052 『伝説の竜姫、パーティーに招待される(10)』

 カステリーニ家主催のパーティーは滞りなく進み、参加者たちはワインやカクテルを飲みながら顔見知りと談笑やカードゲームなどに興じていた。

 

 会場にはそれまで軽快なリズムの音楽が流れていたが、やがてスローテンポのそれに切り替わった。これを聴いた参加者たちが各々のパートナーと共に地続きのダンスホールへと足を運んでいく。

 

 ベルは残っていたカクテルを飲む干すと、次の料理を物色しているヤンアルへ手を差し出した。

 

「ヤンアル、行こう。練習の成果を見せる時だ」

「……うん、時は来た……!」

 

 ヤンアルは決意を秘めた瞳でベルの手をそっと握った。

 

 

            ◇

 

 

 ————ダンスホールでは数十のペアに混じって、バリアントとサンドラが踊っていた。

 

「……アレッサンドラ、今日は私の顔を立ててくれて感謝する」

「礼には及ばないわ。パーティーにパートナーがいないのが可哀想と思っただけよ」

 

 口ではそう言いながら、サンドラの表情は柔らかい。

 

「フフ、まるでレベイアのような————ん?」

 

 バリアントは突如周囲がざわつき始めたことに気が付いた。二人が踊りながら喧騒の出どころを探していると、無数の人波の中に一際輝いて見えるペアの姿が眼に入った。

 

 

 ————そこには真紅のシルクドレスを身に纏い、見る者の視線をあまねく惹きつける褐色の美女と、気品に満ちた瞳でパートナーを優しくリードする銀髪の貴公子の姿があった。

 

 

 褐色の美女に銀髪の貴公子————この一見相反するような好一対ペア見惚みとれた他の参加者たちが次々と足を止め始める。

 

(……おお、これは絵になる美男美女だな。あれはどちらの御子息かね?)

(確か、トリアーナのガレリオ卿の御子息です)

(あのパートナーの淑女レディーは? 独特の雰囲気だが……)

(顔立ちからすると東洋系のようだけど素敵ね……!)

(あの褐色の肌は、少し前に噂になった『伝説の騎士』では?)

(けれど、背中に翼など見当たりませんわ)

(目撃したという者はワインを飲み過ぎていたのではないかね?)

 

 周囲のペアたちがダンスをめてざわめく中、ベルとヤンアルはそれらが眼や耳に入っていないかの如く優雅に踊り続ける。まるで、世界が自分たち二人だけになったかのように。

 

 周りのペアたちと同様にベルとヤンアルに眼を奪われていたサンドラが不意にうつむいた。

 

「どうした? アレッサンドラ」

「……いえ、私としたことが不覚にも二人を羨ましいと思ってしまったの……」

「…………」

 

 そう話すサンドラの瞳には光るものがあった。バリアントは胸のポケットチーフを取り出し妻の涙を優しく拭う。

 

「そうだな……。しかし、私はまだ遅くはないと思うんだが、キミはどうかな……?」

「…………そうね、まだ遅くないかも……ね」

 

 サンドラが優しげに微笑んだと同時に音楽が終わり、ベルとヤンアルもフィニッシュを迎えた。次の瞬間にはダンスホールに万雷の拍手が鳴り響き、我に返った二人は驚きの表情を浮かべる。

 

「ベル……、これはいったい……?」

「さ、さあ……、なんなんだろうね……?」

 

 二人が周りの反応に戸惑っていると、ベルの肩がポンと叩かれた。

 

「————ガレリオ卿の御子息ですな⁉︎ 素晴らしいダンスを見せていただきましたぞ!」

「は、はあ……どうも、ありがとうございます」

 

 名も知らぬ領主に突然褒められたベルはワケも分からずとりあえず頭を下げた。すると次は反対側の肩を掴まれ、別の領主に声を掛けられる。

 

「眼を奪われるとは正にこのこと! 久しぶりに良いものを見させていただきましたぞ!」

「い、いえ。お目汚し失礼致しました」

「またまたご謙遜を! ところでこちらのお美しい淑女レディーは婚約者ですかな⁉︎」

「え……?」

 

 男は期待の眼差しでヤンアルとベルを交互に見遣った。周囲の人間も同様の反応である。

 

 ベルは促されるようにヤンアルへ顔を向けた。

 

 今夜のヤンアルは濡羽色の髪を結い上げており、ドレスと同色の口紅が大層眼を引く。普段とは異なるその装いにベルはぼうっとなった。

 

 ヤンアルの漆黒の瞳が銀髪の男を真っ直ぐに見つめる。それは男からの言葉を待っているかのようであった。

 

「————彼女は……私の…………大切な友人です」

 

 それを聞いた参加者は皆一様に溜め息を漏らした。バリアントは苦笑いで首を振り、サンドラは息子のヘタレぶりに舌打ちをする始末。

 

 そして、ヤンアルはガッカリしたようなホッとしたような、なんとも言えない微妙な表情を浮かべている。

 

「ヤ、ヤンアル————」

「————いや、素晴らしい!」

 

 ベルがヤンアルに声を掛けようとした時、わざとらしい拍手の音と共に軽薄そうな金髪の男が割り込んできた。

 

