第30話
夜。カミラは一八まで過ごした自室のバルコニーで、夜の星空を見上げていた。空に縫い付けられた星たちは、今にも地上に落ちてきそうなほど大きく明るく瞬いている。
身体は旅の疲れでくたくただが、夕食の際にみんなで盛り上がった余韻がまだ抜けないのか、自国に帰れた喜びのせいか、どうも気分が高揚して眠れず、ベッドから抜け出してきたのだった。
(今日は、楽しかったなぁ……)
たくさんの郷土料理を用意して、ヴィンセントを驚かせた。もちろんシントレアでは食べないと言われていた根菜の料理もたくさん出した。これほどたくさんの料理が出てくるとは思っていなかった、とヴィンセントも楽しそうにしていた。
好きな人に自分の生まれ故郷を知ってもらうというのが、これほど幸せなことだとは思わなかった。
「カミラ様? また星を見られているのですか?」
声をかけられ振り向くと、メイドのカーリンがこちらの様子をうかがうように部屋の中から覗き込んでいた。
「えへへ、なんだか眠れなくて」
「もう、さっきノックをしたんですよ。何も音沙汰がないから、またここにいるのかなって。カミラ様にお客様です」
「お客様?」
カーリンがそう言うと、奥にいたのだろうヴィンセントが顔を出した。
「ヴィンセントさん! どうしてここに……」
「彼女にあなたの居場所を聞いたらここだと」
カーリンはカミラにアイコンタクトをして部屋を出ていった。
「俺も、そっちへ行っていいか?」
「はい、もちろん!」
カミラが答えると、ヴィンセントもバルコニーの外へ出てきた。そして一緒に星空を見上げる。
「空気が澄んでいて、よく見えるな」
「そうなんです。天気がいいと本当によく見えて。いつまでも見ていられるなあって」
「ああ、本当に綺麗だ」
隣に並んで空を見上げるヴィンセントの横顔を盗み見る。最初の頃はずっと表情があまり変わらないと思っていたのに、今ではちょっとした表情の変化でその気持ちが少しは分かるようになっていた。今は口角がやや上がっているので、心からこの満天の星空を楽しんでいるのだろう。
(やっぱり、好きだなぁ……)
何度蓋をしても、こうしてふとした瞬間に思いが溢れてしまう。そう思ってしまう自分さえ、今は愛してしまえる気がする。
(私はこの人に、一生恋をして生きていくんだ……)
そういう覚悟は、焚き火の前でヴィンセントを抱き寄せたときには、もうできていた気がする。
「いつも夜分に邪魔して悪いな」
「いえ、大丈夫です。眠れなかったので」
「そうか。ならいいが……今日は、あなたに話したいことがあって来た」
「話したいこと?」
カミラは首を傾げる。するとヴィンセントが大きく息を吸って、まっすぐにカミラの目を見つめた。
「俺の、本当の婚約者になってくれないだろうか」
「……え?」
言葉の意味がよく理解できずに、カミラは言葉をなくした。なんとか止まってしまった思考を再び動かして、言葉を紡ぐ。
「そ、れは……どういう……?」
「あなたを父上から預かった身で、だめだとわかりながら、あなたを好いてしまった。あなたのためならなんでもしてあげたいと思った。俺の生涯の伴侶になってほしい」
(う、そ……そんなこと……)
冗談だと思おうにも、真摯な眼差しが、柔らかな表情が、その言葉に全く偽りなどないことを証明するようだった。
「どう、して……」
カミラは自分の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちているのに、ここまで気が付かなかった。ヴィンセントがそれを、前と同じように優しく指で拭ってくれる。
「うん?」
しゃくりあげながら話すカミラの言葉を、ヴィンセントが優しい相槌を打ちながら待ってくれていた。
「あのとき、私……断られたのだと思って……」
「断られた?」
「だって前に……エミリスワンに帰りたくないって言ったらどうしますか、って聞いたとき、時間をくれって……」
