第25話

 その日の夜。

 ヴィンセントはカミラの部屋の前まで来ていた。一息ついてから、いつものように三回ノックをする。

「どなたですか……?」

 中から不安そうなカミラの声が聞こえてくる。それを聞いて、ヴィンセントは少し安堵した。前回不用心だと注意したことを、カミラが守ってくれていた。

「俺だ」

「あっ、ヴィンセントさん!」

 声だけで不安そうな様子から、明るくなったのがわかる。そして足音が聞こえて、ドアを開けた。

「どうしたんですか?」

 不思議そうな彼女の顔を見ると、自分の中にあった張り詰めたものがほどけていくようだった。無意識にどこか神経が高ぶっていたのかもしれない。

「いや、あなたの顔が見たかった」

「……ありがとうございます。中にどうぞ」

 少し照れた表情で部屋の中に入れてくれる。その様子を見るだけで、今日のアルスの言葉を実感してしまう。

(やはり、これは恋だな)

 意外と冷静に、その事実を受け止めていた。もはや動揺もない。アルスに言われるずっと前から、この感情があったような気がする。

「明かりをつけますね。少しお待ち下さい」

 部屋の明かりがすべて消されているところを見ると、もうすでに就寝していたのだろう。今日は月明かりが明るいからまだ手元も見えているが、月のない夜は目も慣れないほど真っ暗になる。ふいにそんな暗がりで眠っている彼女のことを想像して、胸が痛くなった。寂しい思いを抱えて、暗がりの中で眠る。そのことがどれほど怖いか、ヴィンセントは幼少期に嫌というほど思い知った。母が病で命を落とし、父もそれから目をかけてくれず、ただ黙って一人寂しさに耐えながら過ごす夜を幾度過ごしたか。

 カミラが手際よく灯りをつけたおかげで、部屋は互いの顔が見えるほど明るくなった。

 ヴィンセントが目線でソファに座るよう促すと、カミラは素直にそれに従った。そしてヴィンセントもその隣に腰掛ける。

「夜分にすまない」

「いえ、大丈夫です。どのみち眠れなかったので」

「眠れなかった? 何かあったのか?」

「あ、いえ、大したことではないんですけど……!」

 カミラはどこか無理に笑っているようだった。その姿に胸を打たれてしまう。

「俺で良ければ、話してくれないか。あなたの力になりたい」

 ヴィンセントがそう言うと、カミラは困ったように顔を伏せた。

「その……ヴィンセントさんにだけは、言えない話っていうか……」

「……それは──」

「あ! でも、その、不満があるとか、悪いこと? とか、そういうことでは全然なくて! なんていうか、ちょっとした私だけの悩みというか……こういうの、なんて言えばいいんですかね」

「……深く聞かないほうがいいか?」

「正直……自分でもよくわかりません。本当なら、ヴィンセントさんに聞いてしまいたいけど、聞いたら私がだめになるような気もして……」

 おそらくカミラの思っていることは、自分なら解決ができる話なのだろうと思う。しかし、迷惑をかけたくないとか、無理をさせるかもとか、そういう余計な心配事が邪魔をしているのだろう。だとしたらそれをすべてどかして、彼女の本音と向き合いたいと思った。

「無理にとは言わない。ただ、俺があなたに何かしてあげたい。あなたが眠れない夜を過ごすのは、俺もつらい」

「ヴィンセントさん……」

「俺でどうにかできることなら、話してくれないか?」

 カミラの膝に置かれていた手を包み、優しく訴えかける。カミラは目を伏せて、どうしたらよいのか、考えているようだった。少しでも言いやすいように、ヴィンセントは選択肢を与えようとする。

「エミリスワンから離れて寂しいか? この先のことが不安だとか。あとは……今の待遇に不満があるとか、もっと些細なことでもいい」

「……本当にいいんですか」

 ヴィンセントを見上げた瞳の縁には、涙が光っていた。ヴィンセントは内心驚きつつ、平静を装う。ここで自分が動揺してはならないと思った。泣くほど彼女が思い詰める何かを、自分が見逃していたことにも後悔した。もっと早いうちに聞いてあげれば、なにか変わっていたかもしれない。少なくとも、ここまでにはならなかっただろう。

「ああ、もちろんだ」

「聞いたら、後悔するかもしれませんよ」

「しない」

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