第79話 殺気

 北から来たのはゼファー軍であった。

 マルンが船団長として、彼らを送り届けてくれる役割を果たしてくれたのだ。

 船団は、ギリダートの東に到着するとすぐにフュンと合流する。


 「ゼファー。それにマルンさん」

 「殿下!」「フュン様」

 

 フュンは自分の元に来てくれた二人を第一声から労う。


 「いや、ありがたい。ゼファー。来てくれたのですね」

 「もちろん。殿下の窮地だとお聞きしたので」

 「そうですか。それにマルンさんもありがとうございます。大変だったでしょう。あちらの川を押さえるのにも」

 「ええ。ですが、こちらの方が大変そうですね」

 

 返事の直後に、マルンはギリダート東の門を見上げた。


 「こ、これは・・・さすがにこの残骸を見ますとね。私どもの戦場はまだ子供のような戦いでしたね」


 ここには、強固な壁があったらしい。

 そうなのだ。

 らしいと言いたいくらいに粉々に消し飛んでいた。


 「まあ、破壊し尽くした形になっていますね。ハハハ」

 「相変わらずですね。フュン様は」


 いつも冷静なマルンは子供の頃の笑顔のフュンを思い出した。

 こちらの態度がどうであれ、自分の態度を一定にすることが出来る。

 そんな稀有な才を持つ少年だったなと、マルンはあの頃の自分の方が子供であったと反省した。


 「いえいえ。それで、マルンさんはどうしますか。このままこちらに?」

 「いえ。私はすぐにこの船団をハスラに返します。そうじゃないと、輸送のやり取りが難しくなるかと思いますのでね。リリーガにも船がありますでしょう。それらとのやりとりはこちら側が上手くやれた方がいい。それに私がやるよりもヴァン殿に任せた方がいいでしょう」

 「そうですか。わかりました」 

 「なので、ここはすぐにでも帰った方が良さそうだ。私はここで帰りますね。ジークに報告もしたいので、ここで」

 「わかりました。ジーク様にありがとう! と、この報告もお願いします」

 「はい。伝えておきます」


 フュンが手を振ると、マルンはまたハスラ方面に戻る。

 ジークへの報告と、ララの手綱を握らないといけない仕事に戻ったのだ。


 「殿下。それで我はどうしたらいいでしょうか」

 「ええ。僕の護衛で」

 「へ?」

 「いや、戦いは終わったので、僕の護衛で」

 「は?」

 「いやいや、戦いは終わったんですよ。だから、いつものように君には僕のそばにいてもらおうかなっと」

 「それはいいのですが。終わったのですか。殿下」

 「はい。終わりましたね。あとは、僕と彼の話し合いにより、終結します。第一段階の終わりですね」

 「そうですか。それは良かったと言えば、良かったのですかね」

 「ええ。それで、今から僕はお二人と話さないといけないので、あなたは休憩でもいいですよ」

 「ん? 誰と話すのですか」

 「ええ。捕虜とです」

 「捕虜!?」


 結局ゼファーは、ハスラ広域戦争の疲れが残っていても、フュンのそばを離れなかった。

 それが任務・・・ではなく、生き甲斐であり使命でもあるからだ。


 ◇


 ブルーとアスターネの二人が目を覚ますと、明るい部屋の中にいた。

 後ろ手に縄で縛られている。

 だから自分たちが捕虜状態であるのは分かる。

 なのに、部屋に日が入る場所にいたのだ。

 牢屋に入っていない事に驚く二人は、会話も驚きの声から始める。

 

 「わ、私は・・・あ!?」

 「う・・あ、ブルー、気付いた?!」

 「ん。アスターネ。あなたも捕虜に」

 「うん。そうみたい。あの男にやられた。強さを知らなかったわ。あの人、あんなに強いのね」

 「あなたがやられるなんて」

 「フュン・メイダルフィア。うち、あの人に完璧にやられた。本当に何もかも通用しなかった。全部手の内を知られているみたいだったんだよ」

 「そんな馬鹿な・・・あなたが完膚なきまでにですって」


 アスターネは、指揮は補助型であるが、戦闘自体は武闘派である。

 王国の大将たちは万能な人間が多い。

 戦えない大将など、ほぼいない。

 王国内の認識では、イルミネスが戦えない大将であるとされている。


 「うち・・え!?」


 フュンが光と共に現れた。

 いきなり目の前に現れて、二人が止まった。


 「そうですか。僕。そんなに強くはないですけどね」

 「え? ど、どこから・・・」

 「お久しぶりです。ブルーさん。捕虜にしてしまい申し訳ないですね。本当はその縛っている手も外したいのですが、僕、皆から怒られちゃってですね。しょうがなくつけてます」

 「あ、は、はい」

 

 そんな事言われても、なんて答えたらいいのか。

 返答に困るブルーであった。


 「では、お伝えしておきたいことがありましてね。あらかじめ話しておきます。それが・・」

 「殿下! そ奴が、ミシェルを!」

 「ん? どうしましたゼファー?」

  