「ああ。あなたが帰りたくないと言うなら、それを叶えられるようにするから少し時間が欲しかった」
「……そういう、こと……なんですか……?」
「そうだが……その様子からすると、俺の言葉であなたに誤解を与えたようだな」
ヴィンセントが溢れてくる涙を何度も何度も指先で拭いながら、困ったような表情を浮かべる。
「だって……時間がほしいなんて言われたら……断り文句を考えたいって意味だと思っちゃうじゃないですか……」
カミラがそういうと、ヴィンセントはカミラを抱き寄せた。カミラはヴィンセントの大きな胸にすっぽりと収まり、ヴィンセントを見上げる。
「そうか。それは俺が悪かった。あなたに不安な思いをさせたな」
「私……この間ずっと、ヴィンセントさんのことを諦めようって……」
「諦めなくていい。俺もあなたが好きだ。あなたの気持ちもわかっている」
ヴィンセントがカミラに顔を近づけ、近い距離で見つめ合う。
「俺を、好いてくれているな」
「……はい。好きな気持でいっぱいです」
カミラの言葉にヴィンセントは頷き、鼻先をくっつけてくる。
「口づけてもいいか?」
「……そんなこと、聞かないでくださ──」
カミラの言葉尻をすくうように、唇が重なる。頬に添えられた手から、唇から、ヴィンセントのぬくもりとにおいを感じた。今までに感じたどの瞬間よりも、体が熱く、そして切なさとも言える愛おしさが身体を駆け巡った。
離れがたさを感じつつも一度唇を離し、自分より少し上にあるヴィンセントを見つめる。唇に吐息がかかる距離で覗いたその瞳からは、ヴィンセントのひたむきな愛情を感じられた。その視線がこそばゆくて、カミラは身じろぐ。
「……、何か、言ってください」
「ああ」
ヴィンセントはそう言いながらも、再び口づけを求めた。カミラもそれに応じて、再び唇が重なる。
(好きな人に触れられることが、こんなにも幸せだなんて知らなかった……)
カミラの背中に回された腕も、髪を梳いた指先も、すべてが熱を持つようだった。鼓動が早鐘を打ち、体中の血液がいつもより速く巡って、頬が火照る。
至近距離で目を合わせると、どうしてももっと口づけが欲しくなってしまうから、カミラは少しヴィンセントの胸板を押して顔を上げた。
「なんだか、夢みたいです」
「夢じゃない」
ヴィンセントの指が、カミラの目にかかった前髪をよけた。どんな仕草でさえ胸がときめいて、胸の奥がきゅっと締め付けられる気がする。
「ヴィンセントさん……」
「うん?」
「好き、です。大好きです……」
溢れた思いをそのまま、口にできる。そのことがわかって、カミラはとめどなく愛を伝えたくなってしまった。こぼれていく言葉を抑えることもできず、何度も繰り返してしまう。
「ああ。俺も、あなたがたまらなく好きだ」
その愛の言葉をすべて受け止めるようにヴィンセントが再び抱きしめてくれ、髪をそっとなでてくれる。カミラもヴィンセントの背中に腕を回して、力いっぱい抱きついた。
「本当に、私が婚約者でいいんですか? 後悔しませんか?」
「するものか。あなただからいいんだ」
耳元でするヴィンセントのその声がどこか切実に聞こえて、カミラは言葉に詰まった。勘違いなどではない。この人が自分を、心から愛してくれているのだと、その声音から伝わってくるようだった。
「あなたは、俺の光だと言ったな」
「はい」
「俺の人生の使いどころが見つかったと。俺は、あなたにこの人生を賭したいと思う。あなたのために生きたい」
「ヴィンセントさん……」
少し身体を離して見つめ合う。ヴィンセントの右手が頬に触れ、カミラもその手に自分の手を重ねた。
「私の人生も、ヴィンセントさんに差し上げます。いかようにしてくださっても構いません」
「これからあなたにはたくさん苦労もかけると思う。それでも、いいのか」
「はい。もちろんです、私もヴィンセントさんを支えたいと思っているので」
