山田編・5

 真夜中、ジェイに叩き起こされる。厳密には眠っている振りだったため叩き起こされた風を装う。

「おい、出かけるぞ」

「……こんな時間に、ですか?」

 この時間は確実にほとんどの人間が寝静まっている。ジェイの往診時間は日によって異なったものの、今日ほど深夜といえる時間に出勤することなどなかった。

「お前がなるべく外のヤツらと干渉せずに例のご婦人とだけ接触できる時間帯を探ったんだよ」

「……なるほど。無用なトラブルになるのは僕としても避けたいところでした。ありがとうございます」

「お前は無礼なヤツだからな……関わる人間の数は少ない方が良いだろう」

 その表現も十分失礼なのでは、という反論は飲み込んでジェイと共にテントから出る。

 空では薄雲に覆われた満月が銀色の光を放っていた。冷たくも柔らかい色だ。

 隣に立ったジェイは何故か動こうとしない。不思議に思い、視線を空からジェイに戻すと不安げな表情をしている。

「どうかされましたか」

「むしろお前の肝の座り方がどうかしてるだろ……場合によってはどういう連中が相手になるかわからないんだぞ」

「……僕がここへ来た日にあなたもお気づきになっていたかもしれませんが、防衛手段は持っているので大丈夫ですよ」

「そう言って無理する連中が何度大怪我で運ばれてきたと思っているんだ、タク。その『防衛手段』とやらも……」

 ジェイはおしゃべりだが口は割らない。本人は斜に構えて日々の生活を営んでいるつもりのようだが、人との接し方を見ている限り情に流されやすく義理堅いタイプだと感じた。

 ならばと思い、いつも身につけたままにしているトレンチコートの前を開ける。コートの中に隠された装備はナイフと拳銃一丁と最低限のものだ。

 ジェイは装備を目の当たりにして驚く様子はなかったが、不安な様子が増した。

「……お前、そんだけの装備で何か起こった時に対処するつもりなのか」

「何も起こりませんよ。起こったとしてもあなたの命だけは保障します。意外かもしれませんが、腕が立つんですよ、僕……場所へ案内さえしてくれたらあなたはすぐにここへ引き返してきていただいて結構です」

 ジェイの瞳を見上げながらにこりと笑う。これは仕事だ。ジェイに何かを期待しているわけではない。案内人としてそこに連れて行ってくれれば十分だ。

 男は未だ不安げに、しかし視線を逸らして「はあ」とひとつ溜め息をこぼすと再びこちらを見る。不安は拭えないものの覚悟が決まったのだろう。表情筋が僅かに引き締まっていた。

「――わかった。案内しよう。だが、質問がある」

「なんでしょう?」

「お前、それどうやって持ち込んだんだ? 居住手続きの前に検査をされただろう? 今でも正面から出入りするときは金属探知機にかけられるが……」

 ジェイは不思議そうに僕のナイフを指差す。

 今更そんなことが気になるのかと面白かった。

「――それに関しては、秘密です」


 男性専用区画に隣接している家族住まいの区画は多くの人が暮らしているため、人が居なくなった深夜でも猥雑としていた。整えられていない空間には必ず綻びが発生する。そこに利益が発生するとなれば余計に。

 僕たちは極めて静かに、足音すら最小限に区画を横切り、その綻びへ向かう。一見テントらしき残骸はテントとしての機能ではなく、難民キャンプと外界を繋ぐゲートとしての役割を果たしていた。

「こんなところに。ということはこの辺りには不法侵入者も居るのでは?」

「いや、居住登録をしていないと団体からサービスを受けられねえから侵入するメリットが少ないんだ。だが、居住登録のできる人間は俺みたいに手に職をつけているヤツも多いから、外の連中からの需要はある……と、そんなところだ」

「なるほど」

 ゲートを潜り抜けるとそこにも難民キャンプと似たような景色が立ち並んでいた。テントが整然と並んでいるわけではないが、ある程度秩序が保たれている。非常時にはある種のグループ内では結束感が高まり、一方で排斥する力も働く。ジェイはその絶妙な均衡の上を渡り歩いてビジネスをしているというわけだ。

「俺もこの時間にはあまりこの辺りを歩きたくない、だから案内はとりあえずここまでだ」

「まだ出入り口じゃないですか。その女の人のところまで案内するのがあなたの仕事ですよ」

 唐突なジェイの申し出に流石の僕でも批難がましい口調になってしまった。だがジェイは隣で首を振りながら言う。

「いや、すぐに見つけられる」

「はあ? どういうことですか」

「――赤ん坊には夜泣きがつきものだろう。例のご婦人は夜泣きする『赤ん坊』のために夜の散歩をするんだとさ」

 ジェイの表情は哀れみを隠しきれていない。女の計り知れない心の傷を思い、自身の心が痛んでいるのだろう。

「……こんな夜中に、女性ひとりで?」

「ああ、こんな夜中に、こんな場所を」

「危険じゃないですか、その人が」

「逆だよ。何されるかわかったもんじゃないから疲弊してるヤツは近づかねえ。おまけにそのご婦人は……まあ、『ご婦人』というわけだよ。背後に居る人間のことを考えれば手を出す人間なんていないんだ」

 この縄張りを取り仕切っている人間が居て、件の女はその人間の妻ということか。

 ジェイが異様に早く帰りたがる理由に合点がいった。

 そういった『一般的な』ルールから逸脱して生きている人間の地雷は、『一般的な』人間には見えづらい。触らぬ神に祟りなしということだ。

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銀河は揺籃に眠りて AZUMA Tomo @tomo_azuma

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