第6話

「ちょっと、緊張します」

 もうすぐ部屋にヴィンセントが来るとアンナから聞いて、ソファに座ったカミラがそばに立っているリーサに不安を漏らす。

「大丈夫です、ヴィンセント様は決して冷たい人ではありません。少し、愛想がないだけで……」

「それはそれで、緊張が増すんですけど……」

「でも、怖くはありませんよ。お心はすごく優しいのです。落ち着いて、のぞんでください」

 ちょうどリーサがそう言い切ったとき、ドアが3回ノックされる。

「ヴィンセント様がいらっしゃいました」

 代理の執事だろう、年配の男の声がする。カミラはかすかに震えた声で返事をした。一拍おいて、ドアが開く。カミラはすぐに立ち上がり、視線を伏せた。それほど親しくない間柄の相手が目の前に来るまで見つめ続けるのは、エミリスワンでは無礼とされている。雪国で服の着脱に時間がかかるため、その様子をまじまじと見るのは不躾だというのがその教えである。

「お待たせいたしました、カミラ様。本日は婚約のお取り決めを行いたく参りました。遠路はるばるお越しいただきましたのに、その疲れもとれぬ間に申し訳ございません」

 執事が恭しく頭を下げる。

「わたくしの方こそ、正式なご挨拶もできず恐れ入ります。カミラ・アップルトンと申します」

 カミラはエミリスワン式のカーテシーをし、ヴィンセントと執事へ順に目配せをする。それから執事の方を見た。これもエミリスワンでは自分より位の高い他所の者とは、失礼にあたるため、使いの者を介して話をするのが礼儀である。

「まずは簡単にヴィンセント様のご紹介を。シントレア王国王室アーチボルド家の、第二王子でいらっしゃいます。アーチボルド家では、現在国王陛下と、第一王子であるフィリクス様が王政を取り仕切っております。第二王子であるヴィンセント様は、現在他国侵略および領土拡大のお仕事を担われており、大変お忙しい方であります」

「そう、なんですね……」

(他国侵略……それが今回は、エミリスワンだったということ……)

 自然と表情が暗くなったカミラを心配したのだろう。執事が眉を寄せて気遣う様子を見せた。

「カミラ様にとってはお辛い話をしてしまいましたが、これが現在のヴィンセント様のご紹介です」

「ありがとうございます」

「そして、大変恐縮ですが、これよりシントレア式でお話させていただけますでしょうか」

「はい……」

 するとヴィンセントが一歩前に進み出てくる。

「立ってする話ではない」

 そう言いながらヴィンセントがカミラにソファに座るよう促す。カミラは恐縮しながらソファに腰掛けた。

「婚約の話は俺からする」

「はい……」

「俺の婚約者になってほしい。それ相応の待遇も約束しよう。この国で生きるには、悪い話ではないと思うが、どうか」

「あの……」

「なんだ」

 カミラは一瞬逡巡したあと、昨日の父からの手紙を思い出して言葉を選んだ。

「ヴィンセント様は、私の父からのお願いで婚約するという選択をされたんですよね」

「……」

「私の処遇をよくするために……それで本当にいいのですか。私は捕虜としての扱いで全然構いません。意に介さない婚約をヴィンセント様に強いるくらいなら──」

「誰がこの婚約を、俺の本意でないと言った?」

「え……?」

「俺はこの婚約を、なかったことにする気はない。あなたには、俺に一生添い遂げてもらうつもりでいる」

「そ、れは……」

「あなたがそれを望まないなら、無理強いはしないが」

 ヴィンセントにまっすぐ見つめられ、カミラは言葉に詰まる。

(ヴィンセント様は、本気でこの婚約話を勧めるおつもりなの……?)

「私が相手で、本当にいいのですか」

「さっきからそう言っている」

「でも、私のことは何も知らない状態で……」

「これから知っていけばいい」

(……リーサさんの言ってたこと、本当だ。すごく、優しい人……)

 向けられた視線の温かさに、カミラの胸がとくりと鳴る。

「……それであれば、もう私から言うことはございません。ヴィンセント様に、一生添い遂げて参ります」

「……本当に、いいのか」

「はい。私のことを思ってご提案いただいた以上、私に断る権利などありません」

 カミラとしては、それが当然の判断だった。自分を気遣って婚約までしてくれようとする相手を、無碍にはできない。相手の寛大さを見せてもらったからこそ、自分のほうがそれに応えるべきなのである。

「……わかった。では城内にもそのように知らせよう」

「ありがとうございます」

「午後には、父と兄にも直接それを伝えに行く。悪いが、同行してくれ」

「はい」

 話が終わったのか、ヴィンセントが立ち上がった。カミラもそれにつられて立ち上がる。

「それと、もっと気軽に呼んでくれ。婚約者からヴィンセント様と呼ばれるのは、どこか居心地が悪い」

「ですが……では、ヴィンセントさん、とお呼びさせていただいてよいでしょうか」

「……ああ、まずはそれでいい」

 ヴィンセントはそれだけ言うと、執事に何かを伝えて、一人で部屋を去ってしまった。

 残った執事がにっこりと、カミラを見つめてくる。

「ヴィンセント様が、そのリボン、よく似合っていると、おっしゃっていました」

「え……」

「あとの処理は私が代わらせていただきます。婚約証明書にサインをいただけますか」

 再び執事に促されながらソファに腰掛け、テーブルに置かれた婚約証明書を眺める。

(ヴィンセントさん、リボンのこと褒めてくれたんだ……)

 それだけで、少し頬が上気する。

「ではまずはこちらに……」

 執事の話を聞きながらも、リボンを褒めてくれたその言葉を、カミラは何度も頭の中で反芻していた。



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