第32話

「ヴィンセントさん、大丈夫でしょうか……」

「まだ陛下からのお話が続いているようですね」

 馬車を降り、アルスからヴィンセントは一人で謁見の間に向かったと聞いた。カミラはあとを着いていくわけにもいかず、自室へ戻ってヴィンセントの帰りをリーサとともに待っていた。

(私達が、陛下に内緒でエミリスワンに行ったことが、バレたってことだよね)

どうしようもなく胸騒ぎがして、落ち着いていられない。

(ヴィンセントさんは、こういう事態に備えて手は打ってあるって言ってたけど……)

 そわそわしていると、慌ただしくドアが三回ノックされた。

「オリアンです。カミラ嬢に急ぎのご連絡があります」

「はい!」

 カミラは急いでドアの方へと駆け寄った。ドアを開けると、アルスも憔悴した表情をしている。

「明日の早朝から、ヴィンセントさん含む一部騎士団で、南征へと向かいます」

「えっ!? 明日からですか……!?」

「はい。猶予はないそうです」

 アルスが顔を曇らせる。

「計画では2年かけて制圧するところを、今回は半年で制せよと陛下からご命令がありました。これは、端的に言ってかなり厳しいものになるかと……」

 そこでアルスは言葉を濁らせた。いつもは騎士らしくはきはきとした物言いをするアルスが言い淀むそのこと自体が、この南征がどういうものなのかを物語っていた。

「それって、命を落とすことも、あるってことですか……?」

 カミラは自分の唇が震えているのがわかった。それでも、止められなかった。アルスは口を引き結んで頷く。

「そんな……」

「ヴィンセントさんは夜、この部屋に立ち寄るとおっしゃっていました。どうか、後悔のないように」

 アルスはそれだけ言い残して立ち去ろうとした。カミラはとっさに、その背中を引き止める。

「あの……」

「なんでしょう?」

「アルスさんも、行っちゃうんですか……?」

「いえ。私はここでの業務を命じられました。陛下や周辺諸国の動向を随時知らせて欲しいと。だから……あの人を誰も護れない」

 アルスがはじめてカミラの前で感情を見せたときだった。唇を噛み、眉を寄せた苦しそうな表情。

(アルスさん……本当はヴィンセントさんと一緒に、行きたかったんだ……)

 以前リーサから聞いたことがある。アルスは、ヴィンセントが騎士団に入ってから最初に着いた部下だと。右も左もわからないヴィンセントを、アルスが騎士団の一員として育てたのだと。

「あの人からは、あなたのこともお守するよう言われています。明日からできるだけこちらに顔を出すようにしますので、戦場への手紙がある場合は私が受け取ります」

「はい……ありがとうございます。アルスさんにお渡しできるなら、安心です」

「では、私はこれで」

「はい。伝言、ありがとうございました」

 カミラも笑顔で返すと、少し会釈をしてからアルスは背を向けた。カミラも自室に戻る。後ろで待っていたリーサが、不安そうな顔でこちらを見ていた。

 それを見た瞬間、こらえていた様々な感情が溢れ出す。

「カミラ様……」

「……どうしよう、私が故郷に帰りたいなんて言ったから……」

 カミラは膝から崩れ落ちた。リーサが慌てて駆け寄り、その背中を擦ってくれる。

「カミラ様のせいではありません。ヴィンセント様は、騎士団の副団長でいらっしゃいますから、いつでも命をかけるお覚悟はあったはずです」

「でも……リーサさん、私、ヴィンセントさんを連れて逃げてもいいですか。どうしても、国王陛下の言うことは聞かなくちゃいけないんですか」

「ヴィンセント様は……昔から親子関係で悩んでいらっしゃいました。ですが、お父様へ向ける感情はすべてが負のものではありません。以前、ぽろりと私にこぼしたことがあります。陛下への信頼が今より少しでもなければ、カミラ様を伴ってエミリスワンに逃げていたと」

「え……」

 知らなかったヴィンセントの気持ちを一つ、新たに知る。リーサは昔からずっとヴィンセント付きのメイドだったと聞いたこともある。ヴィンセントにとっては、胸の内をこぼせる数少ない相手だったのかも知れない。

「陛下の政に関する手腕は、一定評価されているのです。今回の南征も、断ろうと思えばいつでも断れたはず。しかし、ヴィンセント様はいつでも南征に行くつもりでいらっしゃいました。それは、カミラ様を愛してもなお、変わりませんでした」

「そ、れは……どういう、意味ですか……?」

 今回のエミリスワンへの旅行で思いが通じ合ったことは言っていない。しかし一方で、二人の間にどういう取り交わしがあってカミラが婚約者の立場を取ることになったのかという詳しい経緯も、リーサは知らされていないはずであった。

「わかりますよ。以前からカミラ様には優しく接していらっしゃいましたが、最近はもう眼差しが違います。カミラ様は純粋ですから、すべて態度から出ていました。私も伊達に年は取っていませんね。お二人の相手を思うお気持ちは、はたから見ていてもよくわかりましたよ」

 リーサがカミラの手を優しく包む。

「ヴィンセント様は、必ず無事に戻っていらっしゃいます。カミラ様を悲しませるようなことはなさいませんから」

「……そうですよね、そう信じます」

 カミラは自分の手で涙を拭い、気持ちを奮い立たせる。

(私より、実際に戦場に行くヴィンセントさんのほうがきっとつらい。こんなことで泣いてちゃだめだ)

「リーサさん、ありがとうございます。さっき泣いたこと、ヴィンセントさんには……」

「ええ。内緒にしておきますよ、もちろん」

 リーサのほほえみに安堵しつつ、カミラも立ち上がる。

(今日の夜、ヴィンセントさんに伝えたいこと……ちゃんとまとめておこう)

 明日の早朝に出るのであれば、今日の夜に長話をしてもヴィンセントの体調に差し障るだけ。カミラはそう思い直すのだった。

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