第3話 そんなことしている場合じゃない

 他の人の震災体験談を読むにつれ、いろいろ思うところがある。


自分の子どもを含めた子どもたちが無事に暮らせていける社会、それだけあればいいのではないだろうか。


最近特にそう思う。




東日本大震災で福島から避難してきた小学生に対して教師や生徒が名前に「菌」を付けて呼んだり、


同級生などが「賠償金をもらっているだろう」と150万円を恐喝した事件が起こった。




これ等の事件を聴いて当時のことを思い出した。




僕は、阪神大震災で生死の境をさまよった末にようやく退院できた。


心機一転、再就職を試みる。


最初に面接を受けた老人ホー ムでの会話。


面接官は僕の履歴書を見ながら一言言った。


「灘区って、あの震災の帯の?」


僕 「はい。そうです」


面接官 「ここで働いたら、地震を呼ばないでくださいね」


僕  は……




ここで働いたら、地震を呼ばないでくださいね。その言い方が、ここで働いたら高齢者を転倒させないでくださいねと言っているかのごとき真顔で言われた。


僕は、悲しいと言うより驚愕する。


風評被害の一種なのだろうが、全く科学的根拠のないことを危惧する面接官。


当然ながら面接は不採用で終わる。


これが被災者が被る二次被害か……。




後に知ったことだが、こういう言われ方は他の被災者も経験しているという。




東日本大震災で放射能問題でいわれなき差別を受ける小学生。


加害者の生徒がそういった言動をする背景には、加害者の親が日常的にそれを口にしているのは明らかだ。


子どもは親の鏡。




僕は、自分の子どもには、とにかく生き残る方法を教えている。


こんな気象兵器がある時代では、『生き残る』それだけが親が子どもに教えてあげられる唯一のことだと思っている。


気象兵器によって、いつ東南海地震が起こるか知れず。


これはオカルトではなくなっているのだ。


どうしてそれに気づかないのだろう。




東南海地震が起こり、または第三次世界大戦が起こって日本人が難民となって海外に逃亡しなければならなくなる局面もありうる。


息子が海外で生き延びることができるよう、僕は息子に英語を話せるようになれと言っている。


いくら大英帝国が衰退した世の中とは言え、英語は今でも世界共通語だ。


英語が話せれば生きてはいける。


他の科目は欠点ぎりぎりでもいいから、とにかく英語を話せるようになれと言っている。




僕自身は何とか英語が話せるから息子に英語を教えている。




菌呼ばわりした加害者の生徒の親は教育熱心かどうか知らないが、差別なんかしている場合でないと子どもに教えてやれ。


英語を話せるようにしてやれ。


大災害でも生き残れるように普段から訓練してやれ。


『生き残る』ことを考えたら、差別なんかする暇はない。




差別なんかしている場合じゃない。

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阪神大震災後日譚 Fujimoto C. @fujimoto-chizuru

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