022 『弱小領主のダメ息子、伝説の竜姫と服を買いに行く(5)』

 ヤンアルを捜しに行ってしまったジュゼッペ爺さんの代わりに、果物屋の店番をすることになった領主の息子・ベル。


 商品のリンゴをかじりながら目の前の通りを歩く人々を眺めていると、ふとあることを思い出した。

 

「————おっと、いかんいかん。これでは無銭飲食になってしまう」

 

 懐から10リブラ(ロセリア王国の流通通貨)を取り出し、軒先の天井から吊り下がっているカゴに投げ入れる。再びリンゴにかじりつこうとした時、店先から甲高い声が響いてきた。

 

「あれー? ベルさまがくだものやさんになってるー!」

 

 声のした方へ顔を向けると、六歳くらいの女の子が無邪気に指を差している姿が見えた。

 

「ベルさま、きょうもむだにイケメンだね!」

「……お褒めの言葉ありがとう、リチア。この度ついに父上から勘当されてしまってね。生きていくために果物屋に転職したのさ」

「かんどうってなーに?」

「ベルティカ様、リチアに変なことを吹き込まないでください」

 

 リチアという女の子の後ろから母親らしき女性が口元に手を当てながら声をかけてきた。

 

「やあ、マヌエラ。すまない、今後は気を付けるよ」

「ふふ、今日はオレンジをいただきに来たのですが、ジュゼッペさんはどちらへ?」

「ジュゼッペ爺さんなら俺の代わりに人捜しに行ってくれているんだ。それで俺は店番を任されているというわけさ」

「人捜し……ですか?」

「ああ、ヤンアルという女性なんだが」

「そのひと、ベルさまのこいびと⁉︎」

 

 女性と聞いたリチアがつぶらな瞳をキラキラとさせて話に割り込んできた。ベルはリチアの頭を優しく撫でてあげる。

 

「うーん、恋人か……。そうであって欲しいような、恐れ多いような……」

「ベルさま、なにいってるの?」

「ははっ、俺にもよく分からないんだ。すまないな、リチア」

「ベルティカ様、そのヤンアルという方はどんな年格好をしているんですか?」

「年は俺と一緒くらいかな。黒髪黒眼に褐色の肌でスラリと背が高くて白いブラウスを着ているはずだ」

「あら? そのひとなら————」

 

 思い当たるような口振りでマヌエラが言うと、ベルは立ち上がって肩に手を掛けた。

 

「————見たのか⁉︎ マヌエラ!」

「え、ええ。その特徴のひとなら多分……」

「リチアもみたよ! すっごいきれいなひとだったもん!」

「どこで見たんだ、二人とも!」

鐘楼しょうろうのある通りでさっきすれ違いましたけど……」

「————鐘楼の通りだな! ありがとう! マヌエラ、リチア!」

 

 思いがけない所から得られたヤンアルの行方ゆくえにベルは早速駆け出そうとしたが、何かに気付いてその脚を止めた。

 

「おっと! オレンジを買いに来たんだったな」

 

 そう言うとベルはカゴに100リブラ札を投げ入れた後、紙袋に目一杯のオレンジを詰め込んでマヌエラの手に押し込んだ。

 

「目撃情報のお礼だ! それじゃあな!」

 

 大きな紙袋を手渡されたマヌエラは、首を傾げて頬に手をやった。

 

「……店番はいいのかしら……」

 

 

          ◇

 

 

 ————マヌエラ親子の証言に従って鐘楼の通りまでやってきたベルだったが、辺りを見回してもヤンアルの姿は見当たらない。

 

(……さすがにさっきこの辺りで見たと言っても、いつまでもとどまってもいないか。そうだ、鐘楼に登ってみるか。上から見下ろせば見つけやすいかも知れないし、ヤンアルも登っているかも知れない)

 

 悠然とそびえ立つ鐘楼へ眼を向けた時、背後からしゃがれた声が聞こえてきた。

 

