しゅうまつとらべる
柚風路
しゅうまつとらべる
それは、いつも通りの作業中。
「お花見に行こうよ」
朗らかな声が、二人ぼっちの部屋に響いた。何の返事もしたくなくて黙っていると、同じ言葉がリピートされる。
「ねーえ、お花見行こうって!」
「嫌です。なんでまた、そんな」
「なんでってそりゃあ、春だからでしょ!」
否定のつもりで言ったついでの一言が、どうやら目の前の彼にはただの質問に聞こえたようだった。言語というのは難しいものである。
「もう三月も終わりだよ、早くしないと桜が散っちゃう」
「そうだったんですか」
それは本心だった。最近は日付の概念すら忘れていたし、そもそも気にする余裕もなかった。そんな事情も知らず彼はむくれる。
「風情がないなぁ、ノアったら」
「キリオさんにありすぎるだけです、よくこんな時に花見だなんだ言えますね」
「だって君、今までずっと眠ってたんだよ? それなのに起きて早速引きこもって……たまには外に行くのも気晴らしになるでしょ。ノアにとっては初めての外出だし」
「……しょうがないですね、少しだけですよ」
「やった、じゃあ行こう」
そうして何も考えずに扉を開けようとする彼の手を、私はすんでのところで掴んだ。
「待ってくださいキリオさん、まだ防護服を着てません」
「あぁ、そうだったそうだった」
忘れていたのか、とため息が出る。現在の大気や飛来物が人間に有害だと言ったのは、先に目覚めた彼なのに。
「ノアを試したんだ、ちゃんと覚えているかをね」
私の怪訝な目線に気付いたのか、彼はそう笑いながらロッカーを開けて防護服を取った。
「それより、まだ『兄さん』と呼んでくれないのかい?」
「当たり前です、私は貴方を兄とは認めていません」
そんな会話をしていると、出会った時の情景が脳裏によぎる。初めての部屋と、初めてじゃない声。
――ノア、僕はキリオ。君の兄さんだよ。
「いつかは認めてくれる?」
「予定はありません」
……〇……
「ノア、初めて見た外はどう?」
「最悪ですね、キリオさんの話の四〇パーセントほどは誇張だと思っていたので」
二一〇三年の三月――彼が言うには、それからもう数十年が経ったそうだが――私たちのいた国と、何処かの外国とで大きな戦争が起きたそうだ。
彼が言うには、きっかけは本当に些細なことであったらしく、その割に最後は当時の科学者が額を集めて作った爆弾で世界の殆どを派手に巻き込んだという。残った施設はたったの数か所で、その中の一つがここ、私たち二人のいるシェルターであるとも。
伝聞であるのは、当時存在していたはずの私に――生活で精一杯だった上に、途中で休眠したので――記憶があまり無いからである。だからこそ、心の隅で誇張ではないかと期待していたのだが。
瓦礫の間を踏み分けるようにして進む。思っていたより物が散乱しているが、日が差して足元が見えるのが不幸中の幸いである。さもなければ転ぶどころの騒ぎではなかっただろうと思いつつ折れた電柱などを見ていると、ずんずんと前を歩いていた彼がふとこちらに振り返った。
「はは、よろよろしてるね!」
「まだ慣れてないだけです、キリオさんとは違って初めてなんですから」
私たちはこの世界で生き残るため、目覚めてからずっと周囲の環境を探索していた。外へ出て計測や見回りをするのが彼、持ち帰られたデータをまとめたり資料を読んだりするのが私である。今までの分、彼のほうがこの地形に慣れているのだ。
「それはそうだ。どうする、兄妹らしく手でも繋ごうか」
「嫌です」
「冷たーい」
なんでもなく返事をしたが、私の心には久しぶりに聞いた手を繋ぐという言葉が残った。そういえば、幼いころにはどこへ行くにも兄と手を繋いでいた。
兄の手は優しくて、温かくて、どんな不安もすぐに消えて行ってしまったのを覚えている。そんな兄は、もう。
「ノアー! 大丈夫、本当に手繋ごうか?」
感傷を吹き飛ばすような大声に頭をがんがんと揺らされてはっとする。前を見ると、もう随分と彼は進んでいる。
「……嫌だって言ってるでしょう!」
負けじと叫んだ声は、彼よりもはるかに小さかった。
……〇……
「ところで、本当に桜なんてあるんですか」
外に出てからずっと気になっていたことを、彼の背中に投げかける。有害な大気に瓦礫の山、こんな中で植物が大きく育つようには思えなかったのだ。
