第28話

 その日の夜。

 夜通しで動き続けるわけにもいかないので、火を起こしてみんなで食事を取り、持ってきた最低限の寝具で睡眠を取ることにした。いわゆる野営というものがカミラには新鮮で、護衛の騎士たちもみんな巻き込んで楽しく食事をした。その楽しい時間を終え、今はみなそれぞれ夢の中だ。

 カミラも久しぶりの移動で疲れたのか、騎士たちの心遣いで一番火に近い暖かいところで眠らせてもらえたのもあり、すぐに眠りに落ちた。

(ん……?)

 しかし、どれほど眠ったあとかはわからないが、急に意識が浮上し、騎士たちの心遣いで一番火に近い暖かいところで眠らせてもらえたのもあり、焚き火のぱちぱちという音まで聞こえ始めたとき。うっすら目を開けると、ヴィンセントが座ったまま何かの紙に視線を落としているのが見えた。

(あれ……)

 ヴィンセントも寝ると言っていたはずなのに、と思うと自然に目が開いて、上体を起こした。

「ヴィンセントさん……? 寝ないんですか?」

「……ああ。ちょっとな」

 ヴィンセントはバツが悪そうに手に持っていた紙を内ポケットにしまう。

「さっきのは……」

「……父からの置き手紙だ」

「……私も、そっちへ行っていいですか?」

「ああ」

 カミラは寝床から起きて、ヴィンセントの隣に腰掛けた。

「お手紙には、何かヴィンセントさんが気にするようなことが書かれていたんですか?」

 ヴィンセントが気落ちしているような表情が気になり、カミラは踏み込んでみた。

「まぁ、いつもの父の言葉だ。わざわざ外遊前に書き残しておくような内容かと思って目を通したが、別段変わりはない」

 カミラはこの国に連れてこられた最初、国王陛下と第一王子に婚約の報告をしにヴィンセントとともに謁見の前へ行ったことを思い出した。

 国王陛下も第一王子も、家族であるはずのヴィンセントに辛辣な当たりをし、カミラですらどことなく不信感を抱くような相手であったことは記憶に新しい。

「それって、私が以前聞いたような……?」

「……ああ。ただ、南征に行く時期を早めろ、と」

「その、南征って戦いに行くってことですよね? それは、どうして……?」

「自国の領土拡大のためだ。南の方は未開拓だからな。父は国の強度を高めたいと思っているから、うってつけなのだろう」

「そうなんですね……もうすでに、シントレアってすごく大きな国なのに……。それに、南征ってすごく難しいんじゃ……」

 婚約報告時に聞きかじった情報を思い出す。国王陛下たちの口ぶりでは、かなり苦戦しそうな様子だった。息子であるヴィンセントをそのような難しい戦にすぐにでも向かわせたいというのは、カミラでもどこか不思議に思うものがある。

「南にも、ウォルトレスと同規模の大きな国があるそこも下調べによると、かなり軍事に明るいようだ。武器に使用する金属資源が豊富で人口も多いと聞く。そこを目標としているから、かなり苦しい戦いにはなるだろうな」

「そんな……」

 そう思えば、これまでカミラはヴィンセントに南征の話を詳しく聞いたことはなかった。忙しくしているのは聞いていたが、その戦いの内容までは知らないでいた。

「それってもう、決まったことなんですか? 今からでもやめられたりは……」

「しない。俺個人で決められることではないからな」

「……そんな……」

 ヴィンセントが腕のたつ人間であることは、副団長という肩書からもよく分かる。シントレアの騎士団が強いことも。しかし、不安は拭えない。

「私、ヴィンセントさんがいなくなったら嫌です。絶対に無事で、帰ってきてくださいね」

「……あなたがそう思ってくれるのは嬉しいが、そう思っていない人間もいる。正直、どうなるかはわからない」

(そう思っていない人……)

 それは当然、国王陛下と第一王子だろう。鈍いカミラでも、それはすぐにわかった。

「その……どうしてあのお二人は、家族なのに……ヴィンセントさんのことを、そんなふうに思うんですか?」

 そう言った瞬間、ヴィンセントの瞳が少し揺れた気がした。

「ヴィンセントさん……?」

 嫌な予感がして、カミラはヴィンセントの顔を覗き込む。

「なんでも、私に話してください。ヴィンセントさんがしてくれたように、私もヴィンセントさんを支えたいから」

 カミラがヴィンセントの目をまっすぐに見つめて言うと、どこか観念したというような表情でヴィンセントは口を開いた。

「……父は昔から、俺のことが疎ましかったらしい。母が死んでからはなお、俺との関わりを絶った人だ。どこか俺という人間が憎いのだろう」

「ひどい……ヴィンセントさんは、お父様のことをどう思ってるんですか?」

 カミラの質問に、ヴィンセントは眉を寄せ苦悩しているようだった。初めて見る表情に、カミラは心がえぐられるような気持ちになる。

「……わからない。別に、俺は家族として父が憎いと思ったことはなかった。王としての器を疑うことはあったが……。まぁ、俺は子供ながらに感じていたんだろうな、この人は俺に愛情を向けてくれない人だと。だから、期待するのをやめた」

「そう、だったんですね……」

 言葉にはしないが、それは悲惨な幼少期だったのだろうということは想像に難くなかった。自分の兄はふんだんに父から愛され、信用されているにもかかわらず、いつまでも自分は蚊帳の外。その上頼れる母を亡くしている。

「父は、あんな態度を取りながらも俺を恐れている。騎士団を率いてクーデターを起こすんじゃないかと思っているのだろう」

「ヴィンセントさんがクーデターを?」

 驚くカミラをよそに、ヴィンセントは冷静に地面を見つめていた。

「正直な話、全く考えないわけではない。だから、父は俺を警戒している。ああ見えて父は、国民の反応をよく観察している。今回あのような形でのデビュタントを許したのも父だ」

「えっ……そうなんですか? 意外……」

「国民の鬱憤を、少しガス抜きしたというところだろう。明るい話題でもなければ、すぐに反逆の兆しが芽吹いてくる」

 そのこともまた、カミラにとっては意外だった。貴族階級以上、しかも王家が下級国民の意志を気にすることなどほとんどないのが普通だ。国民の感情を気にして動く必要がないほど、貴族とそれ以外では力が違いすぎる。

「シントレアは大きな国だ。人口も多い。だがその歴史は、クーデターによって何度も塗り替えられている。歴史書を読むのが好きな父は、そのあたりのバランス感覚には優れているのだろう」

(そうだったんだ……知らなかった……)

「俺はあの人の手駒の一つだ。政治を乗りこなすための。身内殺しは悪評を呼ぶことが多い。だから、俺を南征に行かせて公には戦死したのだという見せ方をしたい。手駒の処分の仕方を考えているだけのこと」

「それって、そういうことだったんですか……? そんな、それじゃあまりにもヴィンセントさんが──」

 かわいそう、と言いかけて、カミラは息を止めた。ヴィンセントが唇を歪ませている。

(今、ヴィンセントさんに必要なのは同情なんかじゃない)

「ヴィンセントさん」

 カミラは隣からヴィンセントを抱きしめた。

「私は、ヴィンセントさんの味方です。この先もずっと、何があっても」

「……」

 ヴィンセントは何も言わなかった。それでも、カミラには触れたところからヴィンセントの気持ちが伝わってくるような気がする。

(ヴィンセントさんは、いろんなものとずっと一人で戦ってきた……私がその重荷を、少しでも分けて背負ってあげられたら……)

 揺れる火を見つめながら、カミラはずっとヴィンセントを抱きしめていた。

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