ヒトは修羅の道を歩み出す

「只今、帰りました」


 日が隠れだした頃、忍は下宿先の若葉家にやっと帰って来られて、ぐったりとしている。

 当主の産美は常盤家の邸宅でお話をしに行って今日は夜遅くに帰ってくるらしい。


 若葉の一人娘の結美と長老が出迎えた。


「お帰り、忍ちゃん。車酔い?凄い辛そうな顔してるけど大丈夫?」


 休んだ方が良いよ?と結美は忍の顔を覗き込んで言った。


「あまり眠れてないのもあって、車酔いになってたのはそう」


 色々心配かけてごめんなさい、と忍は結美に言った。


「お帰り、忍。おや確かに酷い顔色だね」


 大変だったようだね、と長老は言った。


「色々とご迷惑をかけました、すいません。産美さんは常盤家に行っていて、帰ってくるのは夜遅くになるそうです」


「そうかい、いつも通りだね」


「そうねえ」


 常盤に用があると産美は夜遅くまで帰ってこないのはよくある事である。

 二人もそうか程度の反応しかしなかった。


「すいません長老、後でお話ししたい事があります」


 重ね重ねすいません、と忍は長老に話しかけた。


「そうかい、別に気にしないよ、隠居した今、話を聞くのが数少ない仕事になってるようなモノだからね」


「そうなんですか…」


 長老だからね、と長老に言われ、忍はそうとしか言えなかった。


「根詰めすぎないようにねー」


「ありがとう」


 長老と忍は結美と別れ長老の自室へと向かう。

 この邸宅は元々手伝いとかをいれるとかなりの大人数が住んでたらしいが今は両手にすら届かない人数となっていて、定期的な清掃をする以外使っていない部屋とかもある状態である。

 長老の部屋は元々一番広い当主自室をそのまま使っている。

 和室部分と洋室部分があり襖で二部屋に隔てることが可能な部屋である。

 長老が三代前の当主だったのと前当主が死に、産美が当主になった際若すぎて、引き継ぎに手間取ったのと広い部屋を持て余した事で結果長老がこの部屋を使っている形になっている。

 そして今は洋室部分が長老との相談部屋となっている。

 昔は託児所みたいな親戚の子どもの預け処と化していたが長老も老いが進み子供達も大きくなったのでそれもなくなった。

 その為、産美が当主として来客と話すときは応接間を利用するようになったのだった。

 長老の部屋で忍は洋間の長机を挟んで座る。

 長老は緑茶を出してから座った。


「わざわざすいません」


 私が淹れるべきでしたよね、と忍が言う。


「何言ってるんだい、結果的に招いたのはこちらだよ」


 じゃあ、話しなさい、と長老は言った。

 忍は重い口を開いた。


「私はあの実家を出た上で、医者の道を目指してます。ですが、若葉家のような道には行けないだろうと、向いてないと思ってます」

 

「おや、どうしてだい?」


「今回、怪異事件に巻き込まれたのも、私があまりにも死を纏い過ぎているからだと助けて下さった半月さんに言われました。そして怪異事件の影響で霊的なモノが視えるようになって私は若葉家の道には致命的に向いてないと思いました。医者の道を諦めるつもりはありませんが、少なくとも子供と積極的に関わる道に進むのは子供に悪影響を与えかねないので辞めようかと思います」


「あぁ、なるほどね……因みにお前さんが生きているにも関わらず死を纏っているのは私も産美も知っていたよ、視えるからね」


「そうでしたか、産美さんが言っていたんです。帰ったら頭を抱えることになるかもしれないと、ここにはなんですね」


「産美はソレで深刻なほどに心を病んだ時期もあったからね。折り合いを付けるのにも時間がかかって、常盤のお世話にもなった。結美が産まれて安定した所もあるんだよ」


 お前さんは特に問題無いんだね、と長老は言った。


「怪異の影響を受けたからなのもあるのかもしれません。私は別に若葉家の道、の事も知っています。長老がかつて制度的に助産師になる前は産婆をしていた事も」


 私は知っています、と忍は告げた。


「話は変わりますが、兄は医者になりたいとは一言も言ってませんでしたし、あまり心は強い人ではありませんでした。優しい人でした、優しすぎたんです。あまりにも医者にしろ看護師にしろ薬剤師にしろ医療の道には向いていなかった」