「ベル! とても素晴らしいダンスでしたね! 主催として御礼を申し上げます!」

「……ジャン、どうも……」

 

 この金髪の男はもちろんカステリーニ家の長男・ジャンことジャンマルコである。ジャンはベルへの賛辞はそこそこにヤンアルへ手を差し出した。

 

「————シニョリーナ。よろしければ次はこの私と一曲踊っていただけませんか……?」

「おま……貴方あなたと……?」

 

 ジャンの突然の誘いに困惑したヤンアルは伺いを立てるようにベルへ顔を向けた。

 

「……ジャン、彼女は私のパートナーで————」

「————おや? 婚約者ではないのならば何も問題はないのでは?」

「…………ッ」

 

 ジャンの言葉にベルは歯噛みしてうなずくことしか出来ない。そんなベルの様子を見たヤンアルは無表情でジャンの手を取った。

 

「ご心配なく。私がしっかりリードして差し上げますよ、ヤンアルさん……」

「…………」

 

 ジャンは右の口角だけを器用に歪ませた。

 

 

 ————二曲目はチークダンスであり、これは一曲目のものよりスローテンポでペアの身体が密着する。ジャンはヤンアルへ顔を近づけ耳元でささやいた。

 

「……キミは本当に美しいね」

「……そうでしょうか」

「特にこの漆黒の髪と瞳が良い。こちらではあまり見ないからね」

「……どうも…………ッ」

 

 ヤンアルの腰に添えられていたジャンの手が蠢き始める。

 

「————それに、この褐色の肌……まるでトパーズのようだ……!」

「…………!」

 

 ドレスの開いた背中からジャンの指がスルスルと差し込まれヤンアルは顔色を変えた。その細く長い指は毒蜘蛛のような挙動で乙女の柔肌を下へ下へと向かっていく。ダンスホールの端でそれを見ていたベルが拳を握った。

 

(……あの野郎……! よくもヤンアルを……‼︎)

 

 ベルが飛び掛からんとばかりに足を踏み出した時、後ろから何者かに肩を掴まれた。

 

(————ミキ! 止めるな、離せ!)

(いけません……! もしこの場で殴ろうものならベルティカ様のみならず、旦那様や奥様、レベイア様にも累が及びます……‼︎)

(————くっ‼︎)

 

 ミキの言葉に諭されたベルは苦渋の表情でゆっくりと拳を下ろした。

 

 端っこのほうでそんな葛藤が巻き起こっているとはつゆ知らず、ジャンはささやきをやめない。

 

「————ねえ。俺、キミが気に入ったよ。いくらであのボンクラに買われたんだい?」

「……買われた……?」

「どうせ何処どこかの移民がカネで買われたんだろう? なあ、奴の三倍————いや、五倍は払うよ。移民のキミには充分すぎる額だろう?」

「…………」

 

 あまりに下衆げすな申し出に怒り狂うかと思われたヤンアルだったが、意外にも妖艶な笑みを浮かべ、細くしなやかな指をジャンの胸元へそっと添えた。

 

「……フフ、交渉成立かな————ッ!」

 

 次の瞬間、ジャンは全身をビクッと硬直させてその場に崩れ落ちた。

 

「————キャアッ! カステリーニ様、どうなさいましたの⁉︎」

 

 ヤンアルの悲鳴を聞いた参加者たちが踊るのをやめて倒れ込むジャンの元へ駆けつけた。

 

「————ジャン! ジャン、大丈夫か⁉︎」

 

 ジャンの父・ロベルトが息子の肩を揺するが、ジャンは下卑た笑みを貼り付けたまま白目を剥いて失神しているようであった。ロベルトはヤンアルへ怒りの形相を向けた。

 

「この移民女が! お前が息子に何かしたんだな⁉︎」

「い、いえ、カステリーニ卿。私は近くで踊っていましたが、このお嬢さんは特に怪しい動きはしていませんでした……」

「私も」

「私もだ」

「私には急にジャン殿が意識を失ったように見えました。カステリーニ卿、早く医師に診せた方がよろしいのでは……?」

 

 先ほどのベルとのダンスでヤンアルに好感を持っていた者たちが続々に擁護の声を上げた。

 

「……も、申し訳ない……。息子が心配で思ってもない言葉が口をついて出てしまったようです。我々はこれで失礼いたしますが、皆様方は最後までパーティーをお楽しみください」

 

 ロベルトは使用人に担がれたジャンと共にそそくさと会場を後にした。

 

 いまだ会場のザワつきが収まらない中、ベルがヤンアルへ声を掛ける。

 

「————ヤンアル! 大丈夫かい⁉︎」

「ああ、ベル。私は大丈夫だ。問題ない」

 

 ヤンアルの返事にホッとしたベルだったが、すぐに暗い表情になった。

 

「……すまない、結局俺は何も出来なかった……!」

「大丈夫だと言っただろう。私はそこらの男よりも強いからな」

 

 笑みを浮かべたヤンアルは二本指で首を掻っ切るポーズを見せた。

 

(————あっ! まさか『技』を使って……⁉︎)

(さあ……? どうかな……?)

 

 今まで見せていたものとは違うヤンアルの妖艶な笑みに、ベルは背筋に寒いものを感じた。

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