第80話 交渉前哨戦
帝国歴531年7月5日。
ギリダート北門から一キロ先にて。
白旗を持った者同士が出会う。
帝国側の使者として向かったのは、クリスとゼファー。
王国側はイルミネスとルカであった。
二つの国の使者の会話は淡々と進む。
「ガルナズン帝国宰相クリス・サイモンであります」
漆黒の姿のクリスが深々と頭を下げてから、手を横に出して紹介する。
「それでこちらが」
ゼファーが続けて挨拶をした。
「我は、帝国大将ゼファー・ヒューゼンです」
彼から名が出た瞬間。
半眼の男の目が輝いたような気がした。
「おお。あなたがですね。前回、近くにいたのに私はお会いできなくてね。いや、残念だと思っていました。お初にお目にかかります。嬉しいですな。お会いできなくて、寂しかったのでね」
「え? 近くに? どなたでしょうか?」
「あ、申し遅れました。私が、イーナミア王国大将イルミネス・ルートでございます。どうぞ。よろしくお願いします」
こちらに迫ってくるイルミネスを見た二人は、名前を聞いた瞬間に、『うっ』と言葉を飲み込んだ。
それはここに来る直前の事が影響した。
◇
交渉前。
ギリダートの北門の内側にて、二人の前にはフュンがいた。
「クリス。ゼファー。頑張ってくださいね」
「「はい!」」
「まあ、ゼファーもいますし、クリスの身の心配はいりませんが・・・交渉の方で厄介になるかもしれません」
クリスが聞く。
「交渉でですか? 優位に運べばいいのですよね」
「ええまあ。基本はそうですがね。今回は、なかなかうまくいかないでしょうね。あのような形で、僕と交渉する決断をしたのです。ということは、僕の予想では彼が来ると思いますので、クリス。気を付けてください」
「彼?」
「はい。おそらく、イルミネス。あの人があなたの前に立ちはだかるでしょう。その場合。飲み込まれないでください。自分を持って意見をハッキリと言いなさい。もし交渉が決裂してもいいです。だって、戦えばいいだけですからね。だから失敗を恐れずにいなさい。クリス。結果はどのような形でもいいのです。心配はしないでください」
勇気を持って話し合いに臨め。
どんな結果でも受け入れると言ってくれたフュンに、クリスは頷いて答えた。
「・・・はい」
イルミネスには気を付けろ。
フュンの忠告を素直に受け取った。
「あなたはネアル王とは戦いました。ですがね。彼は意外にも単純なんですよ。会話を作るのに、組み立てやすい。武人のような扱いをすれば、必ず乗ってくれますからね。ええ、ですから、イルミネスのような人間と戦うのは、初めてでしょう」
「た、確かに・・・」
「いいですか。今の帝国にはあのような人間がいません。かつてだと、ヌロ様。リナ様。あの辺りが雰囲気が近いかもしれませんがね。しかし、それでもあれほどの口の速さでは、攻防をしませんでした。なので、気を付けましょう。ペースを握られてはいけません。こちらも口で負けてはいけませんよ」
「わかりました」
フュンの顔が心配そうであった。
「ヒスバーン。イルミネス。あの二人は危険だと思います。それは帝国にとってですよ。王国にとっては大変貴重な戦力でしょうね。あのような人材を抱え込むことが出来る。あのネアル王の器が大きいのですよね。僕らにもああいう人材が欲しいものです。僕の仲間の皆さんもとても素晴らしいですが、あのような雰囲気を持つ方はいませんからね。ええ、僕も色んな人が欲しいですよね。本当にねぇ」
ヒスバーン。イルミネス。
この二人のような人間が帝国にはいない。
皆、協力的な人間で、一生懸命帝国の為に仕事をしてくれるのがフュンの仲間。
それに対して、その二人は王国に忠義を示していない。
ネアルに対してすら、忠義を示していない。
フュンはそういう風に二人を評価していた。
それなのに、仕事だけは誰よりもきっちりとしてくる。
謎の部分があって、不気味さがあるのだ。
自分に忠義を示さない男も起用するネアルの度量は素晴らしい。
フュンの仲間たちは皆フュンを絶対的に信頼しているから、こちらでは起きない現象であるのだ。
「まあ、色々言っても難しくしてしまうでしょうから。クリス。気を付けなさい」
「はい」
◇
フュンの忠告を思い出したのであった。
「おい。イルミ。近いぞ。お二人から離れろ」
「ん?」
イルミネスは二人の方に三歩分近づいていた。
彼の肩に手をかけたルカがイルミネスを引っ張る。
「お? あれれ」
元の位置にまで引っ張られて、イルミネスは情けない声を出した。
「はぁ。申し訳ないことをした。クリス殿。ゼファー殿。こいつは失礼な奴でして、お許しをもらえると嬉しいですね」
ルカが言った。
「いえ。何も失礼な事はありません」
「そうですな。我も気にしません。敵意がありませんから」
イルミネスの話し方が、早口で聞き取りにくい部分があって、敵意があるように見られがちだが、今のゼファーが言ったように態度には敵意がないのだ。
本心を勘違いされやすい男。それがイルミネス・ルートである。
「そうですか。ありがたい」
クリスがルカに顔を向けて。
「あなたはどなた様でしょうか?」
目の前の人物を知っていても聞いた。
「ああ。そうでした。申し訳ない。私はルカ・ゴードンであります。私も末席ですが、王国大将です」
