第58話 王子とメイドの絆
フュンはしばらく家を留守にするので、留守番をイハルムに任せて、身の回りの世話をお願いするためにアイネを伴って、ジークと一緒にとある場所まで馬車で移動していた。
相変わらずフュンはどんな時でも誰に対しても平等に接する。
それがよく分かる場面にジークは出くわした。
「アイネさん。ごめんなさいね。僕の勝手であなたまで連れまわすことになっちゃって」
隣同士で座るアイネとフュン。
嬉しそうな顔をしているアイネと困った表情をしていたフュン。
対照的な顔をしているのは訳がある。
それは。
「いえいえ。王子の行くところに私も同行できるのはとても嬉しいです。王子はいつもお一人でルーワ村に行かれるから本当は私、寂しいんですよ。私も連れて行ってくださいよ」
「あそこは馬で急げば片道で半日くらいなものだから、ついついお隣さんの感覚でふらっと行ってしまうのですよ。あははは。ごめんなさいね」
「そうだとしてもですよ。私も王子と一緒がいいんです! 連れて行ってください!」
「は~い。今度からはそうします。ごめんなさい」
「はい。許しました。王子、約束ですよ」
「アイネさん。ありがとう! 今度は一緒ですからね」
「はい! 楽しみにします」
お姉さんと弟みたいな関係の仲の良いメイドと主。
この世界にこんな関係の主従はいるのだろうか。
そう思っているジークは優しい眼をして二人を見つめていた。
「ジーク様。今から行く場所はササラでしたっけ?」
「そうだよ。俺たちダーレー家が所有している領土の一つ。港湾都市のササラだ」
「港湾……港町ってことですか?」
「まあ。端的に言えばそうだね。あそこは造船業も盛んだからね」
「そうなんですね。海ですか。初めて見ますね」
「お! そうなんだ」
「ええ。僕らは山と平原の民ですからね。海を見られません。ねえ。アイネさん」
フュンは隣を見た。
「はい! 私も見たことがありません! 楽しみです」
「よかった。アイネさんが楽しみじゃなかったら申し訳なくてね。わざわざついてきてもらったのにね」
「いえ。王子が行くところに同行できるのが楽しみです!」
「あ。そうですか」
てっきり海を見るのを楽しみにしてくれていると思ったフュンは、ちょっぴりがっかりして端的に答えた。
「ふっ。君は面白いな。本当にさ・・・そろそろかな。海が見えるよ」
ジークが馬車の窓を開ける。
そこに広がる景色。それは様々な青のグラデーションだ。
空の鮮やかな青から海の深い青まで、フュンが見たことのない景色は体中を感動で埋め尽くす。
手足にまで歓喜の震えが出て、フュンは未知なる世界に足を踏み入れた気分になった。
「これが海なんだ! す、凄いです。初めて見ましたよね。アイネさん!」
「・・・あ、はい。綺麗ですね」
「ええ。とても綺麗ですよ。海って綺麗ですね」
アイネはその景色に感動したのではなく、嬉しそうに外を見つめる王子で涙ぐむ。
辛い事ばかりの彼の人生に少しでも心に潤いがあればと、いつも陰ながら応援している彼女にとって、これだけでも生きてきてよかったと思うほどに今日を感謝した。
「あ~。何か飛び跳ねましたね。今!」
「ん? 何か見えたのかい?」
「ええ。何かが水面から顔を出しました」
「ちょっと離れてて見えないな」
「そうですか。僕には見えたんですが・・・」
フュンの視力は抜群に良い。ある日のゼクスとの感覚訓練の際にも、その力を発揮していた。
ゼクス以上に遠くのものが見えるし、彼以上に鼻も効くのだ。
ゼクス曰く、おそらくフュン様はサナリア一の感覚力があると思いますと、自分の弟子を誇らしげに褒めていたのである。
そうゼクスは、弟子のフュンが同年代から見て遥かに弱くても、色んな所を褒めて伸ばしてきたのである。
だから彼は伸び伸びとスクスクと育ち、優しさ溢れる男へと成長したのだ。
