048 『伝説の竜姫、パーティーに招待される(6)』
————翌日、朝食を終えたベルがダンスホールに着くとすでにヤンアルが来て踊っているのが見えた。
「ヤンア————」
声を掛けようとしたベルだったが、ヤンアルの動きが今まで練習していたものと違うことに気付き、引き寄せられるように眼で追った。
ヤンアルはゆったりとした動きで腕を突き出したり、円を描くように振ってみせたりしている。その腕がなんとも言えずなめらかな動きで、まるで左右の腕が別々の意思を持ってダンスしているかのようである。やがてその動きは上半身から下半身へと伝達され、脚を交差させながら
そのままヤンアルはひたすら踊り続けていたが、脚を止め両腕をゆっくりと前方に突き出したところでようやく不思議な動きを収めた。
「————ふう……」
ヤンアルが息をついたところに、背後から鳴った大きな拍手の音がダンスホールに響いた。
「————素晴らしい! なんて美しい動きなんだ!」
「ベル、居たのか。集中しすぎて気付かなかった」
「ヤンアル、今のダンスはなんなんだい⁉︎ あんななめらかな動き初めて見たよ!」
「あ、ああ、今のはダンスではない。太極拳という武術の
「タイキョクケン? トーロ?」
聞き慣れない単語にベルが首をひねると、ヤンアルは微笑を浮かべる。
「套路とは……そうだな、平たく言えば武術の練習方法の一つだ。連続的な動きの中に攻撃や防御、歩法、呼吸法、氣の運用法などが盛り込まれている」
「へえ、踊っているだけで強くなれるなら俺も教えてもらおうかな」
「
ベルののほほんとした言葉に、珍しくヤンアルの口調が強くなった。
「す、すまない、ヤンアル。気を悪くしたなら謝るよ……」
「いや……、私も食ってかかるような言い方をしてしまった。すまない、ベル」
「いやいや、謝るのは俺の方だよ。ところで、なんでその……タイキョクケンという武術を急に? なんとなくだけど、キミの普段使っている技とは違う系統のように見えたんだが……」
ベルに指摘されたヤンアルは感心するようにうなずいた。
「鋭いな、ベル。確かに私の門派の技はどちらかと言うと直線的で
「だったら、どうして?」
「うん。昨日一日踊っていて気付いたんだが、私の身体に染み付いた直線的な動きが、いま練習しているダンスに合っていないと思ってな。あまり得意ではないが太極拳の動きを取り入れて、凝り固まった身体をほぐそうと考えたんだ」
「なるほどね。でも、得意じゃないなんて信じられないよ。さっきのヤンアルの動きは本当になめらかで美しかった!」
「……ありがとう」
ベルに褒められたヤンアルが再び微笑んだ時、ダンスホールの扉が勢い良く開かれた。勿論入って来たのは昨日と同じ
「二人とも揃っているわね。さあ、昨日の続きよ!」
◇
————ベルとヤンアルは一曲分のダンスを踊り終えた。昨日の練習開始を通じてサンドラに途中で止められなかったのは初めてのことである。
ベルは期待の眼差しをマエストラに向けたが、予想に反してサンドラは口元に手を当てて何か難しい顔をしている。
「あの……、母上……?」
「————ヤンアル」
「はい」
「いったいどんな
『————‼︎』
この最高の褒め言葉にヤンアルは拳と掌を合わせて頭を下げた。
「ありがとうございます、マエストラ!」
「母上。ヤンアルはタイキョクケンの動きを取り入れたんです」
「……タイキョクケン?」
何故か自分の手柄のように話すベルにサンドラが首を傾げる。
先ほど自分が受けた説明をベルが得意げに話すとサンドラは納得し難いというような表情を浮かべていたが、ヤンアルが太極拳の套路をやって見せると、息子と全く同じ反応を見せた。
「…………なんて美しいの……」
初めてヤンアルの翼を見た時のように、サンドラはうっとりとした目つきになった。またしても寒気を感じたヤンアルはサッとベルの背中に逃げ込んだ。
「母上。————母上! 正気に戻ってください!」
ベルの声にサンドラはハッとした様子でゴホンと咳をついた。
「……んん、失礼。確かにヤンアルのダンスは劇的に向上したけれど、まだ一つ足りないものがあるわ」
「足りないもの?」
しかし、サンドラはそれには答えず隅に控えていたファビオを近くに呼び寄せると、小声で何やら言付けた。ファビオは無言でうなずいて、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「あの、母上……、いったい何を……?」
「…………」
なおもサンドラが無言を貫いた時、扉が開いて男が一人入って来た。
「————父上! どうしてこちらに?」
「ああ、うむ……」
「私が呼んだのです」
バリアントが答える前にサンドラが返事をした。話が見えない様子のベルとヤンアルへサンドラは言葉を続ける。
「————ヤンアル。今から
サンドラはそう言うと、部屋の中央へ進み出た。そこにはバリアントが待っており、長年離れ離れになっていたパートナーをデートに誘うように手を伸ばす。サンドラは微笑を浮かべてその手を取った。
————バリアントとサンドラは五年も離れて暮らしているとは思えぬほど息があったように優雅に舞った。
それはまさに以心伝心という言葉がピッタリと当て嵌まるもので、バリアントとサンドラの身体がまるで一つになったのかと錯覚させられるほどであった。
やがて二人は踊り終え、繋がれていた手が再び離された。サンドラは少し照れ臭そうに口を開く。
「……よく覚えていたわね、あなた」
「ああ、忘れるわけないさ。お前と初めて会った時に踊ったダンスだからな」
「…………ふん……、そうだったかしらね……?」
サンドラはプイッと顔を逸らして、放心状態のヤンアルへ向き直った。
「どう? ヤンアル。参考になったかしら?」
「……はい。私は自分のことで精一杯になっていて、パートナーを信頼する気持ちが足りなかった。私はベルと一緒に踊っているようで実際は一人で踊っていただけだった。時には相手を引っ張り、時には相手に全てを委ねる————その心の持ち様がなかった……」
ヤンアルの返事を聞いたサンドラは答える代わりにとびきりの笑顔を見せて背を向けた。
「マエストラ……?」
「そこまで分かったなら、もう私の指導は必要ないでしょう。あとは
「————はい! ご指導ありがとうございました! マエストラ!」
サンドラの言葉に涙を浮かべたヤンアルはひざまずいて床にゴツンと額を打ち付けた。サンドラは振り返らずに手を振ってダンスホールを後にする。
その様子を眺めていたベルがバリアントに問い掛ける。
「……父上、何か当初と話が違ってきていませんか……?」
「…………」
バリアントの長い沈黙が全てを物語っていた。
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