「なるほど。そうでしたか」
「いえ。ご存じでしょう。あれほどの挨拶を私に向けたのです。戦いで試しましたよね。俺の事をね?」
ルカが、ギロッと睨んだような目になった。
クリスは、この男も侮れないと思いながら会話を慎重にする。
「そうでしょうか。それこそ、あなたこそ。私に対して挑発しましたでしょう」
クリスは、あえて強めの言葉を返した。
相手の雰囲気からこれくらいまでなら言っても大丈夫だと判断した。
「まあ、戦いの中の事ですからね。クリス殿の考えを知りたくてね。あの対応は仕方ないですね」
「ええ。そうですね。私もあなたの考えが知りたかっただけですから」
「そうでしょう。やっぱりね。戦えばあの対応に決まってるんだ」
態度を急変させたルカは、ニッコリ笑った。
◇
少しの談笑を挟んだ後。
「では、今回の交渉はですね。停戦の交渉をしてほしいです」
「は・・・はぁ。良いのですか。それ程シンプルな言葉でも」
身構えていたクリスは拍子抜けした。
最初の第一声ではもっと慎重な入り方だと思ったのだ。
「ええ。言葉をどれだけ見繕っても、どうせ負け戦なんです。ここは素直に交渉に入った方が良いのですよ。無駄は面倒ですな。時間の無駄は睡眠の邪魔ですので」
「は? え?」
「すいません。こいつ。寝ないと駄目な奴でしてね。とにかく考える基準が睡眠なんですよ」
ルカがフォローを入れた。
「そ、そうでしたか。なるほど」
「それで、停戦内容を詰めるのは、事前ではやらないでおきましょう」
イルミネスはルカのフォローもお構いなしに話を続けた。
「え? なぜですか」
「私たちが決めるよりも、あなたの主フュン殿と、こちらの王ネアルが直接やりとりをした方がいいです」
「それは当然でしょうが。さすがに事前に・・・」
色々と決めた方が良い事もある。
と発言しようにも、イルミネスの話が続いていた。
気付かぬ内にクリスが後手に回っていたのだ。
「では、条件として。私たちと、フュン様とネアル王。この計六人で交渉しましょう。場所は・・・ここよりも位置をずらして、ギリダートと我々の本陣よりも遠めの位置に、天幕を作りましょうか」
「まあ、作るとしたらそうでしょうね」
「ええ。それで、負けているこちらが作った方がいい。ですが、それだと・・・」
イルミネスは、クリスの顔色を窺った。
難色を示すはず。
それを予想していたのだ。
「そうですね。それだと、こちらには不安がありますね」
作るのがそちらだと、誘き寄せて殺すことだって出来る。
だから、容易く返事を返さない。
「その返事は予想通りです。なので、ここは道具類。天幕などをそちらから提供して欲しいのと、そこから立会人が数名来てほしいですな。その中でこちらが作りましょう。丁寧に作りたいので、明日。作成して、明後日交渉。これがよろしいかと」
「・・・たしかにそうですね。それが一番いいです」
「ええ。では、こちらはルカがいきますので、そちらはどなたが? クリスさんが来ますか?」
「え。ここで決めるのですか」
「はい。即決が楽です。どうでしょう」
「いや、さすがに私だけでは・・」
ここも気付かない間に、あのクリスが相手に飲み込まれていた。
珍しく自分の置かれている状況にも気付いていない。
イルミネスが交渉のペースを握っていたのだ。
「我がやりましょう。ルカ殿がその役割ならば、いざとなれば我しかいない」
「ん?」
クリスとの交渉かと思っていたイルミネスは、ゼファーの方を見た。
「どういう意味でしょうか。ゼファーさん?」
「そのままの意味です。我はこの方から強烈な武の匂いがしますのでね。それだとクリスでは難しいです」
自分のペースを崩さない男、ゼファーは相手に負けていなかった。
真っ直ぐルカを見つめた。
ルカは慌てる素振りで否定する。
「俺がですか。まさか。ありえない。そんなに強くありませんよ」
「それはない! 我の目はごまかせませんぞ。我と同等。またはそれ以上に感じますな」
「・・・・」
押し黙ったルカの後に、イルミネスが来る。
「わかりました。それではこちらは、ルカ。そちらはゼファーさんでお願いします。明日。道具を持って来て頂ければ、人員はこちらが出します」
「いいでしょう。わかりました。それでお願いします」
クリスが了承して、この事前交渉は無事に終了した。
◇
その後。
クリスとゼファーがギリダートに戻る途中。
「クリス。相手に飲まれていたな」
「私がですか」
「うむ。我から見れば、お前から会話が出来ていなかった。こちらの要望にはなっているだろうが。しかし、お前からの提案がない。ほぼ相手方の要求だったぞ」
「・・・た、たしかに言われるとそうです」
「うむ」
「ゼファー殿。何故教えてくれなかったのですか。気付いていませんでした」
「うむ。お前が割れに相談してこなかったからな。それで、いいのかと思っていたぞ!」
「あ・・・そうですか」
助言して欲しかったクリスは、ゼファーからの全幅の信頼を得ていたのだと思った。
クリスとしては苦い思い出になる敗北の交渉となった。
イルミネス・ルート。
侮れない敵がもう一人誕生したと、クリスは思いながら、ギリダートへと戻っていった。
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