第12話 家族


 スプリング公爵夫人とマーガレットが語らっているのを見届けると、シャルルは夫婦の寝室から音もたてずに廊下に出た。

 外には落ち着かない様子のスプリング公爵がいた。

 フラフラと廊下を行ったり来たりしていた公爵は、シャルルの姿を見つけると近づいてくる。


「ウィンター公爵、妻と娘の様子はどうだったか聞かせてくれないか」

「お互いの誤解が解けたようだよ」


 だからこそ残念だ。時間があればこれからゆっくりと、家族の関係を修復して行けただろう。

 だけど夫人は病を患ってしまっている。あの顔色の悪さを見るに、先が短いというのも本当なのかもしれない。


「夫人はなんの病気なんだ?」

「それが……わからないんだ」


 誤解が解けたという返答にホッとした顔をしていたのも束の間、シャルルの問いかけに公爵は表情を険しくさせる。


「わからない?」

「ああ。医者が言うには体に異常はないそうなのだが、ひどく気力を消耗しているようで……それで、熱が出ているとか」

「そうか……」

「このままだと体の方も持たなく、もしかしたら先がないかもしれないと言われている」

「……」

「だからその前に、娘に会わせてあげたかったんだ」


 マーガレットが嫁いで数日もしない内に、スプリング夫人は病に倒れてしまったらしい。医者の言葉を聞いた公爵は、枕もとで娘の名前を呼ぶ夫人のために、すぐにマーガレットに手紙を出すつもりだったが、それを夫人本人が拒否した。

 だから手紙を送るまでに一カ月以上もかかってしまったそうだ。その間も夫人の病状は良くなるどころか、悪化しているのに気づいた公爵が夫人に内緒で手紙を送ることにした。


 いつも底意地の悪さを湛えた瞳をしていたシャルルの父と違い、スプリング公爵は落ち着いた眼差しをしている。

 彼の娘や家族に対する愛情は本物だろう。もしスプリング公爵がしっかりと娘と向き合ってあげることができていたら、マーガレットはこの邸で幸せに暮らせていたかもしれない。


 だけど彼らは間違えた。


(五歳の頃、部屋に閉じこもったマーガレットを放置するべきではなかったんだ)



 シャルルに前世の記憶が戻ったのは、十四歳の時だった。

 王宮で開かれたデビュタントのための舞踏会で、多くの令嬢が社交界デビューに期待を寄せた笑みを浮かべているなか、壁際に美しい少女がひとり物憂げな眼差しをしていた。

 みずみずしいみかんのような燈色の髪に、カナリア色の瞳の少女。

 彼女を見た瞬間、シャルルは蛇神だった前世の記憶を思い出した。


 頭痛に耐えながらも、同時にシャルルは疑問を浮かべていた。


 女神は確かに幸せになれる家族のもとに、小春が向かっていると言っていた。

 それなのに物憂げな表情をしている彼女は、前世の小春と変わらない表情をしている。

 

 すぐにマーガレットの傍に行きたかったが、声を掛けてくる人が多くて近づくこともままならない。そんなこんなしているうちに、いつの間にか帰ってしまったのか彼女の姿は見えなくなっていた。


 そしてその夜、夢の中に女神が現れた。

 女神はこの世界に転生してからの小春――マーガレットの話をしてくれた。


 彼女は五歳の頃、弟妹が産まれたことをきっかけに自分の殻に閉じこもってしまったらしい。このままだと前世の二の舞になると思ったのだろう。

 それだけならまだ家族がマーガレットときちんと向き合うことができていればどうにかなったかもしれないけれど、スプリング公爵夫妻は娘をそっとして置く選択をした。時間が解決してくれると、甘いことを考えていたのだ。


 マーガレットの存在を知ったシャルルはすぐに行動を起こしたかったが、十四歳でなおかつ公爵家次男の身分のままだと、できることは限られている。しかも先代のウィンター公爵はスプリング公爵家をよく思っていなかったから、頼み込んで求婚状を送ってもらうことも不可能だった。

