042 『弱小領主のダメ息子、使用人の恋路を応援する(2)』

 マッシモ爺さんの口から『伝説の竜姫』という言葉が飛び出すと、ベルは眼を丸くして尋ねた。

 

「……マッシモ爺さん、どこでその言葉を……⁉︎」

「これにデカデカと書いてあったぞい!」

 

 そう言うとマッシモ爺さんは懐からあるものを取り出した。それ・・を眼にしたベルの顔が驚愕の色に染まった。

 

「————『ロセリアに伝わる伝説の竜姫、カディナの地に降臨か……⁉︎』……‼︎」

 

 マッシモ爺さんの取り出した新聞に書かれている見出しをベルは思わず口にした。

 

(しまった……! 母上とレベイアの件があって手を打つのを忘れていた。地方紙どころじゃない。全国紙のガラテーア支社の発行している新聞に掲載されたとなると、これはもう揉み消すとかいうレベルを超えてしまっている……‼︎)

 

 青い顔で続けて記事に眼を通すと、書かれている内容はカディナの地方紙とさほど変わらないものではあったが、ご丁寧にあの日のヤンアルの服装が図解されていた。ベルは慌てて図解とヤンアルを見比べる。タイミングが悪いことに今日ヤンアルが着ている服は、カディナに行った時と全く同じコーディネートだった。

 

(……そうか、住民たちがこっちをチラチラと見ていたのは領主の息子オレじゃなくて、伝説の竜姫ヤンアルだったってことか……! 俺はなんてマヌケなんだ。少しくらい事件を解決したからって自惚れていたんじゃないのか⁉︎ いや、それにしたってヤンアルとミキの力に頼っていたんじゃないか————)

 

 自分の馬鹿さ加減を振り払うようにベルはブンブンと頭を振った。

 

(————落ち着け! 今はそんなことどうでもいい! 大衆の面前でヤンアルが翼を見せるでもしない限り証拠なんてないんだ。人の噂なんていずれ忘れ去られるもの、それまで何を訊かれても知らぬ存ぜぬで通すまでだ!)

「ベル……、大丈夫か……?」

 

 心配そうな声にハッとすると、ヤンアルがこちらを一心に見つめる姿が眼に入った。

 

「————大丈夫。心配ないよ、ヤンアル」

 

 いて笑顔を見せたベルはマッシモ爺さんに向き直り、新聞を返した。

 

「ロセリアの全国紙だっていうのにこの新聞社もヤキが回ったな。いつからこんな三流ゴシップ誌みたいになったんだい?」

「じゃ、じゃが……」

「こんな記事、でっち上げさ。彼女はウチの新しいメイドだよ、マッシモ爺さん。それじゃ俺たちは急ぎの用があるので、これで失敬するよ」

 

 有無を言わせぬようにまくし立てるとベルはヤンアルの手を引いてマッシモ爺さんと別れた。

 

 

               ◇

 

 

 人気ひとけのない裏路地に入るとベルはようやくヤンアルの手を離した。

 

「ヤンアル、すまないがここで少し待っていてくれ。すぐに戻る」

「う、うん。分かった」

 

 いつになく真剣な表情のベルにヤンアルは何も訊かずにうなずいた。

 

 

 ————数分後、ベルが何かを持って帰って来た。

 

「ヤンアル、キミにもプレゼントだよ。良かったら身に付けてくれないか?」

 

 それはツバの大きな帽子とショールとサングラスであった。この辺りでは目立つ黒髪と黒眼を隠すだけでもかなり効果的であると考えたのだ。ヤンアルが素直に着用するとデザイン的にもいい具合に見える。

 

「うん、似合っているよ。日射しを避けるにもちょうどいい」

「……ありがとう、ベル」

「どういたしまして。さあ、カレンのプレゼントを買いに行こう」

 

 

             ◇ ◇

 

 

 ————プレゼントのカップを持って二人がガレリオ家に帰って来ると、正門のところでガスパールが数人の人間と何やら揉めているのが見えた。遠目から様子を窺うにどうやらまたも記者のようであった。

 

(……今度は全国紙の記者が乗り込んで来たか。ちょうどいい機会だ。キッパリ否定して噂に終止符を打ってやる)

 

 ベルはヤンアルに向き直って頭を下げた。

 

「ヤンアル。淑女レディにはしたないマネをさせて申し訳ないが、あの記者たちに見つからないように塀を跳び越えてやしきに入ってもらえないだろうか? 裏口にも張っている可能性があるんだ」

「分かった」

 

 ヤンアルが裏手へと向かって行くのを見届けたベルは揚々とした様子でガスパールに声をかける。

 

