第285話 思いを託せる者へ
帝国歴497年。
ある日のダーレーのお屋敷。
ミランダは、生まれたばかりの赤ちゃんと睨み合いに入った。
「おぎゃあ。おぎゃあ。おぎゃ・・・」
「泣き止んだ」
「・・・・ん」
「あたしを見たぞ」
「・・・・・」
「なんだよ!」
「・・・・・」
生まれたばかりの赤ちゃんを眺めていると、ミランダの肩にシルクの顔がやってきた。
彼女はいつものようにミランダに優しく言い聞かす。
「ええ。この子が私の子になりますよ。いいですか。私の子です。ミランダ。念を押しますが、私の子ですからね」
「もう、そんなに言わなくてもわかってるよ。シルクさん。大丈夫。あたしだってその事情は分かってるのさ」
「ええ。それならよかったです。この子は、そうしなければ生きられないでしょうからね。内緒ですよ」
「うん。それで、名前何だっけ?」
名前を覚えていないミランダは、赤ちゃんを指さした。
「シルヴィアよ」
「そっか。シルヴィア・ダーレーね」
「そう。今度からはシルヴィね」
「そっか。でもあたしは、お嬢って呼ぶよ」
「お嬢?」
「うん。この子が本物になった時。本名を名乗れる時。あたしはお嬢って呼ぶのをやめるわ」
「そう。わかったわ」
シルクが赤ちゃんを抱っこしてあやし始めた。
何も思わないのか。赤ん坊は無表情である。
「この子、さっきからこっちを見ても笑わないわね」
「そうだね」
「・・・無表情だけど、大丈夫かしら」
「どうだろう。ジークもそんな感じじゃなかった?」
「ええ。あの子も変わってたわよね」
「うん。でもあいつの場合は、途中でニヤッと笑うんだよね。鼻で笑ってるみたいにさ」
「ふふふっ。面白い子だものね」
「うん。変だよ」
「そうかもね」
無表情なシルヴィアの事を何度も可愛がるが笑顔にはならない。
でもミランダとシルクにとって、笑顔もない子だけど、可愛いに変わりはなかった。
「シルクさん、ジークにもこの子を可愛がらせないといけないんじゃないの。兄妹としてさ」
「ええ。そうね。ジークちゃんがもう少し大きくなったらね。教えてあげるのよ。可愛い妹を大切にしなさいってね」
「だよね」
「それと、可愛いお姉ちゃんもね」
「あたしも?」
「そうよ。あなたも私の子だからね。お姉ちゃんも大事な大事な家族ですよぉって教え込むのよ。私たちは家族ですからねぇ」
シルクはシルヴィアを持ち上げて、自分の顔を横に震わせて、彼女を喜ばせようとした。
しかし、彼女には何も響かない。
無表情でシルクを見返す。
「あら。やっぱり何も反応がないわ」
「シルクさん。この子、大丈夫なの?」
「わからないわ。表情がないものね。何を考えているのか難しいわね」
「うん。無表情だもんね」
二人は冷静な赤ん坊をどう扱うべきかで悩んでいた。
◇
そこから数カ月。
「ユーさん。エステロ」
「なんだ?」「どうしました?」
ミランダは二人を呼び出した。
「あたし。外に行ってくるわ」
「ん? 外に行くだと?」
「ああ。ユーさん、あたしの今の強さ。どんな感じ?」
「そうだな。大人顔負けではあるな。強者一歩手前の状態だ」
「ほんとか。ユーさん?」
「そうだな。あと、一、二年で完璧に近くなる。俺くらいとは言わないが、その手前まで来るだろうな」
「マジか。あたしって、ユーさんくらいまでいけるのか」
「いけるな。お前は天賦の才がある。修練を積むことを忘れなければいける!」
ユースウッドからの評価が高く、そして。
「私も思いますね。私の知の部分はもう頭の中に入ってるでしょう。すでにあなたはウインド騎士団くらいの人数なら指揮を任せてもいいです。私の片腕にしたいくらいですよ」
「ほんとか。エステロ」
「ええ。今、まかせてもやってくれるはずです」
エステロからも高い評価を頂いた。
「ならやっぱ、あたしは外に行くよ。今なら、戦争も本格的にはならない。あたしの家みたいなクソどうしようない家を潰すくらいだからな。弱小を潰しても別に戦局には関係ないのにさ。つうことは、まだだ。本格的な戦いはこれからなはずだ。貴族と貴族が戦う。大貴族の戦争。もしくは、王族にまで飛び火するような大戦争はこれからだと思うのさ」
昨年の末。ウォーカー家は無くなった。
彼女の親族も全て亡くなった。
それで跡取りとなった彼女は、そのウォーカー家は消すことにして、皇帝陛下から貴族としての称号を消してもらったのだ。
彼女の今の地位は、元貴族という名の平民である。
「エステロ。ユーさん。だからあたし、今のうちに仲間を作ってさ。いずれ来る本格戦争の時にダーレーに貢献したいのさ。だから許可してくれ。いいかな」
「・・・俺は今の歳では難しいとしか言いようがないな。他の言葉が出ない」
ユースウッドは答えを渋る。
「私は、許可しましょう。あなたならやっていけると思います」
エステロは悩まずに許可を出した。
「ほう。エステロはいいとするのか」
