第78話 北から変化していた

 包囲を抜けたネアル軍は、ギリダート北東の橋の基礎工事の場所にまで下がった。

 軍を減らしながらの敗北。

 だが、その不名誉の悔しさよりも、アスターネとブルーをみすみす失ったことが悔しかった。

 二人の腹心を失うなど、あってはならぬ恥。

 それ以外の感情が湧いてこない。


 「どうするか。ここでもう一度か。立てなおしに・・・」

 

 色々な作戦を考えていたネアルは、ここで嫌な予感がして、周りを確認した。

 横には変化がない。

 しかし後ろには変化が起きていた。

 彼の後ろには川しかない。

 この戦いの異変は、川からやって来たのだ。


 「なんだと。それはまずい・・・なんだこの国は。全体が強いのか・・・ああ。間違いない。私は、見誤っているのだな。帝国の真の強さ。今の帝国は、一枚岩なのだな」


 後ろを振り向いたネアルは気付いてしまった。

 自分たちに勝ち筋がない。だからここでの停戦を選択するしかなかった。


 「ゼルド。白旗を挙げて、交渉に行ってくれ」

 「え? な、なぜでしょう。まだ戦いは出来るかと」

 「すまない。これは無理だ。この状態ではな。我々が負ける」


 ネアルが見ている方向を、ゼルドも一緒になって見る。


 「あ、あれは・・・ネアル王」

 「わかっている。言いたいことはわかっている」

 

 フーラル川の川上からとある船団が来ていた。

 ネアルは、その船団の一番前にいる船に乗っている人物を見て、この判断を下した。 

 今ならば、まだフュンが気付かない。

 自分たちが目隠しになって、船からの援軍が見えにくいはずだ。

 城壁に戻られたらその情報を知る可能性があるかもしれないが、今ならばまだ間に合うと即断したのだ。


 「急いでくれ、ゼルド。交渉をする」

 「わ、わかりました」


 ◇


 フュンは、白旗を持ったゼルドを見た。

 小部隊がこちらにやって来る。


 「ん? 白旗? ここでですか。なぜでしょう・・・まだ、戦えるはずなのに」

 「フュン様。あれはゼルドという将の様です」

 

 レヴィが報告に来た。


 「・・・わかりました。軍は停止。迎え入れてください」

 「はい」


 レヴィがゼルドの事を本陣まで招待することになった。

 

 ◇

 

 ゼルドは到着早々、丁寧に挨拶をする。


 「フュン殿。お初にお目にかかります。ゼルド。と申します。地位は帝国大将であります」

 「はい。初めまして、僕はフュンです。いちおう、大元帥です。よろしくお願いしますね」


 フュンは笑顔で挨拶を返す。


 「あ・・はい。よろしくお願いします」


 先程まで死闘を繰り広げた敵とは思えないほどの態度だった。

 柔和な表情で、快く迎え入れてくれたことに戸惑う。


 「それで、なんでしょうか」


 知っているがあえて聞く。

 フュンは相手に言わせることにした。


 「交渉をしてくれませんか」


 この一言で、フュンは会話の方向性を決めた。


 「交渉ですか・・・降伏ではなくですよね」

 「は、はい。そうです」

 「・・・それじゃあ、一旦停止でもいいですか。交渉条件の話し合いは、一旦持ち帰る形でもいいですか」

 「え?」

 「いや、交渉はしますよ。ただ、明日。北門の前。一キロ先で、少数でやりましょう。事前交渉で、代理人を置きます。クリスを出しますので、そちらもどなたかをお願いします」

 「・・・はい。わかりました。それだと・・今日は・・」


 申し訳なさそうな顔をしたゼルドを見て、フュンは言いたいことを判断した。

 『これ以上の戦いはしない。そうしてくれますか』である。

 困った表情にも見えるゼルドに片手をあげてフュンが答える。

 

 「ええ。いいです。今日は完全停止で。明日もですね」

 「ありがとうございます」

 「はい。ではゼルドさん。ネアル王によろしくお願いしますとお伝えください。それと、お二人はお預かりしています。傷一つなく、こちらにいてもらうので、安心してくださいと、お伝えください」

