俺たちはどう死ぬのか

柏望

俺たちはどう死ぬのか

「死にてえなあ」

「殺してやろうか」


 それなりに世話になった人物に別れを告げたにも関わらず、川田かわたはあまりにもいつも通りだった。


 朝一で近所のスパ銭に連れていって背中を流し、喪服がないというので着なくなったリクルートスーツをクリーニングに出して着せてやった。ネクタイも俺が結んでいる。

 俺がやったことは、他の参列者の迷惑を考えてこざっぱりさせただけだが。馬子にも衣装というべきか。葬式で憔悴しているようには見えるのだから、普段のコイツがどれだけ陰気か改めて認識する。

 堅く結んだ唇に右目のレンズが少し欠けている丸メガネ。こっちを見ているのか虚空を見ているのかわからない視線。「うー」だの「あー」だのとしか聞こえない返事。伸ばしっぱなしの黒髪その他もろもろは昨日までとなにも変えていない。


 知らぬ相手ならコンビニの店員にも怯える川田だ。俺が予想した以上に盛況だった葬式の場で神経をすり減らしたのは間違いない。だから葬式が終わった後は、川田がなにかしら反応するまで待ってやるつもりだった。

 斎場にある自販機の缶コーヒーを全種類飲み干すほど時間がかかるとは思わなかったが。


「夏だっていつまでも明るいわけじゃない。行くぞ」


 夏の夜は蒸し暑い。俺まで死にたくなる前に涼める場所にいきたかった。道すがらジャケットを脱がしネクタイを外し、座り込みそうになれば蹴とばしたあとに宥めすかして歩かせる。


麻井あさい。もうやだ帰りたい。死にたい」

「バカが。あんな上等な死に方できるわけないだろ」


 葬儀を受けた人物、白木というおっさんの死は川田と麻井という二人の若輩者に傷を残した。

 川田には慢性的に、自分には衝動的に襲い来る「死にたい」という自滅願望に新しい意味を加えた。


 夜遅くまでやっているバー兼喫茶店が川田の家の近くにある。それならばと訪れたとある喫茶店で俺と白木氏は出会った。あの時のことは店で飲むコーヒーが不味くなるから思い出さないが、幾度か顔を合わせれば同じテーブルで酒とコーヒーを飲みかわす程度に打ち解けた。


「いらっしゃ、あぁ麻井くんと川田くん」

「エスプレッソ・ダブル二杯分。コイツにはほうじ茶を」

「な。生ビールお願いひまひゅ! 」


 そうだ。白木氏は川田に会うたびにビールを吞ませていた。


 白木氏はダメなおっさんだった。飲み癖が悪く俺が支払いを持つときもあるくらいには情けないおっさんだった。だが、情け深いおっさんでもあった。

 来るたびに死んだ顔をしている川田に洋々と話しかけ、聞いているんだかいないんだかわからないが川田の話に耳を傾けた。

 川田は臆病な癖に構ってもらうのがけっこう好きで、俺は構ってもらって楽しそうな川田を見るのが好きだった。


 椅子に座った川田がいつも以上に萎れて見えるのも疲れだけではないだろう。川田と二人で来ているのにバックミュージックが聞こえるほど静かな店内は違和感がある。

 が、それもいつか消えるのだろう。川田も同じことを考えているのかは知らないが、マスターが注文を届けに来るまでお互い口を開くことはなかった。


「お待たせしました。エスプレッソ・ダブルと生ビールです」

「ん、ショットは頼んでませんよ」

「僕のぶんさ。白木はいいお客ではなかったけど、常連さんだからね」


 コーヒカップ。ジョッキ。ショットグラス。三人同じ高さにそれぞれの器を並べると、マスターが俺に向かって小さく頷いた。音頭は俺が取れということらしい。葬式に顔を出しに行ったのは俺たちだし、川田にこういうことはできないだろう。


「敬愛する白木氏に捧げます。献杯」


 器同士が重なって鳴る小さな音を聞きながら、俺はカップを傾け一気にエスプレッソを流し込む。


 舌と鼻を抉るような刺激に耐えながらカップを置く。マスターがショットグラスを空にしてもケロリとしているのは流石というべきか。

 一番驚いたのは川田だ。ずいぶん時間をかけたが、川田はジョッキを一息で空にした。お前、実はイケる口だったのか。


「じゃ、ごゆっくり」

「ティラミスとモカ・シダモを。あと水をお願いします」

「麻井くんも夜中にエスプレッソはキツイか」

「さっぱりしたかったんですよ。とはいえ、二杯目も深煎りはちとキツい」


 キツイどころではない。自販機で缶コーヒーを片っ端から飲んでさらにエスプレッソ二杯分を平らげた。一日の許容摂取量どころか一週間分にも匹敵するカフェインを摂取している。すでに胃がねじれるような感覚があり、今夜は腹痛と覚醒作用で眠れないだろう。


