第2話 最高の褒め言葉?
「少将さま、親から授かった名前は?」
正六位とは言え、父親が縁談相手に連れてきた男である。一応、敬称を付けつつ、それでも馬鹿丁寧なのもおかしな気がして、気さくな口調で咲良は尋ねた。
有馬は畏まる様子も、気分を害した様子もなく「はい」と答えた。
「一応あります。が、ここでは有馬で」
にこりと笑ってそれ以上は何も言わない。言おうとしないというべきか。
ふむ。なかなかに
有馬地方の出身者など、他にも大勢いるだろうに。それをそのまま名乗るとは、横着と言うか豪胆と言うか。
すると有馬は、「そんなことより」と作業途中のすり鉢に目を向けた。
「今日はどのような
「ええ。暑くなってきたので、涼しげな香りも良いかと思って」
「なるほど。みな喜びましょう」
「ほんと? 私の薫物は役に立っているかしら?」
日々、都の闇と戦う
その穢れを落とす所が、衛門府の内にある
自分の作った薫物の評価は、咲良も気になるところである。誰にも言っていないが、薫物職人として清浄所に勤めることが彼女の密かな夢なのだ。
そういう訳で、自分の作った
咲良の問いかけに有馬は「もちろん」と答えた。
「みな、穢れの落ち方が全然違うと言っております。さすがは
「あー……」
やっぱり、そうなるわよね。
小さく笑って咲良はうつむいた。
(私を褒める時は、みんな
裏を返せば、「姉がいなければ褒められたものじゃない」と言われているようで、心がもやっとする。目の前の男も例に漏れず「香華殿の女御」と口にしたことで、咲良は冷ややかな気持ちになった。
姉は知性と教養にあふれ、小野家の娘として
咲良は、自分のことをそんな姉の「残りもの」だと思っていた。髪は赤みを帯びた微妙な黒、瞳も鳶のような茶色で、我ながら同じ姉妹かと思ってしまう。
それでも、唯一
なのに、やっぱり自分は「香華殿の女御の妹」という言葉で片付けられてしまう。それが咲良には悔しくてたまらない。
「ありがとう。そう言っていただけると嬉しいわ」
あちらが決まり文句で褒めるなら、こちらも決まり文句で返すのみである。
咲良は当たり障りのない言葉で有馬にお礼を言った。
すると有馬が、にっと笑った。
「でも、私はちょっと違いますけどね」
「え?」
いきなり「違う」と言われ、彼の真意が分からず咲良は戸惑った。有馬が、ここぞとばかりに膝一つ進み出た。
「私は、咲良さまの
その飾らない笑顔が咲良をとらえる。
これは、なんとも最高の褒め言葉──いや、もはや魅力的な口説き文句である。年頃の姫であれば、ころりといきそうだ。
が、しかし。それでも咲良は、すんっと表面的な笑顔を彼に返した。
「まあ、お上手ね」
「おや? 疑っておりますか? 本当ですよ。今日も咲良さまの薫物を使ってから、こちらに参りました」
「……それは、嘘ね」
すかさず咲良は言い返した。そして冷めた目で有馬を見る。
「その香りは私の薫物ではないわ」
自信に満ちた有馬の笑みが一瞬強ばる。が、彼はすぐに持ち直し、再び「あはは」と笑った。
「これが、かの有名な『小野の知らぬの二の姫』か。面白い」
彼は膝をぱちんと打って、挑戦的な眼差しを咲良に向けた。
「姫は違うとお分かりになると?」
「私は、他の者より鼻が利くの。あなたが今日まとっている香りは、似ているけれど私の
「……穢れの落ち具合もお分かりになるとは、いよいよ面白い」
さっきまでの朗らかな笑顔はどこへやら、彼は不遜な笑みを口元に浮かべた。
「偽りを申し、実力を試した甲斐があるというもの」
「まあっ、わざとなの?!」
咲良は口をぱくぱくさせて直平を見る。直平が「まあまあ」と娘をなだめつつも、まんざらでもない顔をする。
「どうだ、今度はひと味もふた味も違うだろう?」
「違いすぎます! というか、これは無礼でございましょう?!」
自分の暴言は脇へ置き、咲良が怒りをあらわにすると、直平がさらに満足そうな顔をした。それが咲良は気に入らない。
有馬に目を向ければ──、こちらの怒りなど全く意に介す様子もなく、にこりと笑い返された。
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