 「わ、わかりました。ありがとうございます」

 「ええ。ではまたとお伝えくださいね」


 フュンが丁寧に言うと、ゼルドは三度も頭を下げて去っていった。

 随分丁寧な人だなとフュンは思うが、それ以上にゼルドもこれほど丁寧な人が総大将なのかと驚いていた。


 彼らが去り、ゼルドがちょうどネアル王の元に戻り、軍が西へ向かって本陣まで退却すると、上からフィアーナとインディが降りてきた。


 「大将!」

 「ん?」

 「あれを見てくれ」

 「・・・・おお! そうですか・・・なるほどなるほど。だからネアル王は交渉をしたかったのか・・・これは僕の判断が早すぎましたかね。もう少し粘っていれば、彼からもっといい条件を引き出せたかもしれない」

 

 フュンが北の川を見て納得すると、北門に部隊を配置していたクリスが戻って来た。


 「フュン様。それは仕方ないかと思いますよ。フュン様の位置では、あの船団は見えません。ネアル王の位置からでないと。見えませんからね」

 「ええ。そうですけどね。まあ残念だったってことで・・・そうだ、クリス。ご苦労様ですよ。あなたの足止めのおかげで、戦いは終わりました」

 「いいえ。足止めなんてしてません」

 「ん?」

 「あちらが勝手に足を止めたのです。おそらく、イルミネスという男が、私の動きを理解し、フュン様がしたい事を理解したのかと思います」

 「そうですか。彼ですね。たしかに、彼ならば見抜くかもしれません。彼は優秀だ。戦いの意図。戦いの本質を見抜くかもしれません」

 「イルミネスがですか」

 「はい。僕の予想では、ヒスバーンに匹敵する力を持っていると思いますね。彼のような頭のキレを持っている。話も上手いですしね」


 フュンは、王就任の際の会話から考えていた。

 あの時のイルミネスは、自分の事を探りに来たのだと思った。


 「・・そ、そうですか」

 「はい。なのでクリスも気を付けてください。あなたに勝てるかもしれない男は、僕の予想ではヒスバーンだと思っています」


 だからイルミネスも危険視した方がいい。

 フュンの予想である。


 「え? いやいや、私はフュン様に勝てません。ヒスバーンではありません」

 「何を言っているんですか。あなたは、この大陸で一番になりうる男だ。僕なんかと比べてはいけませんよ。僕は弱いんですよ。それにあなたが一番になります。あなたの頭脳に勝てる者はいないです」


 フュンは自分が一番だと微塵も思っていない。

 むしろ弱いと思っている。

 英雄ネアルの万能性。クリスの頭脳。ゼファーの武力。ミランダの知略。

 これらに敵うわけがないと思っているのだ。


 しかし、フュンの恐ろしさとはここにはない。

 彼の真の力は・・・この後に分かるのである。


 「ありえません。フュン様が一番です」

 「いえいえ、あなたが一番です」

 「フュン様が!」


 クリスが負けじと言い張ろうとする。珍しく声も大きくなっていった。


 「んなこと。どっちでもいいだろ。大将。あんたも頑固だけど、こいつも頑固だから、張り合ってもしょうがないぞ」

 

 元上司フィアーナがクリスを諫めつつ、フュンも宥めたのであった。



 ◇


 ネアルが交渉を潔く決断できた要因。

 フュンが交渉をするにはまだ早計であったかもしれないと思った原因。

 

 それは、二日前に遡る。


 ガイナル山脈の要所が見える山に布陣している帝国軍。

 その本陣で、静かに敵を見守るゼファーの元に、ジークがやって来た。


 「ゼファー君」

 「あ! ジーク様」

 「よくやったよ。君のおかげで、プランが進行した。この封じ込めは正しいぞ」

 「本当ですか。ありがとうございます」

 「それでね。悪いんだけど。ここの戦場を俺に任せてくれないか」

 「え? ジーク様にですか」

 「うん。君のゼファー軍を装うために鎧もくれ。それで、ゼファー軍一万で援軍に行ってくれ」

 「え。援軍ですか。我が? どこにです?」

 

 ジークは地図を広げる。

 事細かく全体の戦況を報告して、最後のリリーガからの報告をゼファーに伝えた。


 「たしかに。この配置だと、リリーガは援軍を送れませんね。そうなると殿下が危険だ」

 「うん。そうなんだ。それで、君に行ってもらいたいんだよね」

 「我ですか。それはいいのですが・・・でもそれだと、ここはどうするのでしょう。我なしでは難しいのでは? あっちには武の達人がいるようでして。マサムネさんが言っていた男がいまして、ここでは、我かタイロー殿しか戦えぬと」


