047 『伝説の竜姫、パーティーに招待される(5)』

 ベルたちがアンヘリーノに到着した翌日からヤンアルのダンス特訓が始まった。

 

 ヴィレッティ家のダンスホールではサンドラの手拍子と檄が乱れ飛んでいた。

 

「————ヤンアル! 脚の位置が違うわ! さっきも同じことを指摘したわよ!」

「す、すまない、サンドラ……!」

「今は『先生マエストラ』と呼びなさい!」

「は、はい! マエストラ!」

 

 ダンスの鬼と化したサンドラの迫力にヤンアルの背筋がピンと張った。

 

「……母上。そのように威圧するような言い方をされますと、ヤンアルが萎縮してますます上達が遅れてしまいますよ……」

 

 この状況を見かねたダンスパートナーのベルが助け舟を出したところ、

 

「……ベルティカ。何を余裕ぶっているの……⁉︎」

「————はい?」

 

 サンドラの矛先が息子へと移り変わった。

 

「数年ぶりに見てみたら、あなたの勘も鈍っているじゃないの!」

「えっ、え⁉︎」

「幼い頃から恥をかかないようダンスだけは徹底的に仕込んであげたのに……! あなたがしっかりリード出来ていないから、ヤンアルが安心してついていけないのよ!」

「ええっ⁉︎」

 

 サンドラに指を突きつけられたベルが驚きの声を上げた。

 

「……丁度いいわ。この機会にあなたも徹底的に鍛え直してあげます!」

「い、いえ……私は結構です、母上……そのうちに勘を取り戻しますので……」

「何を悠長なことを言っているの。パーティーは四日後なのですよ⁉︎ これからパーティーまでは食事と水分補給とトイレとお風呂と睡眠以外はここで特訓ですから覚悟なさい!」

「えええっ⁉︎」

 

 パーティーまで軟禁状態と聞いたベルは思わずヤンアルへ視線を向けた。

 

「ヤ、ヤンアル……キミも一緒に母上を説得してくれ……!」

「ベル。絶対にパーティーまでにダンスを体得してみせるから、ベルも特訓に付き合ってくれ……!」

「…………!」

 

 そう話すヤンアルの眼の色も変わっていた。この二人の女の情熱の炎を消すことは出来ないと判断したベルは思い出したように腹を押さえた。

 

「————うっ、は……腹が急に……!」

 

 言いながらベルが退出しようとするとサンドラがパチンと指を鳴らした。部屋の隅に控えていたファビオが音も無く忍び寄り、ベルの首根っこを捕まえる。

 

「は、離せ! ファビオ! 本当に腹が痛いんだ!」

「…………」

 

 しかしファビオは無言でベルの脈を取り瞳を覗き込むと、仮病とばかりに首を横に振った。ファビオの報告を確認したサンドラが再び手拍子を始める。

 

「————さあ、特訓の続きよ! ヤンアル! ベルティカ!」

「はい! マエストラ!」

「ううっ……、今度は頭痛が————」

 

 

            ◇

 

 

 ————ヴィレッティ家の浴場では死んだように湯船に浸かるベルと、その隣で心配そうな眼差しを送るミキの姿があった。

 

「大丈夫か……? ベル」

「…………だいじょばない」

 

 サンドラのスパルタ式特訓によって、哀れにもベルの言語バランスはゲシュタルト崩壊を起こしてしまっていた。

 

「……子供の頃から、いやにダンスだけは厳しいと思っていたが、母上の情熱があれほどだったとは……見誤った」

「出来ることなら代わってやりたいが、招待されているのはお前とヤンアルだしな……」

「……そう言ってくれるだけでありがたいよ」

 

 ようやく頭が回ってきた様子のベルへミキが質問する。

 

「それでヤンアルの調子はどうなんだ?」

「うん……やっぱり武術家だけあって身体の柔軟性やバランスとかは素晴らしいんだが、リズムを取ることが絶望的にセンスが無い」

「あれだけの身体能力ならすぐになんとかなると思ってたんだがな」

「……もしかすると、ヤンアルは娯楽とは無縁の日常を送っていたのかも知れないな」

「どういうことだ?」

 

 ミキに尋ねられたベルは天井に視線を向け、しばしして口を開いた。

 

「そのままだよ。誰だって音楽やダンスには多少なりとも触れて成長するだろう?」

「確かにな……つまり、ヤンアルが育った環境はそういう素養が育まれるものではなかったってことか?」

「あくまで俺の想像だけどな。武術の型?っていうのか、そういうのを覚えるのは得意そうだけど、歌やダンスがからっきしっていうのはそれが理由なんじゃないかと思ったんだ」

「…………」

「————ところで……」

 

 ベルは言葉を切って隣のミキへ向き直った。

 

「俺とヤンアルが地獄を見ている間にお前らは何をしていたんだ?」

「俺だって遊んでたわけじゃないぞ。ヤンアルに課されたメニューを消化したり、この家の使用人に普段どういった仕事をしているのか訊いたりだな」

「……本当に真面目だな、お前は。レベイアとカレンは?」

「レベイア様はカレンと一緒に街へ買い物に行かれていたな」

「くっ、レベイアのヤツ……再会した時はあんなに俺にベタベタしてたのに……!」

「まあ、そう言うなよ。お前とカレンは別腹ってことだろう————」

 

 若干落ち込むベルをミキが慰めた時、突然浴場の扉が開かれた。

 

「————ヤ、ヤンアル⁉︎」

 

 なんと、そこには一糸纏わぬ姿のヤンアルが立っていた。

 

「お、おい、何をやってるんだ⁉︎ 今は俺たちが入る時間だぞ⁉︎」

「コラ、ミキ! 余計なことを言うな————じゃない! お前は見るんじゃない!」

 

 ベルはミキの眼を塞いで自分だけヤンアルの肢体を拝もうとするが、当のヤンアルはブツブツとなにやらつぶやきながらダンスのおさらいを始めた。

 

(……まさか、おさらいに意識を集中しすぎて俺たちに気付いてないのか? それは好都合————いやいや! ヤンアルの純真さにつけ込むのは紳士のすることじゃないぞ、ベルティカ!)

 

 ベルは欲情した心を払うためブンブンと頭を振ると、ミキの眼を塞ぎながら自らも眼をつむってみせた。

 

「……ヤンアル。集中しているところ申し訳ないが、今は俺たち男が入る時間————」

「————ヤンアル、待ちなさい! 今はお兄様たちが……」

 

 その時、ヤンアルを止めようとレベイアとカレンが相次いで浴場へなだれ込んで来た。浴場の中で起きている光景を眼にした二人の表情が一瞬で凍りついた。

 

『あっ、いや、どちらかと言うと俺たちは覗かれた方で……』

 

 見事にハモって弁明するベルとミキに対し、レベイアとカレンが同時に怒声を上げる。

 

「……何をなさっているのです、お兄様‼︎」

「……何をやっているの、ミケーレ‼︎」

『誤解だーーーーッ‼︎』

 

 ベルとミキがまたもやハモってみせたが、ヤンアルはなおも気付かぬ様子で独りごちる。

 

「……ここはこうして、次は脚をこの位置に…………」

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