あたしとあの子の交換日記
惣山沙樹
あたしとあの子の交換日記
ハルカと出会って三年目の春を迎えた。
内気で友人付き合いなど半分諦めていたあたしに、ぐいぐい寄ってきたのがハルカだった。
高校の入学式の後、教室で前後の席になり、ハルカの方から話しかけてくれて。それからずっと、ハルカはあたしの側にいてくれるようになった。
「マナ! いいこと思いついたんだけど!」
放課後の教室で、ハルカが言った。
「なんだよハルカ。ハルカの思いつきってさぁ、大抵ろくなことじゃないんだよね」
「そんなことなくない? 雪にかき氷シロップ、かけてみたかったなぁ……」
「ハトに花かんむりかけようっていうのもどうかと思ったよ」
そんなわけで、ハルカの奇行を阻止するのがあたしの役目のようなものになっており、それが三年間続いていたのだ。ハルカは言った。
「今度はちょっと違ったことだって。交換日記しない?」
「……はぁ?」
交換日記って、ノートに代わりばんこに日記を書いていく、アレ?
あたしが首を傾げると、ハルカは力説しはじめた。
「そりゃあ、スマホでやりとりする方が便利だけど、データなんて消えたら終わりでしょ。紙は長く残るもん。わたしたちの高校生活をそこに閉じ込めるの。それってよくない?」
「まあ、ノート買うだけならお金もそんなにかからないし。いいよ。でも、飽きたら終わりね」
「やったぁ! ねっ、早速ノート買いに行こう!」
あたしたちが選んだのは、シンプルなオレンジの表紙のキャンパスノートだった。じゃんけんで負けて、あたしが先に書くことになった。帰宅して、夕飯を食べて、お風呂に入って。机にノートを広げて、あたしはフリーズした。
――何書けっていうの?
この三年間で、あたしたちはお互いのことをよく知るようになっていた。あたしはトマトが食べられないし、ハルカは納豆が苦手。あたしの得意科目は現国で、ハルカは数学。他にも、たくさん。
――思ってること、そのまま書くか。
あたしはボールペンを手に取り、始めた。
『初めての交換ノートだね。何を書いていいかさっぱりわかりません。
今日の夕飯はカレーでした。普通に美味しかった。以上。 マナ』
翌日、ハルカに見せると、満面の笑顔を見せた。
「これこれ、こういうのしたかったの!」
「呆れるぐらい中身のない内容だぞ?」
「マナちゃんっぽくていい! 今日はわたしね!」
そして、交換日記は続いていった。
『今日はお風呂にバスボム入れたよ! ピンクファンタジアってやつ。
お湯の色がまっピンクになっちゃって、後から入ったお兄ちゃんに文句言われた! ハルカ』
『なんだ、そんな内容でいいんだ、って思った。
でも思いつかないから今回も夕飯のことね。きんぴらごぼうが美味しかった。 マナ』
『そうそう、こんな内容がいいの!
読み返した時に、あー女子高生やってたなぁって懐かしくなりそうじゃない?
わたしが飼ってるハムスター、サラちゃん、知ってるよね。
今日はほっぺたに片方だけおやつ突っ込んでて可愛かった! ハルカ』
『ハルカのやりたいことはなんとなくわかった。
女子高生っぽいこと書いとこうか。でも、それって何だろうね。
三年生になっていよいよ受験だし、キラキラしたことなんて書けないよ。
とにかくあたしは栄北大にすることにしたから。 マナ』
『進路指導あったね!
わたしは緑南大にしたけど、けっこうギリギリって言われちゃった。
一緒に頑張ろうね。
合格したら、離れ離れだけど、だからこそこのノートは大切にしたいな。 ハルカ』
こんな調子でやり取りは続いた。あたしもハルカも放課後は塾通いで、一緒にはいたけれど無駄な話をする余裕がなかった。次第に、あたしはこのノートが楽しみになってきた。ハルカの書いた丸っこい字を指でなぞると、胸が温かくなったのだ。
それから、季節はどんどん移ろい、ノートは二冊目、三冊目になった。大学の合格発表があった時は、四冊目になっていた。
『ハルカ、合格おめでとう。あたしもだけどさ。二人とも夢、叶えられたね。
ハルカが遠くに行くのはぶっちゃけ寂しい。
でも、それぞれ女子大生生活楽しもうね。 マナ』
『ありがとう。卒業式の日に、ちょっとしたお願いがあるんだ。
それは直接口で言いたいから、その日までのお楽しみ! ハルカ』
――なんだよ、お願いって。
ハルカの丸文字に触れながら、あれこれ想像した。卒業すれば、滅多に会えなくなる。最後に羽目でも外したいのだろうか。またトンチンカンな提案なのだろうか。断る確率九十パーセントだな、と思いながら、卒業式の日を迎えた。
「マナちゃん、こっちこっち!」
あたしはハルカに手を引かれ、校内の中庭にきた。
「で? ハルカ、お願いって何?」
「あのさ。あの交換ノート。タイムカプセルにしない? 二十歳の春になったら掘り返すの!」
なんだ、そんなことか。どのみち、ノートをどちらが持っていればいいのやら悩んでいたので、ハルカの提案はもっともだと思った。まあ、掘り返してから、どうするか、また考えなければならないのだが……その時に考えればいいだろう。
「うん、いいよ。どこに埋める?」
「ここ。メタセコイヤの木の根元。ここなら忘れないでしょ?」
「そうだね。後で埋めにこようか」
「あとさ……もう一つ、お願いあるんだけど」
「何?」
ハルカはもじもじ肩を揺らした後に言った。
「キス、しない?」
「……キスぅ?」
あたしは面食らった。ハルカは理由を説明し始めた。
「ほら、初めてのキスって一生思い出に残るじゃない? わたしさ、初めて付き合った彼氏とするのは嫌なの。もし、酷い別れ方して、あんな奴が初めてだったなんて、って後悔するの想像すると……」
「うん、まあ、言いたいことはわかるけど」
「マナなら、絶対後悔しないと思うの。ねぇお願い。ちょっと唇重ねるだけでいいから」
――まあ、キスくらい別にいいか。あたしだって、ハルカなら後悔しないと思うし。
「はい、じゃあハルカ、目ぇ閉じて」
「んっ……」
あたしはそっと、ハルカに触れた。
「……マナ、やわらかーい」
「ハルカだって」
翌日、あたしたちは四冊の交換ノートを缶に入れて埋めた。
そして、二十歳の春。あたしは一人でメタセコイヤの木の前まで来た。
――あーあ。一人で来ることになるなんてな。
ハルカは十九歳の冬、交通事故で亡くなった。飲酒運転の車だった。遺体の損傷は激しく、対面することは叶わなかった。
「クソっ」
あたしは歯を食いしばりながら土を掘り返した。無事に缶は見つかり、帰宅してから交換ノートをパラパラとめくった。
「……えっ?」
四冊目の最後のページ。新たな文章が書き加えられていた。
『マナのこと、好きだよ。
二十歳になってもこの気持ちは変わらないと思うから、ここで告白します!
びっくりした? いえーい!
真剣にお付き合いしてください。 ハルカ』
ぽたり、ぽたり。文字が濡れた。油性のボールペンだったのだろう。にじまなくて済んだ。
「バカな子……」
あたしはそっと、交換ノートを閉じた。
あたしとあの子の交換日記 惣山沙樹 @saki-souyama
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