「ガスパール、いま帰ったよ。ん? こちらの方々は?」

「ベルティカ様。新聞社の記者だそうです」

(……やっぱりそうか)

 

 ベルの姿を眼にした記者たちがメモとペンを手に一斉に囲い込む。

 

「————ベルティカ様! 先ほど東洋風の女性を連れ立っておられたそうですが、その女性はいまどちらに⁉︎」

「————その女性の背中からあかい翼が生えていたとの目撃情報があったのですが本当ですか⁉︎」

「————単刀直入にお伺いしますが、その女性は『伝説の竜姫』で間違いありませんか⁉︎」

 

 予想しうる質問を一通り聞いたベルは、記者たちの声が途切れたところで両手を上げた。

 

「……落ち着いてください、記者の方々。まず最初に言わせていただくが、その東洋風の女性とはガレリオ家が雇ったメイドです。プライバシーの観点から名前などの情報はご容赦を」

「————それでは『伝説の竜姫』ではないと⁉︎」

「当然でしょう。人間の背中から翼が生えるだなんて有り得ない。権威ある全国紙の記者の方々があのようなお伽話とぎばなしを真に受けているとは、なんとも…………」

 

 ベルは言葉を途切って含み笑いを浮かべる。

 

「……し、しかし、カディナで目撃情報が……!」

「それは信頼に足る人物の証言ですか?」

「目撃者の情報は明かせません」

「そうですか。それでは私もこれ以上お話しすることはありません。仕事がありますので、どうかお引き取りを」

「————お待ちください、ベルティカ様!」

 

 記者たちが呼び止めるが、ベルは振り返らずに門をくぐっていった。

 

 追いかけて来たガスパールがベルに声をかける。

 

「お見事な対応でございました。ベルティカ様」

「見事なもんか。初期対応を誤ったから、ああ言うしかなかっただけだよ」

 

 そう言うとベルは足を止めて振り返った。

 

「ガスパール。全使用人にヤンアルのことは一切口外無用と改めて徹底させてくれないか」

「————かしこまりました」

 

 ガスパールが礼をすると、ヤンアルが慌てた様子で駆け寄って来た。

 

「ベル!」

「どうしたんだい、ヤンアル?」

「とにかくこっちに来てくれ!」

「え? え?」

 

 今度はベルがヤンアルに引っ張られる形で中庭へと向かっていった。

 

「いったいどうしたん……————ッ!」

 

 ベルの眼に飛び込んで来たもの————それは、中庭で剣を片手に斬り合うミキとカレンの姿であった。

 

「……な、何をやっているんだ二人とも……⁉︎」

「分からない。私が見た時にはすでにこの状態だった」

「ま、まさか、ついにミキの唐変木ぶりに我慢ならなくなったカレンが……⁉︎」

「————ご安心ください、ベルティカ様。ヤンアル」

 

 二人が血相を変える中、ガスパールは微笑ほほえましいといった様子でミキとカレンの決闘を眺めている。

 

「ガスパール! 何を呑気にしているんだ! 早く二人を止めろ!」

「止める必要などございません。二人はトレーニングをしているだけですから」

「————は?」

 

 ガスパールの言葉を聞いたベルは再び二人の方へ向き直った。そう言われて見てみれば確かに本気の斬り合いというわけではなさそうである。

 

 ヤンアルが申し訳なさそうに口を開いた。

 

「……すまない、ベル。落ち着いて見れば二人の闘氣はまがい物だった……」

「で、でも、何で急にトレーニングなんか……?」

「元気のないカレンを励まそうとミケーレが言い出したのです」

「ミケーレが……?」

 

 ベルがつぶやいた時、剣を振りながらミキが声を張り上げる。

 

「————どうだ、カレン! モヤモヤする時は身体を動かすに限るだろ⁉︎」

「……別に。ただ最近、運動不足だったと思っただけよ」

 

 カレンは冷静にミキの斬撃を躱しながら反撃していく。

 

「————おっと! さすがカレンだ! 今のは危なかった!」

「トレーニング中に喋ると舌を噛むわよ」

 

 そんな二人の様子を見たベルは呆れ顔で額に手を当てた。

 

「……ミキの奴、励ますにしてももっとやり方ってものがあるだろ……」

「そうでもないぞ、ベル」

「え?」

「見ろ」

 

 ヤンアルが指差した先には、うっすらと笑みを浮かべてレイピアを振るうカレンの美しい姿があった。

 

 ベルは何かを悟ったように眼を細める。

 

「……カレンのあんな表情かお、見たことがなかったよ」

「私たちが余計な気を回す必要もなかったようだな」

「ああ、そうだね」

 

 ガレリオ家の中庭には心地よい剣撃の音がいつまでも響いていた————。

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