幼馴染と卒業するお話

もやしのひげ根

卒業


 

 俺は逃げていた——逃げようとしていた。なんだアレは。

 巨大な桃のような物体がこちらに向かって転がってくる。逃げようとするが体が重くて思うように動かない。

 ヤバいと思ってもどうすることもなく、俺は押しつぶされて——

 

 

「——っ!......あー、夢か」

 

 生きているということに安堵の息を吐く。なぜあんな夢を見たのか......。そんなの分かり切っている。

 視線を向ければ俺の胸の上には、スヤスヤと寝息を立てている物体。

 

 その正体は隣の家に住む同い年の女の子。まぁ所謂幼馴染ってやつだ。

 小さいころは甘えたで泣き虫で......俺があやしながら一緒に寝ていた。朝になれば元気いっぱいで俺が起こされる側だ。

 それが気に入ったのか一緒に寝ない日も起こしに来るようになって、今でも毎日続いている。......そう、毎日だ。

 平日だろうと土日だろうと夏休みだろうと関係ない。毎日朝7時に俺の部屋に突撃して来るのだ。

 平日はたたき起こされて学校へ行くのだが、土日などはこうやってベッドにもぐりこんできて寝ていやがる。起こしに来たんじゃないの?

 しかし人の体というのは当然成長するもので、体は大きくなりどんどん女らしくなっていく。成長期ってすごいよな。

 あ、ヨダレ垂れた。中身も成長してほしいものだ。

 

「こら、起きんか。琴美」

 

 やわらかいほっぺたを抓る。

 

「んむぅ......あと5日ぁ......」

 

 いや長ぇよ。しかも起こしに来た奴が言うセリフじゃねえだろ。

 そんなに寝られたらヨダレの水たまりがダムになってさらに決壊する恐れまである。

 ......仕方ない。今日もアレを使うか。

 

「琴美、起きたら頭撫でてやるぞ」

「んっ!起きた!」

 

 ガバッと顔を上げて俺を見つめて笑う琴美。反応が早すぎる。起きていたのかと疑いたくなるが、だらしなくヨダレまで垂らしてたしそれはないか......。

 

「おはよ!翔馬!」

「おはよ。ったく。これじゃどっちが起こしてるんだか分かんねえな」

「いいじゃん。だって翔馬の胸って寝心地いいんだもん。それより起きたから撫でて!」

「はいはい」

 

 別に鍛えてるわけでもないし普通の胸なんだけどなぁ。 

 少し乱れた琴美の髪を整えるように優しく撫でる。サラサラで柔らかい黒髪。

 その内にあるのは小さく整った顔立ち。琴美は贔屓目無しに見ても美少女だ。

 学校でもモテるが、実際はヨダレ垂らして寝ているなんて知ったらガッカリする奴もいるだろうな。

 

「俺達ももう高校生なんだし、もう起こしに来なくてもいいんだぞ?」

「ダメだよ!おばさんにも頼まれてるし、これは幼なじみの特権なんだから!」

「そうは言ってもなぁ......」

 

 義務じゃなくて特権なのか?

 俺が寝坊しないように起こしに来てくれるのは助かるのだが、年ごろの男女だということをそろそろ認識してほしいものだ。

 

 我が家は共働きで両親ともに朝が早い。6時半くらいには家を出てしまうので俺が起きるころにはすでにいない。

 いつの間にか合鍵も持っており、母さんも会うたびに「いつもありがとね~」なんてお礼を言っている。

 俺が何もしないと信頼しているのかヘタレだと思われているのか......後者の可能性の方が大きいな。

 

「それとも翔馬が嫌なら、私と——幼馴染卒業しよっか」

 

 そう言った琴美は、どこか寂しげな表情をしていた。

 

「卒業?んなどこぞのアイドルじゃないんだから」

「ううん、卒業でいいんだよ。終わりじゃなくて、次のステップに進むの。だから、卒業」

「次......?」

「私を......翔馬の彼女にして?」

「——っ」

 

 ずっと変わらないと思っていた。このまま俺たちは幼馴染でいるんだって。

 中身はいつまでも変わらないと思っていたけど、子供だったのは俺の方か。

 変わらないと思い込んでいたのはそうあってほしかったから。変わってしまうのが怖かったから。

 

「そんなに驚くこと?昔言ってくれたじゃない。泣き虫卒業したら結婚してやるって」

「バッ!おま、そんな昔のこと......」

 

 たしかにしょっちゅう泣いてばかりだった琴美をどうにか泣き止ませようと色々と言ったりして、その中にそんなのもあった。

 だがそれは幼稚園の頃とかの話で、高校生になってまで引っ張ってくるなんて夢にも思っていなかった。

 

「あれあれ〜?翔馬照れてるの〜?......私はね、翔馬のこと好きだよ。昔も今も......これからも。翔馬は私じゃ、嫌?」

「......嫌なわけねえだろ。何年一緒にいると思ってんだ。嫌ならとっくに突き放してる」

「んふふ。だよね〜!ね、翔馬からも言って欲しいな〜。愛してるって」

 

『好き』の一言すらまだ口にしていないのに、なぜ俺だけ『愛してる』なのか......。ハードル高すぎてくぐれちゃうんだが?

 

「......俺も好きだよ」

「もっかい」

「好きだ、琴美」

「んふふっ。私もだーい好き!」

 

 琴美が俺に抱き着いて胸に頬をスリスリしてくる。可愛いかよ。

 今までも可愛いとは思っていた。でも好きという気持ちを押さえつけて幼馴染として見ようとしていた。

 それが解き放たれて彼女に昇格した今、好きと可愛いが溢れてくる。

 

 ただひとつだけ難点があるとすれば、いまだここがベッドの上だということだ。

 このままくっついているのもそりゃ嬉しいけど、そろそろベッドから出ないと俺のパトスが迸って神話黒歴史になっちゃう。

 

 

 

「ね、翔馬」

「ん?」

「......彼女卒業も楽しみにしてるねっ」

 

 こいつはホントにもう......。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼馴染と卒業するお話 もやしのひげ根 @j407m13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画