038 『弱小領主のダメ息子、母親に襲来される(3)』

 ————15分後、トレーニングを切り上げ客間へとやってきたヤンアルをベルが申し訳なさそうに迎え入れる。

 

「……すまない、ヤンアル。トレーニング中だったのに……」

「問題ない。それで私に用とは————」

 

 その時、ヤンアルは自身を刺すような鋭い視線に気が付いた。

 

「……ベル。こちらの婦人は?」

「あ、ああ、俺の母上だ。名前は————」

「————アレッサンドラよ。ヤンアルさん」

 

 アレッサンドラが親しげに微笑むと、ヤンアルも笑みを見せた。

 

「なるほど、レベイアにそっくりだ。いや、レベイアが似ていると言った方が正しいのか。ご機嫌よう、ガレリオ夫人」

「申し訳ないけど、その呼ばれ方は好きじゃないの。気軽にサンドラと呼んで頂戴」

「サンドラ。それでは私のこともヤンアルと呼び捨てにしてほしい」

「ええ、分かったわ。ヤンアル。少し私とおしゃべりをしない?」

「うん、構わない」

 

 サンドラの迫力にもヤンアルは全く物怖ものおじしていない。ベルとミキはその胆力に感心すると同時に恐ろしさを感じた。

 

 ヤンアルがベルの隣に座ると、早速サンドラが仕掛ける。

 

「————それで、ヤンアル? 貴女あなたが『伝説の騎士』というのは本当かしら?」

「母上! ヤンアルは記憶を失っているのです! どうか尋問されるようなことはご遠慮ください!」

「ベルティカ、あなたは黙っていなさい」

「いいえ! いくら母上の命令でも聞けません!」

「…………!」

 

 ベルの剣幕にサンドラは少し驚いた。五年前に別れる前の息子は人に流されるばかりで自らの意見もまるで無く、ましてや自分に逆らうことなどあり得なかったのである。

 

「……何も取って食おうというわけではないわ。落ち着きなさい」

「ベル、私なら大丈夫だ。気遣ってくれてありがとう」

「…………」

 

 サンドラの言葉を聞いてもベルは納得がいかない様子だったが、ヤンアルに声を掛けられると素直に引き下がり再び席に着いた。

 

「……母上。それでは、そちらの使用人の方には席を外していただきたいのですが」

「安心なさい、これは私の実家いえに古くから仕えている者よ。その辺りは心得ているわ」

「……分かりました」

 

 渋々ベルが了承すると、サンドラはヤンアルへと向き直った。

 

「————ヤンアル、先ほどの質問に答えてもらってもいいかしら?」

「私が『伝説の騎士』か……正直に言うと分からない。ベルが言った通り私は記憶喪失というヤツらしい」

「…………」

 

 サンドラがヤンアルの顔をジッと見つめる。サンドラの鋭い眼光に見据えられても、その双眸からはいささかの動揺も感じられない。その言葉に嘘はないと判断したサンドラは質問を変えた。

 

「……では、あかい翼が生えていたというのは?」

「それは……」

 

 ヤンアルは伺うような視線を隣のベルに向けた。ベルが重い表情でうなずくのを確認すると、ヤンアルは席を立って客間の中央へ進み出た。

 

 ヤンアルが眼を閉じ意識を集中させるとあかい粒子が背中に集まり出し、やがて身体を覆い隠せるほどの大きな翼を形成した。

 

「…………‼︎」

 

 翼の浮力チカラを得て宙に浮かぶヤンアルの姿にサンドラが絶句した。

 

「サンドラ、これでいいのか?」

「————しい……」

「え?」

「……なんという美しさなの……‼︎」

 

 サンドラは恍惚こうこつの表情を浮かべヤンアルの方へ歩み寄る。この様子には流石にヤンアルも軽い恐怖を覚えたらしく、サッとベルの後ろに逃げ込んでしまった。

 

「ヤンアル、もういいよ。翼を収めてくれ」

「うん」

 

 ヤンアルが翼を消すと、サンドラも正気に戻ったようである。ベルはヤンアルを背中にかばったまま静かに口を開いた。

 

「————母上、これでお分かりでしょう。ヤンアルの翼のことが世間に知れると、面白おかしく騒ぎ立てる輩が後を絶たないと思われるため、私は彼女をかくまっているのです。興味半分でヤンアルの素性を暴き立てるような真似は金輪際やめていただきたい……!」

「ベル……!」

「…………」

 

 ベルの真摯しんしな表情を眼にしたサンドラはおのれの浅はかさを恥じるように首を振った。

 

「……そうね、この件に関しては非礼を詫びましょう。もうヤンアルの素性を詮索することもしません。でも————」

「————お母様っ‼︎」

 

 その時、感情のこもった声と共に扉が開かれた。部屋の中に入ってきたのはもちろんベルの妹・レベイアである。その後方にはカレンの姿もあった。

 

「……お母様……!」

 

 五年ぶりに母親の姿を認めたレベイアの瞳に大粒の涙が溢れる。

 

「……大きくなったわね、レベイア……!」

 

 サンドラはベルに向けていた鋭い顔つきとは真反対の、慈愛に満ちた表情でレベイアを抱きしめた。

 

「五年間も放っておいて、ごめんね……!」

「お母……様……っ……!」

 

 長い抱擁の後、サンドラはようやくレベイアを離すと複雑な表情を浮かべるベルに向き直った。

 

「ベルティカ。私、この家に来た理由の一つがレベイアに会うためと言ったわね」

「ええ」

「正確に言いましょう。私はレベイアを連れ帰るために戻って来たのです」

「————は?」

 

 サンドラの突然の告白にベルは思わず訊き返した。

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