「少々お待ちください」


 悠々とカウンターに戻るマスターを見送って前を向けば、川田は泥人形のように壁に背を預けていた。

 クリーニングに出したシャツは縦横無尽に皺ができていて。整髪料まで付けて整えてやった髪は見る影もなく乱れている。大して動いていないだろうに。歩いて座るくらいでそこまで皺を付けられるのか。


 とはいえ、斎場を出た時よりは楽になったらしい。汗は引いているし顔色も僅かにいい。後者に関しては酒が回っているだけかもしれないが。


「酒呑んだんだから水も飲めよ」

「やだよぉ。死にたいよ」

「馬鹿言うな。ここでどうやってあんな立派な死に方すんだよ」


 頭を抱えてしばらく悩んだようだが、川田は両手でコップを持ちこくこくと水を飲み始めた。

 俺もコップに口を付け、淡くレモンの香りがする冷水を腹に収める。


「白木さん。ほんとにキャバクラやってたんだね」

「ありゃ本気で驚いた。しかもみんな泣いてたな。いい店長だったらしい」

 

 喫茶店で会う白木氏は大なり小なり酔っぱらっていて、俺たちを鬱陶しいまでに構いたおす。勝手に笑い勝手に泣いて、俺に会計を持たせるくせにまた会ったときには綺麗さっぱり忘れている。

 思い返すたびに白木氏をクソ野郎だったと振り返って、もう会えないのは残念だと結論付けるのだろう。


「みんな綺麗な人だったね。あんな人に泣いてもらえたら、きっと幸せなんだろうね」

「死んだ人間には関係ねえよ」


 喪服という画一的な恰好をしていても、葬儀に参列した彼女たちは美人だった。雰囲気に呑まれただけかもしれないが。心の底から故人を偲んでいたのかもしれないが。ある人はわあわあと、またある人はさめざめと泣いていた。


 俺は葬式で泣いたことは一度もないが、だからこそ泣く人がいる葬式が羨ましいという意見に同意できる。


「ああいう死に方はいい死に方なんだろうな」

「ねえ。あぁ死にたいな」


 参列者の話を盗み聞きして、ホスピスで眠るように死んだということを掴んだだけだ。


「葬式ってみんなああなのかな。だったら今すぐ」

「頼まれても俺はやらないからな。考えるだけでもめんどくさい」

「ねえ麻井。僕の葬式はさ。こう、シメっとした音楽とか流してさ。花なんかいいから1973年の」

「おうおうわかったよ」


 川田は死ぬことばかり考えていた。

 人が死ぬのは42Vしにボルトだの。不幸になりたくないならどう考えても死なないといけないだの。

 わかりきったことを言っておろおろと嘆くばかりだった。それがどうだ。白木氏に別れを告げたあとは葬式という死んだ後のことを考えている。

 目の前にいる死にたがりの生き死にはどうでもいいが。いつもと違うことを生き生きと喋っているのに付き合うのは悪くない。

 

 死せる孔明生ける仲達を走らすという言葉があるように、ひとかどの人物は死んでからも役に立つものらしい。


「ありがとおぅ。麻井ぃ」

「うるせえな。次はお前が奢れよ」

「うん! 」


 飲酒をやめてもアルコールは身体を巡っていく。川田が本格的に酔い始める前に二人で店を出て正解だった。

 塀の角に足先を引っ掛けて躓き、電柱にぶつかってひっくり返る。控えめに言って前後不覚の状態だから、常に後ろ向きだった川田が前向きになっていた。


「ぼくぁあねえ。死んでるみちゃいに生きてるよりさあ。死ぬために生きてたいんらよね」

「ああよかったよ。殺してやろうかと思わなくてせいせいする」

「へ。麻井には無理だよ」

「んだとコラ」


 痛くない方法で頼むとか最後の晩餐の献立とか聞いてやるのは面倒くさいが、鼻で笑われるのは頭にくる。挙げた拳をどこに振り下ろすか考えていると、うなだれながら川田が呟いた。