「でも、顔を出すってことは・・・たぶんイルカかな?」
「イルカですか」
「うん。ササラの港付近には、イルカがいるんだ。でもそれらは必ず来るとは限らない。しかし、その見られるかどうかも分からないイルカの為に観光客だって来るんだよ。凄いよね。来ても見るのが難しいものの為に観光するなんてね」
「へえ、そうなんですか。じゃあ、僕はここから見えてラッキーだったんですね。あははは」
もうすぐ到着のササラは、二重支配体制と呼ばれる帝国では物珍しいシステムを導入している都市である。
市長と貴族の二人の長が都市を運営しているのだ。
実質的な支配者は選挙で選ばれた市長で、形式的な支配者としてダーレー家に仕えている貴族の領主が支配している。
現市長イーサンク・ナッシュを始めとする議会が政策を立案して実行寸前の所で、領主ピカナ・マルトロがそれを承認して判を押すという形で政策は推し進められていく。
特殊な政治体系だ。
でもこれが不思議と上手くいっている。
一度足りとて不満も出ないのが不思議であると当時の他の都市からの言葉が残っている。
それらを可能とする人物。
ピカナ・マルトロとは、いったいどういった人物であるかというと・・・それは。
◇
ササラのピカナ邸にて。
丸々とした目に短い黒髪の中年の男性は、穏やかに出迎えてくれた。
「ああ、ジーク。お久しぶりですね」
「ピカナさん! 遅くなりました。会えて嬉しいです」
ピカナの手が肩に置かれて、とても嬉しそうなジーク。
そんなジークは初めて見ると思ったフュンは、ピカナの目を見た。
彼の目は透き通っていてとても綺麗だった。
それに魂も、美しい角のない丸い球が真っ白に輝いている。
曇りない心を表していると感じる。
フュンは穏やかそうな男性の内面を見ていた。
「この方が、例の子ですね。ジーク」
「はい。そうです。私が、我が家に迎えたいと思っているフュン殿です」
「なるほど・・・ジークがそこまで気に入っているのですね。ははは。良い事ですね」
ジークの心の動きを良く知る男は、ジークが本気で言っていることに気付いている。
本心は決して他人に言わない、嘘八百のこの男の言葉の真意を読み取れる人物はピカナしかいない。
そう言われている。
それとジークもこの人の前では嘘はつかないとされている。
それほど二人は強固に信頼関係を築いているのだ。
「あなたが、フュン殿ですね。僕はピカナ・マルトロです。よろしくお願いします」
「は、はい。フュンです。ピカナ様。よろしくお願いします」
「ああ。だめだめ。ピカナでいいですよ」
「え。さすがにそれは・・・」
「それじゃあ、さんでお願いします。僕はそんなに偉くないんですよ。ただジークのおかげで今があるだけですからね。本当はね、僕にここを治めるような力なんてないんですからね。はははは」
「わ、わかりました。ピカナさん」
「ええ。フュン殿。気を楽にしてくださいね。ここにいる間、僕の家を本当の家だと思っていいですから。はははは」
良く笑ういい人だとフュンは思った。
「それじゃあ、長旅だったろうから。今日はゆっくり休んで、明日。ここを案内しますね!」
「はい。お願いします」
「ジークはどうしますか? 君も一緒ですか?」
「はい。もちろんですよ。しばらくお邪魔します」
「そうですか。じゃあ、一緒に食事をしましょうね。では、いつものジークの部屋は空けてますから、その隣にフュン殿をお連れしてあげてください」
「わかりました。フュン君。アイネ君。いくよ」
「「 はい! 」」
ジークはピカナ邸にある自室に向かう。
ピカナの家なのに、ジークの部屋がある。
それだけで、二人の関係性がとても良いのだと察することが出来た。
◇
