第26話
ぽろりぽろりとカミラが涙を落とした。ヴィンセントはその涙を親指で拭う。自分の中にある彼女への庇護欲を感じた。それと同時に、彼女はこれまで一生懸命背伸びをして生活をしてきたのではないかという思いも出てきた。今まではなんでも聞き分けのよい、柔軟な様子を見せていた。しかし、今ばかりは違う。少し頑なで、自分の意志をはっきり持っている。
「……きっとしますよ。私、知りませんからね」
「ああ」
「その……私のこと……婚約者なんて肩書で、変なものを預かってしまったと思っていませんか?」
(変なもの……)
妙な言い回しも、今は飾らない言葉で話してくれているからだと感じる。ヴィンセントも、素直で飾らない言葉を用意しようと思った。
「変なものを預かったとは全く思っていない。むしろ、俺にとって、あなたは光だ。あなたのおかげで、自分の人生の使いどころがわかった気がする」
ヴィンセントは自分の人生を思い返していた。不遇な第二王子に生まれ、常にさまざまな噂と悪意に接してきた。半ばやけになって騎士団に入り、のぼりつめては来たものの、どこかこの命を持て余してきたように思う。違和感を覚えていた国の構造も、王家のあり方も、カミラが行く先を提示してくれた。
「人生の使いどころって……?」
不安そうにカミラがこちらを見てくる。
「悪い意味ではない。あなたのおかげで今、俺は自信を持ってここに立てている。あなたを無事にエミリスワンに帰してあげられるよう、国同士の軋轢も今、解消しようとしているところだ」
「そうだったんですね……ありがとうございます。その……」
「うん?」
「……私が、エミリスワンに帰りたくないって言ったら、どうしますか」
「……」
(それは、……俺と同じ気持ちを持っていると思っていいのか?)
考えている間にも、カミラはあわあわとさっきの言葉を撤回しようかどうかと悩んでいるようだった。しかし、ヴィンセントはもう聞いてしまった。その言葉の意味がわからないほど鈍感でもない。今までは彼女の心など見えないものとして、自分がどうしたいか、彼女に何をしてあげたいのか、ばかりを考えてきていた。つまるところ、彼女が自分に対してどういう感情を向けているのかを、はかったことがなかった。
(……ここで、打ち明けてしまおうか)
「いや! やっぱりすみません、さっきの質問はなかったことにしてください! 変なこと聞いてすみません。もう私、寝ますね! 遅い時間まで付き合わせてすみませんでした」
カミラは一息でそうまくし立てると、ソファに置いてあったクッションを取り上げて、顔を正面からすべてうずめた。
(……息はできているのだろうか)
ヴィンセントがクッションをどけると、カミラは真っ赤な顔でこちらを見上げてきた。
(俺は、こんな未来を想像したか?)
彼女の抑え込んでいた気持ちが、溢れた瞬間を見てしまった。
(もう、知らなかったときには戻れないな)
カミラの父にまずは伝えて、娘さんを本当の婚約者にしていいかと問わなければならない。それから王家にもそのことを伝え、説得する。何度も文通してよく知り合った相手といえども、エミリスワンとシントレアの国家間の関係にも差し障ることだから、慎重に動かなくてはならない。
(手紙で知らせるよりも、実際にエミリスワンに行ったほうがいいか)
以前からカミラを一度帰郷させてあげたいと思っていた。すべての手はずを整えて、彼女に自分の気持ちを伝えようと思う。
「あなたの気持ちはわかった。少し時間をくれないか」
「……はい……」
もう少しここにいたい気持ちがありつつ、やはりカミラの睡眠の邪魔をすることを考えると、割けるべきなのだろう。すぐにでも取り掛かりたい準備はたくさんある。ヴィンセントはそう思い、ソファから立ち上がった。
「遅くまで邪魔したな」
「いえ、とんでもないです。お話聞いてくださり、ありがとうございました」
「いや。また、今日みたいにたまに話しをしに来てもいいだろうか」
「はい。もちろんです」
「ありがとう。では、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
カミラの笑顔を焼き付けて背を向ける。歩きだしても、すぐに足を止めたくなる。しかしそれはできずに、カミラの部屋を出ていった。
翌日。
カミラは眩しい日差しに照らされて目覚めた。数回瞬きをして、自分の目が腫れているのがわかった。
(やっぱり、腫れちゃったか……)
できるだけ目をこすらないようにしたのだが、それだけでは防げなかった。ゆっくりと上体を起こし、深く息を吐いた。
(ヴィンセントさんの気持ちはわかった。もう、これが叶わない恋だってことも)
昨晩、カミラは思い余ってヴィンセントに自分の気持ちを伝えてしまった。ヴィンセントがカミラを無事にエミリスワンに帰す、というから、帰りたくないと、率直に思ったことを口走った。
しかし、ヴィンセントの答えは時間をくれ、と言った。
(……時間を置いて、変わることってあるのかな?)
傷つけない言い方を考えようというような配慮はいらない。だめならだめだと、きっぱり言い切ってくれたほうがよかった。
(でも……光だとは、言ってくれた)
それは、カミラにとっても嬉しい言葉であった。自分がヴィンセントの希望になっている。自分がエミリスワンの出身だから、なにか寄与できたことはあるだろう。
(それだけで満足しよう。エミリスワンに帰っても、ヴィンセントさんと文通でも続けられたらいいな……)
思いを知れたことを、前向きに捉えたい。カミラは指で口角を上げて笑顔を作り、それからいつもの朝支度に入った。
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