 ――それに、先代のウィンター公爵はよからぬ企みをしていたこともあり、シャルルはすぐにマーガレットを迎えに行くことはできなかった。



 それが、馬車の事故・・によりすべてが変わることになる。

 シャルルは、爵位を継承するとすぐにスプリング公爵家に求婚状を送った。

 そして案の定、お断りの手紙を受け取ったが、そんなことで諦めるシャルルではない。自らスプリング公爵家に乗り込んで、公爵本人に直談判することにしたのだ。


 いかに自分がマーガレットを幸せにしてあげられるか。

 それから公爵夫妻の落ち度。

 少し卑怯なことも口にしてしまったけれど、シャルルの熱意に公爵夫妻は折れて、マーガレットとの結婚を許可してくれた。



「ウィンター公爵、あなたのおかげだ。あなたがいなければ、きっと妻と娘の間の確執はなくならなかった」


 夫婦の寝室の方を見ながら、スプリング公爵は何かを思い出すように、口元をほころばせた。


「あの時、あなたに言われた言葉をいまでも心に留めている。――確かにマーガレットを幸せに育ててあげることのできなかった私たちに、マーガレットを愛する資格はないかもしれない。これからどれだけ時間をかけても、幼い頃の傷を本当の意味で癒すことはできないだろう。――だけど、それでも私たちは足掻きたいんだ。これから少しずつでも、マーガレットに歩み寄って行ければと思っている」


 シャルルは無言で頷くと、「でも」と口の端を意地悪く吊り上げた。


「マーガレットを幸せにするのはオレの役目だからね。いくらお義父様・・・・でも、それだけは譲れないよ」


 公爵としての笑みではなく、息子のように微笑むと、スプリング公爵は目を大きく開いて呆気にとられてしまう。お義父様と呼ばれたことが意外だったのか、公爵は放心していた。



    ◇◆◇



  マーガレットがスプリング公爵邸に滞在してから一週間は経っていた。

 あっという間のようで、長い一週間だった。

 部屋は客間を当てられていて、ウィンター邸の夫婦の寝室のようにシャルルと同じベッドで寝起きしている。


 今日も目を覚ますと、シャルルはすでにベッドにはいなかった。彼はもともと早起きなので、ウィンター邸でも朝起きた時には部屋にいないことが多かった。おそらく今日も朝の稽古に向かっているのだろう。


 朝の支度を済ますと、食堂に案内された。

 産まれてから長い間スプリング邸で暮らしていたにも関わらず、五歳の頃からマーガレットは食堂に入ったことがなかった。だからここ数日、食堂を使う度にどうしようもないもどかしさが残っている。

 

 食堂の前まで来ると、ちょうど廊下の向かいからシャルルがやってくるところだった。剣で汗を掻いたとは思えないほど、爽やかな様子だ。


「おはよう、マーガレット」

「おはようございます」


 一緒に食堂に入ると、父と兄はもう食卓に着いていた。双子はまだみたいだ。


「おはようございます」

「おはよう、マーガレット」

「おはよう」


 兄と父に挨拶をしてから椅子に腰かける。

 それから何かを言おうと父が口を開いた瞬間、慌ただしい足音が聞こえてきた。食堂の扉が音を立てて開く。


「もう、トーマスが寝坊するから、また最後じゃない!」

「リリアーナだって、アクセサリーがどうとかドレスが気に入らないとかわがまま言ってメイドを困らせていただろ」

「あたしはいいの!」

「いやいや、わがままはよくないよ」

「……お前たち、朝から騒々しくするのはやめるんだ」


 アントニオの言葉に、入ってきた二人は同時に動きを止める。

 五歳年下の弟妹は、双子だけあって同じ顔をしている。桜色の髪に、カナリア色の瞳。違うのは髪の長さぐらいだろうか。

 

「ごめんなさい、お兄様」

「ごめんなさい、お兄様」


 声を揃えて謝ると、双子はマーガレットとシャルルの向かいの席に腰かけた。

 視線が合ったのでマーガレットが微笑みかけると、二人はほっとしたように同時に顔を見合わせて笑い合う。


 マーガレットはいままで双子の弟妹、トーマスとリリアーナとはまともに話したことがなかった。だから一週間前はまだぎこちなく、二人ともマーガレットとどう接すればいいのかわからないような顔をしていた。

