くせ者少将と知らぬの姫の薫る関係

すなさと

(1)二の姫、薫物で口説かれる

第1話 なりふり構わない縁談

 千里せんり京は、雲一つない快晴だった。季節は風薫る初夏、小野家の庭には牡丹の花が咲き乱れている。その庭に面した部屋が、この家の二の姫、咲良さくらの部屋である。


 左大臣小野直平おののなおひらの権勢を感じる大きな屋敷は、板間の開放的な空間が広がる寝殿造。涼やかな風がふわりと吹けば、部屋を仕切る几帳きちょうの色鮮やかな絹布がひらひらと揺れた。


「姫さま、今日は直平さまがそろそろお戻りになられます。身なりをお整えなされませ」

「んー? 別にいいわ。父さまは気にしないだろうし、私も気にしないし」

「その直平さまから、きちんと身なりを整えておくよう申しつかっております。今日は客人をお連れになると」

「えぇー、面倒臭いなあ……」


 咲良さくらは、すり鉢をごりごりとすりながら、脇に控える侍女の六花に答えた。すり鉢の中に入っているのは、沈香じんこう丁子ちょうじ、そして鬱金うこん──香木など匂いの強い素材である。

 彼女は今、「薫物たきもの」と呼ばれるお香を作っている最中だ。


 背中でゆったりと結んだ髪は、伽久羅かぐらの国では珍しい赤みを帯びた黒。それが彼女の動作に合わせてゆらゆらと揺れる。格好は、作業しやすいように小袖にしびら(前かけのような腰ひも)という軽装で、およそ貴族の娘とは思えない。知らない人が見れば、隣でうちきを羽織っている六花を姫と勘違いしてしまいそうだ。

 普段であれば、実利を好む小野家では咲良の格好をとがめる者は誰もいない。しかし、客人が来るとなればさすがにそうもいかないらしい。


六花りっか、客人について、父さまは何かおっしゃっていた?」

「いいえ、これと言って特には……」


 ふむ、怪しい。嫌な予感がする。

 この半年ほど、父親が「客人」と言って連れてくるのは、どれもこれも貴族の若い子弟だ。それもそのはず、「客人」とは名ばかりで、彼らは咲良の縁談相手なのだ。どうやら、父親は明らかに行き遅れている娘を早く誰かと結ばせたいらしい。


(だとしたら、なおさら身支度なんてどうでもいいわ)


 今年で十八、貴族の娘がいつまでも独り身でいられないことは分かっている。しかし、夫を待ち続けるだけの毎日が果たして本当に幸せなのかと、咲良は思っている。


 すると、どたどたと足音が廊下に鳴り響いた。そしてそれは、あっという間にやってきて、咲良の父親である左大臣小野直平おののなおひらが部屋の戸口に姿を見せた。

 光沢のある黒の衣に朱色の襟と白の袴が映える。直平は、小袖姿の咲良を見て、穏和な顔をぴりりとしかめた。


「咲良、なんだ着替えておらぬのか。庶民のような格好をして」


 背後には、見たことのない若者が立っている。おそらく彼が、「客人」だ。

 咲良は悪びれることなく父親に笑い返した。


「はい。薫物たきものを作っている最中でございましたもので。こちらの服装の方が作業しやすうございます」

「だが今日は、身なりを整えておくよう言ったはずだ。六花、おまえは何をしておったのか」

「六花は悪くございません。着替えない私をちゃんと急かしておりました」


 すると、「ははは」と快活な笑い声が上がった。

 父親の背後にいる若者が面白そうな目を咲良に向ける。父親も長身だが、彼はさらに背が高い。虎の蛮絵が施された濃紺の衣に、腰には太刀。格好から察するに千里京を護る衛士えじだ。

 彼は目鼻立ちのはっきりした顔を和ませ、さっと片膝をついて頭を下げた。


「お初にお目にかかります。衛門府が衛士えじ、有馬と申します」


 父親が小野家の屋敷に誰かを連れてくるのは、これで何人目だろうか。最初は見目麗しい貴族の青年が多かったが、それもだんだん雑になり、今日はとうとう衛士になった。


 伽久羅かぐらの国は、みかどを頂点とする律令国家である。先の帝が、地方諸国をまとめ上げ、今の体制を作った。現帝は、それを受け継ぎ発展させていっている。

 昔に比べれば、ずいぶんと平安な世になったと咲良は父親から聞いたことがある。しかし、それでも悪党はいるし、人ならざる魔も出てくる。

 そういった日常の闇から千里京を護っているのが衛門府の衛士たちだ。


 ちらりと父親を見ると、何がどうして自信があるのか、「これでどうだ!」という顔で見返された。


「有馬殿は、西国一の強者つわものと言われる剣の腕の持ち主だ。今までの若者とは、ひと味違うぞ!」

「はあ、」


 確かに、白い顔のへなちょこ公達きんだち(貴族の青年)よりは健康的な美男子ではある。

 けれど、ぶっちゃけ面倒臭い。


「都を護る衛士は、真っ昼間から女に会いに来るほどお暇なのですか?」

「これっ、咲良。有馬殿はこの若さで少将に任じられ、多忙を極めておる中、わざわざ時間を作ってくれたのだ」

「なればなおさらのこと。私との無駄話に付き合う暇はないでしょう」

「失礼なことを言うでない!」


 咲良はふいっとそっぽを向く。


(少将ってことは……従五位くらい? ぎりぎり貴族ってところね)


 さして身分など気にもしないのだが、なりふり構わなくなってきたなと、咲良は思う。

 父親が連れくる縁談相手を「知らぬ」と言って全て追い払っている訳だから、あてがう相手がいなくなってきたと見える。

 目の前の若者は、「西国一の強者つわもの」と言うわりには厳つくない。がっちりと引き締まった体は、確かに衛士のそれであるが、物腰が柔らかで所作も綺麗だ。


(確かに、今までとはひと味違うわね)


 ちょっと珍しい縁談相手に興味が湧いて、咲良は手に持っていたすり鉢とすり棒をことりと置いた。


「有馬……。西にそのような名の土地があったわ」

「はい。私は、その有馬の地の出身です。そのまま出身地の名を名乗っております」

「地方の者なのに、少将に任じられたの?」

「武芸の腕を買われ、左大臣さまの口添えで衛門府に入りました。なので、少将ですが従五位ではなく正六位となります」

「あら、」


 となると、彼はいわゆる貴族ではない。父親のなりふり構わずぶりに感心しながら、貴族でない少将に咲良はさらに興味が湧いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る