 ノインの強烈な武は、ゼファーなら止めることが出来る。

 だからここには、ゼファーが必要ではないかとの見解が仲間たちにはあって、それでゼファーもここにいた方が良いと思ったのだ。


 「大丈夫。あれはこっちまで来ないと思う。あの要所から外れるような動きは取れない。だからここで全体で囲っていれば、あそこから出てこないよ」

 「え? 本当ですか」

 「ああ。各個撃破すればいいだけなんだ。そのノインとかいう奴が強いんだろ」

 「はい」

 「だったら、そいつ以外が出て行く戦場に対して、丁寧に強襲していけばいいだけだ。そうすれば各個撃破で潰せる。それに今から俺がここにいるから大丈夫。俺は、戦姫の兄だぜ。俺の戦い。信用できないかい?」


 冗談交じりの言い方をしたが、ゼファーには伝わる。

 ジークからの絶対の自信が見え隠れしていた。


 「いえ。信用しています。ジーク様はお強いですからね。本気を見てみたいくらいですからね」

 「俺の本気だって?」

 「ええ、いつもあなた様は、実力をお隠しになられるのでね。本当の実力を見たいものですな」

 「ハハハ。君も冗談を言うようになって、俺はいつでも本気さ」

 「嘘ですな」


 ゼファーは横目で、怪しむ目をした。


 「ん・・・まあいいだろう。君も援軍に行ってくれ」

 「はい。ではどのようにしていけばいいのでしょうか。馬でリリーガへ行くのですか? そうなるとずいぶんと時間が・・・」

 「ああ。だから、フーラル川の上流から一気にいこう。船は用意した。マルンが輸送船団を動かしてくれる。君たちは部隊編成をして、そっちに行ってくれ。頼むよ」

 「なるほど。わかりました」


 川からの輸送。それが一番速い。

 ジークの手配の良さに感心するゼファーだった。


 「それとゼファー君。俺の予想だと、結構厳しい戦場になっていると思う。フュン君さ。あれ、相当な無理をするぞ。こちらの援軍を受け入れる気があまりないと思うな。自分たちの今の戦力で勝ちに行く考えをしていると思う」

 「そ、そうですか。まずいですね。それは」

 「ああ。今の帝国は、この戦争に出せる兵力の限界に近い数を送り出しているだろう。これ以上はどこも出せない。いっぱいいっぱいだろうな」

 「そうでしょうな。どの都市も限界点。だからタイロー殿にも援軍をお願いしたと思います」

 「ああ。そうだね。だからこそフュン君は、あの兵力であそこを守ろうと思うだろう。だから危ない。彼は本当に危険だ。勝利の為には、自分が犠牲になる事も気にしない。自分に無頓着だからね。だから君や、俺が必要だと思う。彼のブレーキにならないとさ」


 止め役が必要。それも家臣の役割の一つだろう。

 ジークとゼファーは互いの意見を一致させた。


 「そうですね。我も気を付けます」

 「ああ。だから、俺の義弟を頼むよ。妹が一番大事にしている人だからね。守ってやりたい」

 「はい。おまかせを。我は殿下をお守りするために生きていますから。ジーク様。安心してください。我が死なせません」

 「ああ。変わらないね。君はさ。子供の頃から一つも変わらないよ。うんうん」

 「ええ。これだけは変えられませんよ! この思いだけは」

 「ふっ。じゃあ、いっておいで。ここは俺に任せてくれ」

 「はい! いってきます」


 ジークに見守られて、ゼファーは援軍として出陣したのだった。


 こうして、フュン・メイダルフィアが戦った。

 二大国英雄戦争第三戦ギリダート攻略戦争は終結する。

 ここからは別な戦い。

 フュン対ネアルの舌戦が始まるのだ。

 そこがフュンの恐ろしい部分。フュンの真の力が発揮される部分。

 人を手玉に取る事に長けているフュンが優秀であることが判明する戦いだ。

 戦いは、停戦の条件を巡る言葉のやり取りへと変わる。


 

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