「おっ、ベル様! どうしてここに?」

「マッシモ爺さん! マヌエラからヤンアルをこの辺りで見たと聞いて来たんだ!」

「おお、ワシも聞いたぞ! ヤンアルちゃんらしき別嬪がここでガラの悪い連中に連れて行かれたと!」

「なに⁉︎ どんな奴らだ⁉︎」

「ワシも詳しくは知らんが、この先の裏通りにある『クルヴァ・スッド』という潰れた酒場を根城にしとるゴロツキらしい! ワシは今、憲兵に知らせてこようと————」

「裏通りの『クルヴァ・スッド』だな!」

「待ちなされ! ベル様! 一人では危険じゃ————」

 

 ベルはマッシモ爺さんの静止の声にも耳を貸さず裏通りへと駆け出した。

 

 

         ◇ ◇

 

 

 ————裏通りに足を踏み入れると、それ・・はさほど苦労なく見つけることができた。

 

(……これが『クルヴァ・スッド』だな。間違いない)

 

 辺りを警戒しながらベルは入り口に近づき、店内の様子を窺った。

 

(……物音ひとつ聞こえないぞ、まさかヤンアルの身に……⁉︎)

 

 はぐれた当初はヤンアルがやり過ぎないか心配していたベルだったが、裏通りのゴロツキに連れて行かれたと聞いた今はヤンアルの身に危険が降りかかっていないかで頭がいっぱいになっていた。

 

「————ヤンアル‼︎」

 

 意を決して扉を蹴り上げたベルが眼にしたもの————それは床やテーブルに突っ伏して死んだように微動だにしない数人の男たちの姿であった。

 

「…………!」

 

 薄暗い店内に屈強な男たちが転がっている異様な状況にベルが声も出せないでいると、燕のさえずりを思わせる澄んだ声が聞こえた。

 

「————ベル?」

「ヤンアル! 無事だったか!」

 

 店の一番奥のテーブルにちょこんと腰掛けているヤンアルの姿を見て、ベルの表情が一気に柔らかくなった。

 

「ヤンアル、大丈夫か? 怪我とかはしていないか⁉︎」

「……平気だ」

 

 ようやく再会できたというのにヤンアルの表情は何故か浮かない。

 

「そんな表情かおをしてどうしたんだ? やっぱり何かあったのか⁉︎」

「…………すまない、ベル。私はお前たちに迷惑を掛けてばかりだ。初めて来る街に舞い上がって迷子になってしまった……」

「……そんなこと気にしないでいいんだ。俺の方こそキミを見失ってすまなかった……!」

 

 ベルは力強くヤンアルを抱きしめた。

 

「…………ベル、少し痛いぞ」

「————あ、ああ! すまない、つい……」

 

 慌ててヤンアルから離れたベルは気を落ち着けるように、倒れ込んでいるゴロツキたちに眼を向ける。

 

「……正当防衛で仕方ないとはいえ、七人を手に掛けたとなると……、どうしたものか……」

「何を言っている。私は何もしていないぞ」

「え……?」

 

 ヤンアルの言葉に落ち着いてみると、店内が物凄く酒臭いことにベルは気が付いた。

 

「……まさか、こいつら酔っ払って倒れているだけなのか?」

「そうだ。私と飲み比べを始めて間もなく全員寝てしまった」

「…………」

 

 ベルは床に転がったボトルの飲み口に鼻を近づける。

 

(……度数の高いだけの安酒だな。そうか、こいつらヤンアルを潰してしまおうとしてミイラ取りがミイラになってしまったというわけだ)

 

 ベルはボトルを置いてヤンアルに質問する。

 

「ヤンアル、キミは同じものを飲んでなんともないのかい?」

「うん。むしろ私の方が多く飲んだが問題はないな」

「…………そうか。まあ、無事で良かった。うん……」

 

 ヤンアルを酒の席に誘う時は気を付けようと心の中で誓うベルであった。

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