第4話
それからどのくらい経っただろうか、人の声が聞こえた気がしてカミラはうっすらと目を開けた。
(寒い……こんな時間に誰……?)
頭を上げると、自分の牢屋の前に一人の男が立っているのが見えた。カミラの心臓がどきりと高鳴る。
(私、何かした? まさか、今から働くの? 今は何時……)
「起きているか」
「はい……」
自分に呼びかけている以上、無視はできない。カミラは返事をする。
廊下の上部にある小窓から月光が差し込み、顔は詳しく見えなかった。
「このような待遇で悪かった。ここを出して部屋に案内する」
「え……?」
「少し待っていろ」
男は手に持っていた鍵束から、牢屋の鍵を探し出し開ける。
腰をかがめて牢屋の中にためらいもなく入ってくると、カミラのそばにしゃがみこんだ。
そして上着を脱ぎ、カミラの肩にかけてくれる。人肌の温度を保った上着は、温かかった。
「身体は痛くないか」
「はい……」
「いや、痛いに決まっているな。気を使わせてすまない」
「あ……こちらこそ、なんだかすみません」
しゃがみこんだことにより逆光がなくなり、顔が近い距離で見えた。
(この人……あのときの……!)
カミラがエミリスワンへの襲撃中に、子供を助けた際家に突撃してきた男だ。
(どうして……?)
戸惑うカミラをよそに、手錠のはまった手を取られる。その手は温かく、冷えたカミラの手にはじわりとした。男はカミラの手を包む。
「……冷たいな。もっと早く来られたらよかったのだが」
「いえ……」
男性とこの距離で二人きりになったことのないカミラは、自分の心拍数があがるのがわかった。
男は手錠の鍵を外し、カミラの手を取って立ち上がる。カミラも一緒に立ち上がった。
「こんなところで言うのも何だが……俺の婚約者になってほしい」
「……え? こんやく……?」
あまりに唐突な言葉に、脳の理解が追いつかない。この状況下にもっともそぐわない幸せな言葉。
「あ、あの……それは一体どういう……?」
カミラがいうと、男は牢屋の鍵に手をかけた。かちゃり、と鍵が開く音がする。
「詳しい話は明日する」
「はい……」
ためらいもなく牢屋の中に入ってくると、鍵束の中から小さな鍵を取り出して、両手にかかった手錠と、足に繋がれていた鎖の鍵を外してくれた。
(この人のこと、本当に信用していいの……?)
これは罠で、後々脱獄犯として吊るし上げられるのではないか、甘言で連れ出し、何かひどい折檻を受けるのではないか、など様々な予感がカミラの頭の中を巡る。
心が揺れるが、こうなってしまえばもう、従うしかない。
「あの……ありがとうございます」
「礼はいい。あまり大きな声を出すなよ。俺について来い」
「はい……」
控えめに返事をして、男の後ろを歩く。後ろから身なりを見てみると、どこか上等なもので身を固めているのがわかった。皺のない美しいシャツ、本革のブーツ、大きな剣を帯びている。カミラにかけられた上着も、上質な布で作られたものに違いなかった。
(この人、もしかして地位の高い人なのでは……)
そういう人が一介の捕虜に結婚を申し込むというのは、深い事情か裏があるに違いないと思った。
(でもこの人についていくこと以外、今は何もできない)
牢屋の小窓から月明かりが差し込んでいる。まだ外は夜中らしい。
牢屋を抜けると、そのまま外に出て巨大な城の方へ向かう。
(大きなお城……うちとは大違いだ)
城塞と化していて、一国を築いているエミリスワンも巨大だとは言われているものの、それを遥かに凌駕する大きさであった。
(さすが大国、シントレア……お城も大きいんだ)
城塞の役割を担っていたエミリスワンの城と違い、シントレアの城は国王陛下の金と権力を見せつける役割も持つ。
長い廊下を歩いていると、見回りをしている衛兵と思われる者たちにも何度か会った。そのたびに、彼らは男に対して気合の入った敬礼をする。
(やっぱりこの人、偉い人だ……絶対)
身なりを見ただけでも感じ取れたが、さすがにここまでくると確信する。
階段を登りきって少し歩くと、男が振り返った。
「ここがお前の部屋だ。好きに使え」
「え……いいのですか?」
「ああ」
男が部屋のドアを押し開ける。中には壁一面にめぐらされた本棚と衣装タンス、天蓋付きベッドにテーブルとソファがあった。エミリスワンにいたときのカミラの部屋の5倍はある。
「そ、そんな……恐れ多いです」
「さっき言っただろう、俺と婚約してくれと。そう思う相手に対する相応の待遇だ」
「え……あの、それは……どういう意味ですか」
「そのままの意味だ」
「それは、どうしてまた……どんな事情が……?」
「……事情などない。とにかく今日はよく休め」
男はそういうと、そのまま背を向けた。
「あっ、待ってください!」
「……なんだ」
「あの、あのときは目こぼしをしていただき、ありがとうございました。おかげで、助かりました」
「女子供を殺す趣味はない」
カミラから目をそらしてそっけない回答をしたが、彼なりの照れ隠しのようだった。
「それでも、ありがとうございます。あと……お名前を教えて下さいませんか」
「……ヴィンセントだ。ヴィンセント・アーチボルト」
「ヴィンセント様……ありがとうございます」
「……」
静かに頷いて、ヴィンセントは部屋を出ていった。
(ヴィンセント様……すごくいい人だった……)
婚約者になるというのは、まだよくわからない。それでも、ヴィンセントが優しくしてくれたことだけは、カミラの心に強く残った。
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