 後から部屋に入って来たゼファーが大声をあげる。

 いきなり怒りに満ちている。


 「アスターネ。貴様が、ミシェルの目を!」

 「ええ。そうよ。あの女の目は、うちが潰した」

 「な!?」


 フュンはここで初めてミシェルが負傷したことを聞いたのだ。

 

 「本当ですか」

 「ええ。うちがやった」

 「そうですか・・・」


 俯いたフュンはミシェルの顔を思い浮かべる。

 いつもの彼女の冷静な表情が、今は出来ていないのではないかと考えていると。

 フュンの気付かぬ間に、ゼファーが猛烈な勢いでアスターネに迫った。


 「我は、こやつを殺さないと気が済みません。殿下。我に殺させてほしい」


 瞬時に槍を取り出したゼファー。

 確実に殺そうと、アスターネの喉を狙って、槍を突き出した。


 「やめなさい。ゼファー!」

 「殿下!」

 「駄目です」

 「殿下!!」

 「止まりなさい」

 「ん・・・」


 主に言われたら、従者は止まるしかない。

 しかし、妻を傷つけられた男としては、ここで動かねばと、ゼファーは憤りの中にいる。

 

 「は? うちを殺さないの。ゼファー。いいの。うちは生きていればまたミシェルと戦うよ。今度は反対の目も見えなくなるかもね」

 「やめなさい。アスターネ」


 ブルーが諫める。


 「ほら。うちはまたミシェルを傷つけるよ。それでもあんた、うちを殺さないの」

 「やめな・・・え!?」


 必死にアスターネを止めようとするブルーだけが気付いた。

 アスターネは目の前のゼファーを見ていたから、フュンを見ていなかった。

 ゼファーもアスターネだけを見ていたから、フュンを見ていなかった。

 でも、ブルーだけが彼を見ていた。


 背筋が凍る。

 そのくらいの気迫と目つき。

 彼はもの凄い殺気を放っていた。

 目だけで人を射殺すくらいのとてつもない睨み。

 ゼファーが出す気配など、まだまだ子供だと思うくらいだった。


 震えるブルーは、もしかしたらネアルをも越える恐ろしさを持つのがフュンなのではないかと思った。


 「ゼファー。堪えなさい。下がりなさい」


 フュンの言葉の強さに気付いたゼファーは振り向く。

 すると、彼から発せられる怒りの力にたじろいだ。槍をしまう。


 「で、殿下」 

 「いいから、下がりなさい! あなたは僕の後ろだ! いいですね」

 「は、はい」


 語気の強さに面を食らったゼファーが大人しく下がる。


 「アスターネ」


 フュンが名前を読んだだけ。

 なのに、空気が重たい。

 ビリビリと肌を突き刺すようなフュンの冷たい言葉。

 それをいち早く感じていたブルーに続いて、アスターネも若干遅れて感じ始める。

 二人とも目を合わせられなかった。


 「・・・」

 「あなたが、ミシェルを。本当ですか」 

 「え、ええ・・・まあ」

 「そうですか・・・そうですか」


 二つしか言葉を言っていないのに、なぜこんなにも背中から汗が出るのだろう。

 二人は同時に俯いた。

 

 「う、うちは。戦いのな・・か・・で」


 アスターネは言い訳を言おうと思った。

 でも突然言葉が出て来なくなった。

 一音すらも発音できない。

 顔を上げて、フュンを見たら、話そうとする言葉を考える事も出来なくなった。


 「わかっていますよ。当然。僕らだってね。あなたたちと戦っているんだ。傷つくことだって、死ぬことだってあります。ああ、そうか。あなたは・・・そうですね。パールマンの事ですね」

 「・・・・」


 アスターネが黙るとフュンは完全に理解した。

 ゼファーが倒した将の中にパールマンがいた。

 その報告だけは受けていたフュン。

 ではなぜミシェルの事を知らなかったのかと言うと、それはあえて皆がその報告をフュンにしなかったのだ。

 フュンがその時期に戦場に出ていることは皆が知っている。

 だから、その際に仲間の負傷が耳に入れば、フュンの気持ちが揺らいで、思考の邪魔になるかもしれないと、皆がその事実を伏せたのである。

 それは正しい判断だった。 

 おそらく知っていれば、冷静に物事を判断できなかっただろう。

 この戦争もここまでの状態に持っていけなかっただろう。

 皆の配慮がこの勝利に繋がると言っても過言じゃない。


 「・・・そうですね。無意味な戦いだ。何のために、二国で戦わないといけないのか・・・傷つかなくてもいいのに・・・はぁ」


 言葉を一つ発する度に、フュンの怒りが消えていくのが分かる。

 ブルーは圧迫感が消えたように感じた。

 だから質問ができた。


 「あ、あなた様は、戦争をしたくないのですか」

 「ん? ま、まあ。そうですね。本来はしたくはありません。ですが、無理でしょう。あなたも理解しているでしょう。ネアル王の事を隅から隅までね」

 「は、はい。そうですね」


 ネアルなら、決着を着けたいと思うに決まっている。

 自分が一番じゃないと気が済まない性格も知っている。

 だから戦いをしないという選択肢を取れないのだ。


 「ええ。あなたのような、実に優秀な方がそばにいようとも。アスターネたちのような平民出身の武将たちがいようともね。あのヒスバーンのような切れ者がいようとも。最終的に王国の意思決定するのはネアル王だけだ。彼の意見の全てに付き従わないといけない。あなたたち、国民がね」


