第90話 珍しく怒られるクリス

 帝国歴531年12月14日


 「フュン様」

 「ん? クリス」


 フュンが執務室で仕事をしていた時にクリスが慌ててやってきた。

 肩で呼吸をしていた。


 「ええ、どうしましたか?」

 「生まれたみたいで!」 

 「生まれた???」


 クリスにしては珍しく、脈絡のない会話であった。

 ここは、よほど嬉しいのか。慌てているのかの。

 二つの内のどちらかだろうとフュンは思った。


 「あ・・・もしかして、クリスの子の事ですか?」

 「はい!」

 「よかったですね。ソロンは無事ですか? 体調は?」


 第一に奥さん。

 昔からフュンの考えは変わらない。


 「大丈夫です」


 クリスとソロンは帝国歴528年に結婚していて、二大国英雄戦争時にはソロンが妊娠していたために戦争に参加できなかったのである。

 いつもそばにいた彼女がいない中で、クリスはフュンのために頑張っていた。


 「ん? そういえば、ソロンの今はサナリアですか?」

 「はい」

 「・・・じゃあ、あなた。なぜここにいるのです?」

 「それはフュン様の仕事が忙しいだろうと」

 「駄目です。駄目です。ああ。この人たちは! クリス! ゼファーをここに。すぐに呼んでください」

 「わ、わかりました」


 怒った口調のフュンは珍しいので、クリスは慌てながらゼファーを呼んだ。

 

 ◇


 ゼファーがフュンの元に到着すると。


 「ゼファー。今からサナリアに行きます。このクリスも連れて行くので、ミシェルと合流しましょう」 


 すぐにフュンの指示が出た。


 「はっ」

 「ミシェル殿と合流?」

 

 クリスが疑問に思うとすぐにフュンが怒る。


 「あなたは黙ってついて来なさい。もう少し勉強する事ですよ。いいですね」

 「べ、勉強ですか。な、なんのでしょう」


 フュンから叱られたことのないクリスは、フュンの顔色を窺いながらサナリアへと出立した。


 ◇


 馬を飛ばせば三日も掛からない帝都とサナリア。

 フュンが構築して、パースが完成させた移動方法は、都市間の移動を高速にした。

 休息も取れる宿がある事もまたこの移動に安全性を追加したのだ。

 ローズフィアに到着早々。

 フュンは人込みの中にいた。


 「おおお。皆さん。申し訳ない。お屋敷まで通してくださいね」


 サナリアの民は、久々に帰って来た領主が嬉しくて、通りを塞ぐように集まってしまったのだ。


 「フュン様だ」

 「わー」「おおお」

 「帰って来たんだ」

 「フュン様ぁ」「領主様」


 歓喜の渦の中、フュンは皆にありがとうと感謝しながら、何とかして領主の館にまで辿り着いた。


 「ぐはああ。人が凄かったですね。大波でした」

 

 フュンは玄関先で大声を出す。 


 「ここにいるでしょうかね? ソロン!」


 仲間の皆が集まる領主の館ならば、ソロンの体調も見てくれているだろう。

 ローズフィアにもクリスのお屋敷があるのだが、サナリアの仲間たちならば、彼女を一人にさせないと思いこちらに来たのである。


 「フュン様」

 「あ! ファイアさん!」


 ファイアは指一本立てて口元に置く。


 「し~。今、ソロンが寝た所ですから、お静かに」

 「そうでしたか。ごめんなさいね」

 「ええ、こちらにどうぞ。応接室に行きましょう」

 「はい」


 フュン一行とファイアは、防音装備のある応接室に向かった。

 四人で席に座る。


 「フュン様。なぜこちらに? クリス様が来るのは分かるのですが?」

 「ええ。この人がですね。奥さんや子供よりも、仕事を取ったのですよ。ありえますか。駄目でしょう」

 「いや、それは一概には、駄目だとは・・・」

 「ファイアさん。駄目なんです。今回はね。特に奥さんを心配しないといけません。無事に生まれて来ることも重要ですが、奥さんが無事であるかも重要なんですよ。初産ですよ。ソロンの心と体だって重要なんですよ。赤ちゃんも大切ですけどね・・・まずはソロンでしょう」


