とある文明の渡り(またはエアーコンディショナーマイグラトリー)
鳥辺野九
ペソギソ
暑くなってきたのでエアコンの試運転も兼ねてフィルターを掃除しようとしたら、未熟ではあるが埃文明が築かれつつあった。
道理で何処か「ふぇっふぇっ」と騒がしいと思った。
冬シーズンはエアコンを使っていないので半年以上フィルターを密閉したまんまだ。仕方ないっちゃあ仕方ない。でも致し方ないからといってフィルターを放置しておくのも気が引ける。まずは観測してみる。彼らの文明レベルは如何程だろう。
フィルターに積もり積もったダストはおそらく厚さ1ミリメートルもない。そこにまるでメインストリートのように一本道が敷かれている。道は細かく枝分かれして、しかし定規を使用したようにソリッドな直線で明確な意思を感じられた。
道はやがて彼らのコロニーに通じ、コロニー間で活発に行き来している様子が見てとれた。何やらコロニー同士でダストの質が異なるのか、交易が行われてるっぽい。私の部屋の埃で勝手にエアコン内貿易しないでくれ。
道をぺたぺたと往く小さな、とても小さな文明の主を見れば、つるんとした紡錘形ボディに短い脚で二足歩行をしていた。時たま腹這いになって鰭のような長い手羽先状前肢で舵取りするように高速移動している。
彼らは基本黒い。つるんとした魅惑のボディに白いラインが走っていて、コロニーごとにラインの模様が違って種族値を表しているのだろう。
南極に生息している鳥類によく似ていたので、私は彼らをペソギソと呼ぶことにした。
一体のペソギソが歩みを止め、ふと私を見上げた。やだ。かわいい。
その容姿的優位性に免じてフィルターの清掃は諦めて、私はエアコンの整備蓋を静かに閉じた。
エアコンが騒々しい。いつにも増して騒がしい。日の出と共に叩き起こされた私は眠い目を擦りながら覚束ない手付きでエアコンの整備蓋を開けた。
ペソギソたちは恋の季節真っ只中だった。
コロニー同士から特に紡錘形がきれいに整った個体が歩み出て、別コロニーに向かって「ふぇっふぇっ」と高らかに歌う。すると応えるように「ぼえーいっ」と低い木管楽器のような声が轟く。
ペソギソたちはとても小さい。「ふぇっふぇっ」声も「ぼえーいっ」声も小さい音だ。しかしそれが各コロニーの随所で鳴り響いているのだ。ここまで多重に求愛ソングが歌われてはうるさくてたまったものじゃない。
ゔぇふぇっ、ゔぇふぇっ。
ペソギソの鳴き声をコピーしてみた。彼らは静まり返った。
今日の夕食は私の得意技である野菜カレーだ。それぞれ香味野菜がとろけるまで煮込んで複数種のカレールーを競合させる特製カレーで、お肉は水炊き用の骨付き鳥肉(ちらりエアコンの方を見る、ペソギソたちは落ち着かない様子だ)をふんだんに投入する。
カレーの香りが部屋中に充満するにつれ、ペソギソたちがやかましくなる。エアコンがカタカタと小刻みに揺れるほどだ。
ひょっとして、ペソギソたちもカレーが食べたいのでは。
エアコンの整備蓋を開けると、にわかに彼らは色めきだった。決まりだ。ペソギソたちの文明は成熟期を迎えて行き詰まりつつある。当然だ。資源がエアコンのフィルターに積もったダストしかない。新たな要素が必要なのだ。
私は特製野菜カレーの香しい匂いを存分にフィルターに吸わせてやった。ペソギソたちの豊作を祝う収穫祭は一晩中続いた。うるさくて眠れなかった。
もうダメ。梅雨入り前だと言うのに暑い。ペソギソ文明もそれを望んでいるはずだ。エアコンを稼働させよう。
程なくして部屋の温度は下がり、人間文明とペソギソ文明の異文化協力も功を奏して異常温暖化は緩和された。快適な環境が戻ってきた。
しかし思わぬ弊害が浮き彫りになった。彼らの文明活動も活発化して、フィルターに積もったダストにいろんな匂いを吸わせてやった結果、エアコンの吹き出し口からの冷風がちょっと臭うようになった。
これはまずい。早速エアコンの整備蓋を開放してフィルターのダスト文明の繁栄具合を確認する。
薄い灰色のダスト層がややピンク色に染まり、コロニーを形成する辺りが特に変色度合いが強く見られた。
自然科学系のネットニュースで見た覚えがある。南極に生息する特定鳥類が天敵がいない環境で人間に保護された結果、個体数があまりに増えてしまい堆積した排泄物がグアノ層をなして深刻な環境汚染に繋がっているという。
今まさに私のエアコンでそれが発生しているのだ。ちょっと臭い。ファブリーズしてみた。余計変な臭いになってしまった。ごめん。
エアコンフィルターに誕生したペソギソ文明は過渡期に突入した。彼らの文明曲線の上昇はもう維持できない。まあつまり、フィルターが限界だ。掃除しないとエアコンが不調をきたす。温暖化による異常気象は避けられない。
いくらかわいいからといって部屋でペソギソを飼うのも限界があるということだ。
もう無理。
ベランダにてフィルターの清掃を執り行った。ペソギソ文明の終焉だ。
意外にも彼らはすんなり受け入れてくれた。
振り払われたダストとともに風に乗り、どこか遠くのまだ見ぬ楽園へと飛んでいった。
南極に生息する特定鳥類もより繁栄に適した環境へと渡りを行う種類がいるという。
彼らは渡り鳥だ。エアコンフィルターからエアコンフィルターへと渡っていく移住性文明だ。
さよなら、ペソギソ。また何処かで。
と、思ったら。その夜、ベランダの室外機から「ふぇっふぇっ」「ぼえーいっ」と文明開花の音が聞こえてきた。渡り先が近過ぎる。もうやめて。
とある文明の渡り(またはエアーコンディショナーマイグラトリー) 鳥辺野九 @toribeno9
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