039 『弱小領主のダメ息子、母親に襲来される(4)』
サンドラの言葉を聞いたベルは我が耳を疑った。
「……母上。申し訳ありませんが、もう一度おっしゃっていただけませんか……?」
「レベイアを連れ帰りたい、と言いました」
『…………!』
サンドラの突然の申し出に、思わずヤンアルとミキとカレンの三人が顔を見合わせる。
「————理由をお訊きしても?」
しかし、ベルは意外にも落ち着き払った態度で尋ねた。サンドラは動揺を隠せない様子のレベイアの肩に手を添えて口を開く。
「……元々、五年前にもレベイアを連れて行きたかったのです。ただ、あの時はレベイアも幼くて急に環境を変えるのは良くないと思って言い出せなかったの」
「なるほど……、五年経った今ならレベイアも大丈夫だと思われたということですか」
「ええ。来年、レベイアは中学生になるでしょう? 環境を変えるにも良いタイミングだと思うわ」
サンドラはそう言うと、かがんでレベイアに顔を近づけた。
「ねえ、レベイア。州都は美味しいレストランもお洒落な服屋さんも何でもあって本当に良いところよ。私と一緒にアンヘリーノで暮らしましょう?」
「で、でも……」
「あなたも手紙で行ってみたいって言っていたじゃない。ねえ、そうしましょう?」
「…………」
サンドラの言葉は誘導的であったが、ベルは黙って聞いていた。そんな兄にレベイアは助けを求めるような視線を向けるが、ベルは気付かないのかやはり何も答えない。
「何も心配することなんてないわ、レベイア。そうだわ、カレンと離れるのが不安なのね? 大丈夫よ、カレンにも一緒に来てもらいましょう。これで全て解決ね!」
「お、お母様……!」
サンドラの狂気じみた愛情にレベイアがわずかな恐怖を覚えた瞬間————、
「————願ってもない話じゃないか、レベイア!」
盛大な拍手と共にベルが高らかに声を上げた。この空気の読めない男に部屋中の視線が集まった。
「お、お兄様……?」
「お前はいつもこんな貧乏暮らしは嫌だと言っていたじゃないか! 何を迷うことがあるんだ?」
「そ、それは……」
「母上のご実家はガレリオ家とは比べものにならない家格だ。使用人の数も段違いで、きっと食事も毎食それはそれは素晴らしいものが出されるだろう。服だって毎日違うデザインのものを用意してくれるぞ。行かない選択肢なんてないさ! 父上だってきっとそうおっしゃられる!」
「————!」
ベルは弾けるような笑顔でレベイアへまくし立てる。それを聞いたレベイアは小さな身体を震わせて絞り出すように声を発した。
「…………分かりましたわ」
「おお、分かってくれたか!」
「————お兄様はそれほど私をこの家から追い出したいのですわね!」
レベイアは大粒の涙を流して部屋から飛び出して行ってしまった。
「————! レベイアッ!」
「ベルティカ様、ここは私にお任せを————」
言うが早いかカレンがレベイアの後を追った。
「…………」
客間が不穏な雰囲気に包まれる中、またしても空気の読めない男が沈黙を破る。
「……やれやれ、追い出すだなんてレベイアも人聞きの悪いヤツだな。母上、明日にはレベイアを説得しますので、今日のところはどうかお引き取りを。あっ、それとも今日は久しぶりに泊まっていかれますか? 母上の寝室もまだそのままですよ」
「……申し訳ないけれど遠慮させてもらうわ。ガラテーアにホテルを取っているの」
「それは残念。それでは私は読書の途中でしたので自室に戻らせていただきます」
そう言うと、ベルは軽い足取りで客間を出て行ってしまった。
「ベル————ベルティカ様! お待ちください!」
慌ててミキが追いかけ、客間にはヤンアルとサンドラが残された。
◇
————太陽が地平線に飲み込まれ世界が漆黒のカーテンに包まれる中、ベルは
しかし、眠っているわけではない。その眼はしかと開かれ、何かを思案するように虚空を見つめていた。
その時、静寂を破るようにノックの音が真っ暗な部屋に響く。
「……ダメ息子ならもう就寝中だよ」
「ありがとう、入るぞ」
ドアが開かれ、入ってきたのは褐色の肌を持った美女である。
「『
ベルはランプに火を
「————ヤンアル、こんな時間に
「大丈夫だ。いざとなれば私はベルよりも強いし、何よりベルはそんな
「……お褒めの言葉、ありがとう」
ヤンアルの返事にベルは喜んでいいのか、それとも悲しんだ方がいいのか分からなくなった。
「……それで、俺に何か用かな?」
「うん、ミキがこぼしていたぞ。『どうしてベルはあんなひどいことをレベイア様に言うんだ!』と」
「ハハ、さっきまでそこで同じことを言っていたよ。俺の答えはずっとこうだ。『逆にどうしてこんな良い話を断るんだ? 俺にはさっぱり理解できない』ってね」
「それは本心だろうが、少し言葉が足りないな」
「…………」
ヤンアルの言葉にベルは否定も肯定もしなかった。ヤンアルは沈黙するベルに近付き話を続ける。
「ロリコン————ではなかった。シスコンのベルがレベイアの気持ちに気付かないはずがない」
「ヤンアル! そんな言葉をいったいどこで覚えたんだ⁉︎」
「レベイアが貸してくれた小説に載っていた」
「レベイアのヤツ、なんて小説を読んでいるんだ……ヤンアル、自己弁護するわけじゃないが一つ教えておこう。この世のお兄ちゃんはおしなべてシスコンであると……!」
「分かった。覚えておく」
真顔でうなずいたヤンアルはベッドの端に腰を下ろした。
「私にとってもレベイアは家族だ。ベルの本当の気持ちを聞かせて欲しい」
ランプの灯りに照らされ、ヤンアルの真摯な表情が浮かび上がった。それを見たベルの顔から先ほどまでのおちゃらけた表情が消え去った。
「……あの時、言った言葉に嘘はないよ。まだ母親に甘えたい年頃だろうし、なによりレベイアはこんな田舎でくすぶっていちゃいけない」
「…………」
「レベイアは美人で頭も良い。今はカレンが勉強を教えているが州都に行けばセキュリティもしっかりした学校にも通えて友達もたくさんできる。レベイアの将来のためには絶対に州都に行くべきなんだ」
「レベイアの気持ちは?」
「え?」
「ベルの気持ちは分かった。だが、レベイアの気持ちはどうなる? 確かに日頃から文句を言ってはいるが、本心ではこの家が気に入っていると私は思う」
「…………!」
痛いところを突かれたようにベルの顔が歪む。
「……そんなこと分かっているさ! 俺だってレベイアと離れるのは辛い……! レベイアが成長する姿を毎日見ていたい。でも、レベイアは女の子だ。いずれ他家に嫁がなきゃいけない時が来る。母上のところに行けば、
ベルの本心を聞いたヤンアルは、固く握られたベルの拳を優しく握りしめた。
「口が回って要領が良いと思っていたが、案外不器用なんだな。ベル」
「……男なんてみんな不器用な生き物なんだよ、ヤンアル」
「ふふ、そうかも知れないな————」
ヤンアルはハッとした様子で、続く『
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