 だけどまだ十一歳と幼い子供は不思議なもので、その無邪気さに救われるような形になり、マーガレットは弟妹と話せるまでに回復していた。今日もこの後、一緒に庭園を散歩する約束をしている。


 食事が並べられたので、食べる前にマーガレットたちは手を組み合わせた。女神に祈るためで、前世の日本の「いただきます」の代わりのようなもの。


「女神クロリス、今日も恵みに感謝します」


 父の言葉を合図に、みんな食事に手を付け始める。そっと隣を窺うと、シャルルが眉を顰めていた。彼は女神に祈るたびに、表情を険しくさせる癖がある。

 じっと見ていたからか視線が合い、彼は笑みを浮かべた。


「どうしたんだい?」

「い、いいえ」

「うわあ、イチャイチャしてるー」

「それ言っちゃダメなんだよー!」


 向かいでリリアーナとトーマスがまた言い合いを始めてしまった。それに呆れかえりながらも、微笑まし気に見つめる兄と父。

 前までは、そこに壁があるように感じていた。前世と同じように今世でも家族から愛されないと自ら作っていた壁だ。

 その壁はもうそこには存在していない。マーガレットも、双子の言葉にすこし頬を赤らめながらも、笑顔で双子の言い合いを眺めていた。




 食事が終わると、庭園に散歩に行く前に、マーガレットは母の部屋を訪れた。

 ベッドで寝ている母は、マーガレットの姿を見るとゆっくりと体を起こす。


「おはよう、マーガレット。今日もトーマスとリリアーナは騒がしかったでしょう?」

「はい。でも、楽しかったわ」


 ふふっと笑う母の顔色は、一週間前よりもはるかに良くなっている。

 もう先が長くないと言われていた母は、あれから医者も驚くほどの回復を見せていた。翌日には熱が引き、いまでは体を起こして会話ができるまでに回復している。


 どうやら医者が言うには、心労によるものだったのかもしれないということだ。

 シャルルは軽くため息を吐き、父や兄は歓び、双子たちは走り回った。


「女神クロリスが温情をくれたのかもしれないわね。私が死ぬのはまだ早いって。家族を幸せにしなさいって」


 せっかく母の愛情に気づいたのに、母と永遠の別れを経験しなければいけないかと考えていた時は、胸に重しをつけられているような感覚があった。

 でもいまは違う。

 十年ほど作ってきた壁はそう簡単に消えないかもしれない。だけど少しずつでもいい。母や家族と向き合っていけたらいいな、と思っている。


(女神クロリス、感謝します、――あと、シャルルにも)


 シャルルがいなければ、きっとマーガレットは親の愛情を知らずに、壁を築いたまま生きていかなければいけなかったかもしれない。


 両親の寝室を出ると、シャルルが待っていた。 

 その顔には、まるで慈しむかのような笑顔が浮かべられている。


 前世の婚約者は小春を裏切っていた。だからシャルルもそうなんじゃないかと疑っていたけれど、彼のこの笑顔は明らかにマーガレットに向けられているもののような気がする。

 前世の婚約者と彼は、まったくの別人だから当然かもしれないけれど。


 正直、まだ彼のことを心の底から信じることができるかはわからない。

 彼がマーガレットに向けてくる笑顔や言葉には温かみがある。

 だから少しは彼のことを信じたいと、マーガレットは思った。


「あの双子がうるさそうだから、そろそろ庭園に行こうか」


 シャルルが差し出してきた手を取り、マーガレットは少し俯いていた顔を上げる。


「はい」


 マーガレットの顔を見たシャルルが、少し大きく目を見開いたかと思うと、ふっとやはり優しそうな笑みになった。

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お飾りの妻かと思いましたが、どうやら前世から蛇神様に愛されているようです。 槙村まき @maki-shimotuki

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