「ええ。ユーさん。この子の目はとても良い。仲間を見つける際もおそらくは良し悪しを見極めます。仲間になってくれる人物だけを選ぶでしょう。それも有能な仲間です。その彼らがきっと、シルヴィアを守るはず。そうすればあなたも安心では?」
「・・・そうか。こいつが外に行けば、ダーレーが守られるというのか」
「そうだと私は思います。でもあなただって、そうは思いませんか。ユーさん。私たち、この子を育てましたよ。それはそれは、丁寧に立派にね」
「・・・そうだな。わかった。ミランダ。お前に任せた。ダーレーとあの子の事を頼む」
「うん。ユーさん、あたしに任せてほしいのさ。成長して帰ってくる」
「ああ。信じてるぞ。俺たちの弟子」
「ミランダ。頑張ってください」
ミランダはユースウッドとエステロの応援を受けて、ダーレー家から出ていくことを決めた。
それは、ダーレー家の為の一歩だった。
◇
出立の日の前日。
ダーレーのお庭から屋敷のとある部屋の窓を見ていた女性がいた。
「・・・」
「おい。ミランダ。話しかけてこないのか」
女性は、自分の事をジッと見ていたミランダに気付いていた。
「なんだよ。あんたも来てたのか。いいのか。あんたがダーレーに来ても」
「ああ、いいんだ。今日だけはな。今日で、お別れだからな。そして、ついでにお前の顔も見に来たぞ」
「ふん。ついでかい・・・それにしても、あんたも大変だよな。お嬢に顔だけでいいのか? 言葉はいいのかよ」
「はん! いっちょ前に、私に気を遣ったか。クソガキ」
「使ってねぇわ。あんたに気を遣うくらいなら、シルクさんに遣うから」
「生意気な・・・ガキだな」
大胆不敵な女性の神妙な顔は初めて見た。
いつも不敵に笑ったり、余裕な表情を崩さなかったり、喧嘩して怒りだしたりしてる姿は見ているのに、この顔だけは見たことがない顔だった。
「ミラ。ほれ。これをやる」
「ん?」
女性は自分の腰にある長刀を放り投げた。
「こ、これは。あんたのじゃん」
受け止めたミランダは、両手で大事そうに持つ。
「ああ。そうだ。それは名刀。
「な、なんでこれを?」
「お前に預ける。そんで、それを預けても良いと思える者に託してくれ。次の者へだな」
「・・・それはあんた・・・お嬢にか?」
「いいや、お前の意思を継ぎそうな奴にあげろ。もしくは思いを託しても良いと思う人に渡せ。それがあの子でもいい。誰でもいいんだ。お前が信じた奴にしろ」
「・・・じゃあ、これ。もしかして・・・」
ミランダが顔を上げると、女性は満面の笑みで、ミランダの頭を撫でる。
「ああ。そうだ。私はお前に思いを託せる。だから、渡すんだ。次の者へな」
「・・・そっか。でも、あんたの思いを託せる相手が、あたしなんかでいいのか?」
「ああ。いいぜ。お前は、私の弟子でもある。生意気だけどな」
「うっせ。あんたこそ口うるさいわ。こっちの話も聞かねえし」
「ハハハ、減らず口が。クソガキ・・・じゃ、行って来いよ。お前の旅に、幸あれだ」
女性は振りかえって去ろうとした。
「・・・ああ、じゃあな。ヒストリア」
その彼女の背に向かってミランダは言った。
「はっ。やっと名前で呼んだか。クソガキ・・・ミラ、頑張れよ。シルクさんを・・・家族を大切にしなよ。そしてあの子の事も頼んだぞ」
「ああ。任せておけ。あたしが守ってやる。安心しろ」
「ふん。生意気娘、じゃあな」
すると今度のヒストリアは、振り返らないで右手を上げて手を振って去っていった。
さよならだ。
とは言わずに去っていく。
でも、それが本当の別れになることも知らずにだった。
二人はこれが最後の別れだとは知らなかった。
知っていたらもう少しマシな別れ方をしたのだろうか。
今でも彼女は思うことがあるらしい。
―――あとがき―――
ヒストリア・ウインド
ウインド騎士団団長。ウインド家の当主。
彼女は幼い頃に母を亡くし、少し成長した頃に祖父を失っている。
なので、幼くても当主となった女性だ。
だから環境としては若干違うがミランダと似たようなものだった。
親のいない彼女がウインド家を切り盛りしても、ほぼ上手くいっている状態になるのは、彼女に並外れた才覚が備わっていたからである。
ダーレーにちょくちょく顔を出しているのは、シルクが好きであるからと、もう一つ理由がある。
その理由は本編で分かることになっています。
ミランダの師であるが、主な指導はしていない。
心担当の師である。
技は継承させておらず、魂だけを継承させているのだ。
ユースウッド・ダーレー
ウインド騎士団戦闘隊長。本来のダーレー家の当主。
戦闘に置いて、ヒストリアを外せば彼の右に出る者はいない。
最強の剣士である。
速さがとにかく売りで、一撃の威力も重いが、連撃も鋭い。
ミランダの武の師である。
ミランダの閃光のような移動は、彼から受け継いだ。
面倒見のいい人で、シルクと似ている点がある。
さすがは兄妹と言ったところである。
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