「無理だよ。麻井は優しいからさ」


 言われてみれば俺は優しいのかもしれない。

 考えてみれば今夜は蒸し暑い。汗でシャツが張り付くような中で生きている人間に触ったら余計に熱くなるだけではないか。俺は優しいだけでなく賢いから許してやることにした。


「ほんとはさあ。お葬式なんて行きたくなかった。葬式は一度しかやらないんだから生きてるころに会うより面白いぞって連れてったじゃん」

「面白いぞとは言ってないが」

「顔がそう言ってた。それに面白そうだと思わなきゃ人付き合いなんかしないだろう」


 困ったことに否定できない。

 白木氏が死んだと聞いたときにはあの野郎マジで死にやがったと思ったし、すまし顔で棺に入っているのを見たら吹き出しそうになった。


「白木さんの葬式はさ。綺麗なお姉さんがいっぱいいて。おじさんとおばさんがその倍くらいいて。僕らみたいなろくでなしもいたじゃない」

「ろくでなしはお前しかいなかったがな」

「ああいうの見てると死ぬのも悪くないなって思ったんだけどねえ」


 今日は気持ちよく酔えたのだろう。川田の口がよく回る。視線は右に左に揺れ、足取りはおぼつかない。が、だからこそ不安と恐怖に振り回される思考がまっすぐとある方向を向いたのかもしれない。

 現実逃避だとか笑うしかできなくなったとかでない屈託のない笑顔。久しぶりに見て、俺は穏やかな表情の川田をすっかり忘れていたことに気づいた。


「今の僕の葬式だと麻井はこないでしょ。お葬式にはさ、褒めてくれる人や泣いてくれる人だけじゃなく。ろくでなしの君にも来てほしいんだ」

「化けてきても行かん。お前の葬式のどこに面白いところがあるんだ、言ってみろ」

「だからさぁ。面白い葬式ができるようになるまでは生きてたいな。って思ったんだよねえ」

「うるせえよバカ」


 家に向かう電車の駅と川田の家との分かれ道でその日は解散した。川田の済んでいるアパートは角を曲がれば目視できる距離にある。俺が送らなくても迷子になりはしないだろう。

 すでにカフェインの多量摂取による頭痛が始まっている。川田と喋らなくなったらすぐにねじ切れるように胃が痛み始めた。酔っぱらいに看護されるハメになる前に別れてよかった。


 自室に戻ったらシャワーを浴びて、身体を拭いたあと横になったら意外と眠れた。起きれば頭痛がする程度の浅い眠りだったが思ったより体調が乱れていない。


 SNSを見ても川田に動きはないが、おおかた二日酔いで転がっているんだろう。こちらから連絡するまでもない。川田の分も含めた香典費用。休みを取った分の仕事の穴。埋め合わせるために週末までは気合を入れて働かなければ。


 白木氏の葬式から2日経ったが、川田からの音沙汰がない。お互いSNSを活発にする方ではなく、半年ほど連絡を互いに取らなかったこともある。

 うっかり自殺を成功させてはいないだろうが。と思って顔を出したら未遂に出くわしたこともあった。軽く顔を出して、元気そうなら喫茶店にでも連れていってやろう。


 会議中にしつこく鳴った電話があった。着信履歴を見てみれば見慣れない番号で無視もできたが、知人や仕事相手という可能性は否定できない。間違い電話なら指摘してやるのは早い方がいい。


「あーもしもし。麻井です」


 電話をかけてきた相手は声だけでも厳めしそうなおっさんで、川田がなにかやらかしたそうだから署まで参考人として来てほしいとのことだった。

 身元引受人としてならまっぴらごめんだが。

 被疑者扱いされたなら完全黙秘できるか試してみるところだが。

 参考人という毒にも薬にもならない扱いとしてなら、善良な市民として素直に受け答えをしてやってもいい。


「またなにかあればご連絡します」

「どうも」


 内容が内容だったので思ったより事情聴取は長引いた。しかし事件ではなく事故だということを確かめるという方向性で俺が疑われるようなことは一切なく。


 階段ですっ転んだ酔っ払いが頭をぶつけてそのまま息を引き取った。ということで話はまとまるのだろう。


 仕事明けで警察に顔も出した。とても疲れているし、喉が渇いているような気がしないでもない。


 ちょうどよく喫茶店が近くにあるのだから、一息ついていこう。


「おぉいらっしゃい」

「エスプレッソ・ダブル」

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俺たちはどう死ぬのか 柏望 @motimotikasiwa

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