 フュンは深いため息と共に言葉を紡いでいた。


 「それはそうですが、でもソロンはクリス様が国の為に働くことを願っているでしょうし。一概には言えないでしょう」 

 「いいえ。それでも駄目です。大変な思いをして産んでくれるのです。だったら仕事していてもいいですけど。せめて、そばにこの人が居ないと駄目でしょう。ありえません!」


 人の顔をよく見て会話するフュンが、クリスを見ないで指差した。

 やはり少々怒り気味である。


 「しかもまだ戦争時期じゃない。停戦時の仕事ですよ。そんなに忙しくないのですよ。このクリスが一人いなくてもなんとかやりますよ。ね。ゼファー」


 正面にいるファイアから、フュンは右隣にいるゼファーを見た。


 「そうですな。他にアナベル様などが育っていますからな。内政などは大丈夫でしょう。しかし、クリスが居なければ出来ない事も多々あるでしょう。そこの判断は難しいかと」


 意外に冷静なゼファーは、フュンの意見を賛成しながら、クリスの立場も慮った。

 彼は中立の姿勢を貫いた。


 「ええ。でもですよ。一大事です! 子供が産まれるのだからね。家の大切な事なんですよ」

 「ん。そこは申し訳ないです。殿下。我には分かりませんな。子供が産まれていないので、ミシェルとダンとは離れて暮らしてますし」

 「あなたもね。そこが良くない。離れているのも良くない」


 ゼファーにも飛び火しそうであったが、フュン自身が自重していく。


 「まずね。ゼファー。あなたはミシェルがよく理解してくれているからいいんです。でもソロンは違うかもしれませんよ。ソロンは常にクリスのそばにいたのです。仕事の時ですら、一緒だったんですよ。それなのに、今、一番大事な出産時にそばにいなかったなんて、不安に思うに決まっていますよ。妊娠している時でも、離れてしまっていたら心細いものなんです。サナリアにいるのは、それが理由でもあるでしょう? 彼女の故郷がここですし、ファイアさんたち。配慮してくれる仲間たちがたくさんいますから。もしかしたらここに安心を得たくて選んだのかもしれません。ええ、だからいいですか。クリス!」


 フュンはようやくファイアの隣にいるクリスを見た。

 彼の目が鋭いので、クリスはたじろぐ。


 「女性の大丈夫。これを信用しないでください。大丈夫は大丈夫じゃない・・・時があります。ここの見極めは非常に難しい事ですが、ここを見極めていかないといけませんよ。あなた! 愛想を尽かされますよ。いいですね」

 「は、はい」

 「じゃあ、ソロンが起きたら、いの一番にあなたが会いなさい。いいですね。声を掛けるのです。優しく。感謝してですよ。いいですね!」

 「わ、わかりました」


 一応無表情であるクリスは、フュンから叱られた経験がなかったので、内心はもの凄く驚いていた。


 「では、僕とゼファーは、ミシェルの所に行きます。ゼファー。行きますよ」

 「はい」


 フュンはクリスを置いて、ゼファーを連れて行った。


 ローズフィアには、ゼファーのお屋敷がある。

 彼の屋敷は東を守るようにして、存在する。

 今のサナリアに反乱はないが、守護者として守ろうとしていた。

 

 「ミシェル。いますか!」

 「はい。え? フュン様?? フュン様がなぜこちらに?」

 

 屋敷に入ると、フュンが声を掛けた。

 二階からミシェルがやって来ると、ダンもいた。


 「ああ、ダン。お久しぶりですね。大きくなりましたね」

 「フュン様。お久しぶりであります。ダンです」


 ダンが深々と頭を下げた。


 「ええ。礼儀正しくて立派ですよ。ミシェルの教育とダンが素晴らしいのでしょう。いい子ですね」


 フュンはそのまま頭を下げたままのダンの頭を撫でて、立派に育ってくれてありがとうと思った。


 「フュン様。なぜこちらに?」

 

 ミシェルが聞いてきたので、フュンはダンから手を放してミシェルの方を向いた。


 「ミシェル。こちらにゼファーが帰って来てないでしょう?」

 「ええ。そうですね。ゼファーはほとんど帝都にいますよ」


 フュンが深く頷いた。


 「そうです。だから、連れてきました。まあ本当の所は、クリスの説教に合わせて連れてきただけですけどね。でもあなたたちも家族です。だから一緒にいましょう。ゼファーは僕の命令ならば、帰りますからね。強引に連れて来ましたよ。ははは」

