもヤンアルを追いかける。

 

 

 ————ヤンアルの機嫌を損ねてしまったベルだったが、道端の屋台で買ったジェラートでなんとか許しを得ることが出来た。

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