「それがあるんだよ、この目でちゃーんと見たもんね!」
彼はそう言って大仰に振り向く。私の疑わしげな目線も意に介せず、彼はこう続けた。
「それに、どうやら僕らの家の辺りにあるみたいなんだ。きっとあの桜並木だよ、川辺にあった!」
「……! ありましたよね、端に大きい鉄塔が立ってる」
懐かしい情景が浮かぶ。家族で、毎年のように行った所。
「ほら早く、あとちょっとだよ」
そう言う彼の姿が兄に重なる。今ならああ呼べるかもしれないと思った時、視界が急に開けた。瓦礫の山が急に途切れたのだ、私はわくわくしながら顔を上げた。
目の前にあったのは桜ではなかった、いや、私の視力が悪かったら桜に見えたのかもしれない。
それは頂点から四方八方に裂けた鉄塔だった。熱を浴びたのか、末端は枝のように溶けている。花に見えるものは白い灰だった。戦争を殺した爆弾の実験記録が思い出される。爆発後に白い灰が降った、という記述。
「もしかして、間違えちゃったかな」
計測器の異常値をそこで初めて見たのだろう、彼が気付いたように呟いた。
「そうですね」
「ごめん、いつかやるとは思っていたんだ」
突貫で作った画像処理システムだったから、と彼は眼の代わりのカメラを撫でた。声も名前も、性格も兄と同じ彼はその瞬間に合金製のアンドロイドに戻ってしまった。
……〇……
兄は優秀な科学者だった。物理、特に機械工学を専門としていて、ときどき私に研究の話をしてくれた。分かりやすく面白く、たまに誇張も交えたその話はその分野に詳しくない私にも楽しいものだった。何より、楽しそうに話す兄の姿は何よりも印象的だった。
ある日、戦争が始まって兄は『兵士ではない役割』として国に呼ばれたと聞いた。寂しがる私の頭をいつもの優しい手で撫でて、すぐに帰ってくるからと兄は家を出た。
私の最後の記憶はそれで、次に繋がるのがシェルターでの目覚めであった。
「ノア、僕はキリオ。君の兄さんだよ」
兄とは似つかない顔のアンドロイドが兄と同じ声で兄を名乗った時には何かの悪夢かと思った。私はシェルターで戦争が終わるまで眠らされていたこと、キリオは爆発で亡くなるであろう自分の代わりにと兄が記憶と最低限の機能を積んだ、言ってしまえば兄の代替であることを知るのはそれから少し後のことである。
冷たい金属の手に、表情のわからない見た目。出会った時から、私は彼を兄と思えなかったことを覚えている。
……〇……
「ごめんね、せっかくお花見に来たのに」
「なんで謝るんですか、私は行きたいなんて一度も」
申し訳なさそうな声で言う彼にそう返すと、彼はもごもごと口ごもった。
「いや、だって……帰ってきたらお花見に行こうって言ったのは、ノアだったからさ」
覚えてないかな、と尋ねられた私の脳裏には、ある映像が流れていた。国の役人に連れていかれる兄の背中に投げかけた言葉。振り返って、優しく笑った兄の顔。
『帰ってくるまで、お花見がまんしてるから!』
「覚えてたん、ですか」
「もちろん、大好きな妹の言葉だもの」
軽くはにかんだようなその声に、兄の顔が浮かんだ。眼鏡の奥の優しい瞳が、こちらを見た気がした。胸の奥がぎゅっと痛くなって、口がいつの間にか言葉を紡いでいた。
「にいさん、にいさん……!」
一度声に出してしまったら、涙はもう止められなかった。ほろほろとこぼれる涙は、防護服の窓に垂れて流れていく。
「ごめんね、ノア。置いて行っちゃって」
ぽす、と頭に手が置かれた感触。ぎこちなく撫でられるたびに静かな駆動音が聞こえるその体験は初めてで、兄の面影は無いはずなのに、それをしているのは紛れもなく兄だと感じた。
涙が引いていく。声の揺らぎを抑えるのに深呼吸を一つして、そして言葉を切り出した。
「……表情の分からないのも、手が温かくないのも兄さんらしくない。私はまだ、兄と完全には認めてません」
「うん、そっか」
「……いつか、完璧な兄さんになってください。そしたら、この世界を一緒に綺麗にして、桜を植えて」
――ぜったい、お花見に行こうよ、キリオ兄さん。
誘いの言葉にしては意地っ張りな、涙に揺れたその声は、しっかりと二人ぼっちの世界に響いた。
しゅうまつとらべる 柚風路 @yuzukaze_novel
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