 「え!? そういう理由で我は連れてこられたのですか」

 「ええ。そうです。それにゼファー軍も休息した方がいいでしょう。ずっと張り詰めれば、身体に良くありません。壊れちゃいますからね」

 「・・・」


 ゼファーが不満そうな顔をした。


 「駄目です。ここ一週間、ミシェルと普通に暮らしなさい。僕もサナリアにいますから、いいですね。あなたはミシェルとダンと過ごしなさい」 

 「殿下。護衛は?」 

 「大丈夫。ほら、いますから」


 影からニールとルージュが出てきた。


 「この二人がいれば大丈夫。大抵の事は跳ね除けることが出来ます」

 「まかせろ」「ゼファー」

 「「休め。馬鹿!」」

 「なんだと!!! 貴様ら、相変わらず口が悪いな」

 「「だって馬鹿!!」」

  

 ゼファーが手を伸ばしても、相変わらずの素早さで捕まらない。

 ちょこまかとフュンの周りを動くのは、子供の頃と同じ光景だった。


 「はぁ。大人になっても同じことしてますね。僕の大切な人たちはね・・・」


 フュンはため息をついても、この人たちと同じ時を過ごせて幸せだと思った。



 ◇


 ゼファーを家族の元に送り届けた後。

 自分の屋敷に戻ったフュンは、ソロンとクリスの部屋に向かった。


 「フュン様」

 「ソロン。大丈夫ですか。体は?」

 「はい。大丈夫です。申し訳ありません。フュン様のお屋敷のお部屋をお借りしてしまい」

 「いえいえ。あなたも僕の家族です。いつでも使ってください」

 「ありがとうございます。いつもクリスと共にお世話になりっぱなしで・・・」

 「いえいえ。いいんですよ」


 ソロンには優しい笑顔を向けていたフュンは、真顔でクリスを見る。

 高低差がかなりあるフュンであった。


 「クリス。ちゃんとお礼を言いましたか」

 「は、はい。と、と当然です」


 クリスは、声がひっくり返り答えた。


 「本当ですか。なんだか怪しいですね。ソロン。この人から感謝されましたか」

 「はい。ありがとうと言ってもらえました」

 「ならばよし。まったく、何があってもソロンを大事にしなさい。もし仕事で大変でも、それは僕に任せればいい話だ。この貴重な時間を大切にしなさいよ。いいですね」

 「わ、わかりました」


 フュンはまだまだ言いたいことがあるらしい。


 「いいですか・・・・それで・・・・」

 「はい・・・はい・・・」


 コンコンと叱られるクリスを見るのが初めてなソロンは目を丸くして驚いた後に、くすくすと笑った。

 怒られているクリスの顔が申し訳なさそうで、面白かったのだ。

 その様子をしばらく見た後、ソロンがタイミングの良い時にフュンに話しかける。


 「フュン様」

 「ん?」

 「この子。抱いてくれませんか」

 「ああ。いいですよ。もちろん」

 

 フュンが二人の子を抱くと、表情のない赤ちゃんは笑顔となった。


 「おお。可愛い子ですね」

 「フュン様」

 「なんですか」

 「フュン様に名前を付けてもらいたくて、いいでしょうか」

 「え? 僕が??? ソロンやクリスがではなく?」

 「はい。フュン様。お願いします。私たちはその方が良いと思い相談してました」

 「クリスも?」


 フュンは、抱っこしながらクリスを見た。


 「はい。お願いします」

 「んん。わかりました。この子ですね」


 赤ん坊の瞳をじっくり見る。

 銀色のように見える瞳が、美しく輝いていて宝石のようであった。


 「ファルコ・・・ファルコ・サイモンがいいかな。この子の鋭い目がいいですね。綺麗です」

 「ファルコですか。いい名前で、ありがとうございます。フュン様」

 「フュン様。ありがとうございます」


 ソロンとクリスが頷いてくれて、この子の名前が決定した。


 ファルコ・サイモン

 のちにアーリアの歴史に刻まれることになる名は、大賢者ファルコ。

 皇帝夫妻の長男アインの片腕となり、大陸を更なる次元に連れて行く男となる。

 クリスの頭脳。ソロンの気配り。

 双方を継承した男性で、銀色の目や髪が特徴的な男性だ。

 フュンの子供たち。

 四人の良き相談役にもなる。

 

 「ファルコ。君も元気に育ちましょうね。うんうん。僕も、クリスとソロンと一緒に君を守りますよぉ」


 フュンの家族に、新しくクリスの子供も加わったのだ。

 

 

 

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