045 『伝説の竜姫、パーティーに招待される(3)』

 ————翌朝、州都・アンヘリーノへと続く街道にはガレリオ家の馬車の姿があった。

 

 御者席には精悍な顔付きの赤毛の青年と、涼やかな眼元に上空の青空と同じ色の髪が印象的な美女が座っていた。赤毛の青年が慣れた様子で二頭の馬を御していると、背後の小窓から若者の声が届く。

 

「————ミケーレ、大丈夫か? 道行きに問題はないか?」

「ええ、ベルティカ様。順調ですよ。ダイアウルフはおろか、ゴブリン一匹現れません」

「そうか、何かあったらすぐに報告してくれよ。なんたって今日はVIPがご一緒なんだからな」

「よしなさい、ベルティカ」

 

 キャビンに座ったベルが息巻くように申し付けると、向かいの席からバリトンボイスの男がたしなめた。

 

「ミケーレ、いい乗り心地だ。馬車を操るのが上手くなったな。何も気負わず、この調子で頼むぞ」

「お褒めいただき光栄です、旦那様!」

「ご安心ください、旦那様。ミケーレが運転に集中できるよう私が周囲を警戒しております」

「うむ。カレンもよろしく頼む」

 

 ミキとカレンの返事にバリアントがうなずいた時、ベルの隣の席から『クウ』という可愛らしい擬音が聞こえた。

 

「おいおい、さっき朝食を食べたばかりじゃないか。ヤンアル」

「今朝はミキに付き合って早起きだったんだ。それに鍛錬をするといつもより腹が減るものだ。きっとミキも同じ気持ちだぞ」

 

 苦笑したベルに指摘されたヤンアルは幾分か口を尖らせて弁解した。その様子を聞いたミキが御者席から慌てて声を上げる。

 

「い、いえ、私は大丈夫ですから!」

「ほら、ミケーレもああ言ってるし、昼になったらカレンの作ってくれたサンドイッチがあるからそれまで我慢しよう。な?」

「……了解した」

 

 返事はしたもののヤンアルは叱られた子供のようにシュンとうつむいた。その様子を見たバリアントが懐に手を差し入れる。

 

「ヤンアル、これをあげよう」

「……?」

 

 差し出したヤンアルの手のひらに小さな包みがそっと乗せられた。

 

「これは……飴か?」

「うむ。これで少しは腹の足しになればいいのだが」

「ありがとう、バリアント」

 

 礼を言ったヤンアルは早速包みを開いてキャンディを口の中に放り込んだ。

 

「————うん、美味い! こんな美味い飴を食べたのは初めてだ!」

 

 なんの変哲もないキャンディを美味しそうに舐めるヤンアルにバリアントは眼を細める。

 

「……フフ。小さい頃のレベイアを思い出しますね、父上」

「ああ。私も同じことを思っていた」

「レベイアを思い出す……? どういうことだ?」

 

 不思議そうに首をひねるヤンアルへベルが顔を向けた。

 

「いや、レベイアがもっと幼かった頃にね、駄々をこねたりした時なんかによく父上が今みたいに飴玉をあげてたんだ。飴玉を口に含んだレベイアは誰かさんみたいにすぐ機嫌を直したものさ」

「……む、私は駄々をこねたりはしていないぞ」

「ん? 俺は別にキミのこととは言ってないが?」

「むー……」

 

 意地悪な笑みを浮かべるベルにヤンアルはハッキリと口を尖らせた。

 

「ごめん、ごめん。でも楽しみだな。久しぶりにレベイアに会えるのが」

「え?」

「あれ? 言ってなかったっけ? アンヘリーノに滞在中は母上のご実家に世話になるんだよ」

「……そうか、サンドラの家は州都にあるんだったな! ということはレベイアにも会えるんだな!」

 

 少し興奮した様子でヤンアルが笑顔を見せると同時に馬がいななき、馬車が急に止まった。

 

「————どうした、ミケーレ? 何かあったのか⁉︎」

「ベルティカ様! 外に出てはなりません!」

 

 ベルの声にミキが反応し、次いでカレンが状況を説明する。

 

「————『ボボ』です。数は二頭。すぐに処理いたしますので、少々お待ちを」

「な、なんだ……ボボか。驚かせるなよ……」

「ベル、ボボとはなんだ?」

 

 初めて耳にした単語にヤンアルは疑問を口にする。

 

「ああ、ボボっていうのはイノシシに似た魔物さ。鋭い牙を使った突進には要注意だけど、ミケーレとカレンだったら全く問題ない相手だ。大人しく座って待っていよう」

野猪イノシシ……」

 

 イノシシと聞いたヤンアルの眼の色がにわかに変わり、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……ヤンアル?」

「…………」

 

 しかし、ヤンアルは何も答えずに扉に手を掛ける。

 

「ヤンアル、キミが出るまでもないさ。ミケーレとカレンに任せて————」

「————すまない、ベル。私は野猪イノシシが大好物なんだ……‼︎」

「は?」

 

 ベルが訊き返した時にはヤンアルの姿はすでになく、次の瞬間にはボボたちの悲痛な断末魔が街道に響き渡った。

 

 

          ◇

 

 

 ————遠くの方で正午の鐘の音が鳴る頃、街道の脇に停めた馬車の陰ではパチパチと焚き火の音がぜ、脂の焼ける香ばしい匂いが漂っていた。

 

「————いやあ、カレンのサンドイッチにこの肉を挟むとまた格別だな」

 

 口いっぱいに頬張ったサンドイッチとボボの肉を飲み込んだヤンアルが満足そうに言った。

 

「な、なんか悪いね。俺たちまでご相伴しょうばんにあずかって」

「何を言う。さすがに私でもあんな大きなボボ二頭は一人では片付けられない。さあ、みんな遠慮なく食べてくれ」

 

 機嫌良さげにヤンアルが言うと、ベルとミキが豪快にかぶりついた。

 

「うん、美味い! さすが高級リストランテに卸されるボボの肉だ。なあ、ミケーレ?」

「ええ、この脂がたまりませんね!」

 

 ベルとミキは次々とボボの肉を口にするが、カレンは手を伸ばそうとしない。ヤンアルは不思議そうに問いかける。

 

「カレン、どうした? 食べないのか?」

「ごめんなさい、ヤンアル。私、動物のお肉が苦手で……魚は平気なんだけど」

 

 そう言ってカレンは野菜と卵のサンドイッチを口に運んだ。

 

「そうなのか、それは勿体ないな……バリアントはどうだ?」

「いただいているよ。歳を取ったせいか昔ほど肉が食べられなくなってきたが、確かにボボの肉は美味いな」

「父上、母上とレベイアにいい土産が出来ましたね!」

「ああ、そうだな。この素晴らしいかてを運んでくれたボボと我らがあかい女神に今一度、感謝の祈りを捧げよう」

 

 洒落シャレの効いたバリアントの言葉に、一堂の口からはドッと笑みがこぼれた。

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