 急に話が変わった、それは忍の静かな慟哭の始まりである。


「別に私は兄が生きていてくれたら、音楽だって捨てて兄の代わりに医者の道を目指すくらいなんだってなかった、あんな家を継ぐのだって嫌じゃなかったと思います」


 一方的に捲し立てるように話は続けられる。


「兄が死んだ後、音楽を取り上げられた。テストも満点でなければ、その点の分、手を上げられた。私は前を向き続けることは出来たけど、兄は戻ってこないし、それをする意味も見失っていた。それは私にとって死んだようなもので、そして親に撲殺されかけ、今もこれからも頭の一部は凹んだままで」

 

 忍は頭を掻き出す、言葉も怪しくなりだしている。


「そうだったねぇ、もっと早く手を差し伸べられたら、変わったのかもしれない。差し伸べられなくて済まないね……」


 長老の後悔の念と謝罪の言葉に、忍の涙は心は決壊を起こした。


「ああ゛ぁぁぁぁう゛ぅぅぅっ……」


 忍の言葉は叫ぶような唸るような声にしかならなくなっていた。

 長老は立ち上がり忍に近づき背中をさする。


「感情で不安定になるのも頭の打撲の後遺症だものね……」


 物理的に前頭葉にダメージが入ると例え死ななくても特に記憶や感情に影響が出たりして生活に支障をきたすことは有名である。死に至らなくても脳の部位によって動作の障害や体の麻痺など多岐にわたるが。


「……う゛うん、それはだいぶ良くなったみたい……」


 スイッチが切り替わったように忍の感情は元に戻った。以前だと忍はある程度の時間そのまま蹲ったり、キレ散らかしてたりしていたのにすぐに戻った。


「そうなのかい!?」


 治療も一応色々受けたり薬の検討もしていたが、まだそこまで本格的には行っていなかった。

 基本的に動作や記憶は脳の他の部分が肩代わりして出来るようになることはあるが、感情面などは投薬とかで抑えたりとかそういう治療でどうにかなるのかやってみたりしないとわからない。

 だがまだ本格的に治療をしていなかった。

 最近まで忍の頭の打撲部分の治療が終わっていなかった事とその後遺症の把握がしきれていなかったからだ。

 長老はその事を知っていたから、尚の事驚いていた。


「人智の越えたこと、超自然的なことは産美にはまだ理解出来ないだろうからどう言ったもんかね……」


 視ることが出来るがに故あまりにもあの子は怯える、と長老は言った。


「怪異事件でと言わずに素直に脳の担当医と相談します。別に悪化したならともかくすぐ言う必要は無いかと」


 忍は先程の錯乱が嘘だったかのように驚くほど冷静に受け答えをする。

 落ち着いたのを確認してから椅子にまた座った。


「私は私の道を模索します。死にまみれても問題ない様な道を」


 そう言って彼女はお茶を飲み干した。


「そうかい、私は応援するよ。若葉家の道を違えても、あまりにも人理にもとらなければソレでいい」


 生きる道はそれぞれだから、とかつて産婆をしていた長老は遠い目をして言った。 


「ありがとうございます」


 その後、忍は使用済みの茶器を持ってから長老の部屋を去る。

 キッチンに移動して湯呑みも急須も何も全て洗い、その後自室に戻った。






 窓から外を覗けば黄昏時で空は短い時間に姿、色を変えていく。

 そして裏庭のお地蔵様に目をやればそこには色々な嬰児みどりこが佇んでいたのだった。

 若葉家の道は嬰児を引き上げる道であり、かつては引き返す道でもあったのだ。

 当主はあまりにも優しすぎて業の象徴でもある嬰児の霊や残滓に心を病んでしまったが、そんな若葉の霊を忍はただ、感慨深そうに見るだけだった。



 彼女は多くの霊を死者を見る道を選び、そこへ突き進む道を選んだのだった。






 間もなく夜の帳が落ちて闇となる、物事の境界も曖昧になって怪異も彼らもよく視えることだろう。

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