「そうか。……あなたがいてくれれば、なんでもできそうだ」
ヴィンセントの言葉一つひとつが心にしみる。二人が一緒になると決めても、それで万事滞りなく進むような間柄ではないことはカミラもよくわかっている。どれだけの苦難が待ち構えていたとしても、それにどれだけの逆境が待っているとわかったとしても、一緒にありたいと思う。
(恋って、こんな気持ちにまでなれるんだ。すごい力があるかも)
今一度ヴィンセントと思いが通じたことを噛み締めて、幸せに浸る。ヴィンセントの指が頬をなで、もう一度顔を近づけてきた。
「もうそろそろ寝なくてはな」
「……そう、ですけど……」
カミラはすんなり頷けなかった。もう少し一緒にいたいと思う。しかしそれが顔に出ていたのか、ヴィンセントは困ったように笑った。
「離れがたい気持ちは一緒だ。だが、あなたをこれ以上夜ふかしさせるわけにもいかない」
「そうですよね……」
それでもなお寂しくて言葉をにごすと、ヴィンセントがカミラの額に優しく口付けた。
「これからいくらでも一緒に過ごせる。いいな?」
「はい」
ヴィンセントが身体を離し、カミラの手を取ってベッドまでエスコートする。カミラはヴィンセントにされるままベッドに腰掛けた。そしてヴィンセントを見上げる。
「このこと、明日お父様に伝えてもいいですか?」
「国王陛下には、すでに俺から言ってある」
「えっ? そうなんですか?」
「ああ。あなたは陛下から預かった身だ。それなりの筋を通しておこうと思って」
カミラは二人が向かい合っているところを想像して少しはらはらした。自分の父が親ばかなのを知っているからだ。
「大丈夫でしたか……? 何か変なことを言われたりは……」
「いや。むしろ寛大な言葉を頂いた。あなたの意見を、一人の女性として尊重すると。あなたがあの方に育てられたというのがよくわかった」
カミラの中には、幼少期から自分に目尻を下げて接していた父の姿が浮かんでいる。あれだけ過保護だったのだから、自分を娶りたいという相手にはなにか一言でも言うと思ったのだ。
「あのお父様が……なんだか想像つきません」
「子煩悩な様子は子供にだけ見せるというのも、あの方ならやりそうだ」
カミラが思っている以上に、ヴィンセントはカミラの父を好ましく思っているのだろう。(なんだか、私の知らないところで仲良くなってるみたい)
ヴィンセントと父が手紙でやり取りをしていることも知っているし、その話は何度かカミラとの文の中にも出てきた。しかし、そこに書かれている以上に二人の親交は深かったのだろう。
自分の好きな人たちが親しくしていて嬉しいような、それでいて手紙だけでヴィンセントとそこまでの関係を気づいた父が羨ましいような。少しだけ羨ましさとやきもちが勝って、カミラは唇を結んだ。
「明日一緒に、報告に行こう」
それに気づいたのか、ヴィンセントがなだめるように口角を上げてカミラの口元に指を置く。
「あなたの大事な人は、同じように大事にしたい。でも、一番はあなただ」
カミラのやきもちを見透かしたような口ぶりに、カミラは嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちがないまぜになった。
「おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
ヴィンセントはカミラの髪を優しくなでてから、ドアの方へと向かった。その背中を見つめながら、あの人が自分の伴侶だと、いまだに実感のないことを言い聞かせる。
(すごい、こんなことって本当に起きるんだ)
ヴィンセントが部屋を出たのを見て、ベッドに顔を埋める。幸せな気持ちのまま眠りにつこうと、急いで布団に潜り目を瞑ったのだった。
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