 ブルーは、フュンの言葉を重く受け止めた。 

 頷いてそのまま下を向く。


 「そ、そんなの当然じゃない・・・王の言葉よ。臣下は・・・従うものじゃ・・・」 


 アスターネは精一杯言葉を返してみた。


 「ええ、そうですね。王の言葉とは重い。その一言で生死すらも決まるくらいにね・・・でも、所詮。王も人でしょ。神でもないのに、勝手に人の生死を決めるのは良くない。だから僕は、ネアル王を倒さないといけない。彼にも気付いてほしい。あなたたちのような、素晴らしい仲間がいるのだから。共に戦う者の意見の大切さ。そして、命の尊さをね。彼は頭では分かっていても、魂が気付いていない」


 フュンの表情が柔らかくなっている。

 声は厳しさが残っているが、顔だけでも穏やかになっていた。


 「そ、それはどういう意味・・・で」

 「僕たちは、停戦します。その際に、あなたたちを材料にしますので、ご了承くださいと。この報告をしようと思いましてね。ここに来たんですけどもね。こんなお話をするとは思わなかったんですけどね。まあ、話し込んでしまいましたね」

 

 ブルーは、出した言葉の続きを言いたかったが、フュンの悲しげな顔で辞めた。別な質問に変える。


 「て、停戦ですか」

 「ええ。ですが、停戦の提案は。むしろネアル王からでしょう。交渉したいとそちらから連絡が来たので、僕が一度断りました」

 「断る・・・そうでしたか」


 ブルーは即座に理解した。

 フュンが断った理由は、交渉しようという言葉がいけなかったのだ。

 停戦交渉をしてくれませんかの一言が必須だったのだ。

 あの戦場で交渉するのなら、王国側が下に出なければ、おそらくフュンが了承しない。

 それは交渉に入る際の主導権。

 これを最初から得られるかどうかの戦いがすでに始まっていたのだ。

 

 交渉しませんか―――これでは対等条件での交渉が始まり。

 停戦交渉をしてくれませんか―――これが提案した側の不利な交渉から始まる。


 だからフュンが、一度断った。

 この断りを挟むことで、有利なのが俄然フュンとなる。

 なぜなら、断って場所指定までして、そしてそちら側がその条件をすぐに飲み込んだ。

 この事実が重要。

 条件を相手に飲み込ませたという相手をコントロールしたことが重要なのだ。

 

 今の話を聞いたブルーはここまで予想が出来ていた。

 ネアル王が追い込まれてた証を聞かされ、内心焦っていた。


 「明日。交渉します。そこでどのようになるかは分かりませんが。あなたたちを使いますので、よろしくお願いします。でも安心してください。絶対に殺しはしません。必ずお返しする形になると思いますのでね。それまで、少し面倒かと思いますが、ここに大人しくいてくださいね」

 「・・はい。わかりました。ご迷惑を・・」

 「いえいえ。ブルーさん。またお会いしましょう。次は解放時にですね」

 「わかりました」


 フュンが部屋から去り、渋々ついていくゼファーも去る。

 すると部屋に充満していた緊迫感が外れた。

 ここで二人はまともな呼吸が出来るようになった。


 「なんていう気配・・・恐ろしい人・・・」

 「こ、怖かった。ブルー。あんなに怖い人なの。うちと戦った時でも、あんな殺気はなかったよ。だからあの人、最初からうちの事、殺す気が無かったのね」


 アスターネは今にして恐怖する。戦うよりも怖い。

 その殺気。あれを怒らせてはいけないのだと身に染みた瞬間だった。


 「ええ。そうですね。あの人は、怒らせてしまったら駄目な人ですね。ネアル王よりも危ないかと思います。次は死・・・なのかもしれません」

 「うん。そうかも」

 「ええ・・・危険です。極力怒らせないで、こちらが勝ちたいですね。あの人を怒らせてはいけない。虎の尾を踏むような行為は避けねば・・・」


 ブルーの感想に、アスターネも頷く。


 「それにしても・・・この後の交渉。それがどのようになるのでしょうか。不安ですね・・・なんだか胸騒ぎがします」


 ブルーは敵に捕まっていたとしても、ネアルの心配をしていた。


 

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