「それじゃあ、俺はここが部屋だから、隣の部屋がフュン君のね。君はあまり広い部屋は好きじゃないと思ったからさ。一応仕切りで二つに割ることが出来る部屋にしたよ。アイネ君と使えばちょうどいいサイズだと思うよ」
「細かい配慮までありがとうございます」
「うん。それじゃあ、俺から君を呼ぶから部屋にいてくれ」
「わかりました。待ってます」
フュンはアイネと共に部屋に入った。
「む!? 豪華だ」
想像以上に大きい部屋で驚く。
一番最初に目についたのは豪勢なベッドだ。
自分の部屋のものよりも二倍以上に感じる。
「そうですか。普通ではありませんか。王子?」
「それじゃあ、あの大きなベッドはアイネさんが使ってください。僕はあっちの小さなものを使います」
部屋の隅にあるベッドが明らかに従者用である。
一人分の宿舎用のベッドに見える。
「いやいや。王子! それはいけませんよ。明らかにあっちが従者用ではありませんか」
「そうですけど。僕ってあんまり大きなベッドだと眠れなくてですね。それにあの大きなベッドなら、着替えとかそういうことをするにもいいでしょ。女性にはちょうどいいですよ。それにアイネさんならあそこでも眠れるでしょう。いつもお昼寝してますしね」
「あ。バレてました」
「はい。可愛らしい寝顔ですよ。あははは」
「恥ずかしいです。見ないでぇ」
「無理ですよ。リビングで寝てたら見ちゃいますよ。あははは」
アイネのお昼寝に気付いていたフュンであった。
仕切りを上手く使い部屋を二等分にした二人。
明らかに部屋の大きさがアイネの方が広い。
それはフュンが狭い方が好きだと言ったからだ。
これにアイネが不満を持とうが意味がない。
アイネだってフュン第一主義であるから、自分に多少の不満が残っても主が満足するのなら、我慢していくしかないのである。
「アイネさん。なんだか懐かしくて……この感じも久しぶりですね」
「え」
「いや、一緒の場所で寝るなんて、僕が子供の時以来ですね。楽しいです」
「ああ。そうですね。あの時以来ですか。あの時は、六人で一緒になって寝ましたね」
「はい。あの時は楽しかったなぁ」
フュンは子供の時を思い出した。
◇
フュンが八歳の時、自室にて。
「フュン様」
清涼感のあるメイドの女性が颯爽とフュンの前に現れた。
ライトグリーンの髪と目が涼やかさを強調している。
「・・・どうしました・・・ハーシェさん」
会話のテンポが悪いフュン。
「今日は一緒に寝ましょう。私たちがお供します」
ハーシェの後ろには、四人のメイドたちがいた。
皆、ネグリジェで枕を持っていた。各々がフュンの体調を心配していた。
「・・・なぜです。僕は・・・一人でも大丈夫です」
話をしても顔が暗いままのフュン。
でもこれは仕方がない事だった。母が亡くなりたったの一カ月しか経過していない現状で、幼い子供が、その現実を受け止めるには時間が足りなかったのだ。
母が倒れた時は気丈に振る舞えたが、死んだ途端に緊張の糸が切れたようになり、何も話が頭に入ってこない。
それで寝ようにも眠れない状態になり、彼はその若さで寝不足の時を過ごしていたのだ。
目のクマが彼の心理状態と健康状態を表していた。
「いいえ。今のフュン様は大丈夫じゃありません。だから、私たちが常におそばにいますから。ね!・・・わたしたちが・・・あなた様を・・・お守りしますからね・・・わ、わたし・・・たちは常に一緒ですよ」
「……?」
涙は流れていないが、ハーシェの声は涙交じりの声であった。
「…私たちはあなた様のお母様から託されました。あなた様を守って欲しいと。ですから、私たちはあなた様を生涯をかけてお守りします。大好きなあなた様と、そして大好きなソフィア様の為に」
「「「「私たちも同じ気持ちです」」」」
ハーシェと四人のメイドは、常に同じ気持ちでフュンに仕えていた。
この人の為なら死んでもいい。
それくらいの高い忠誠心でフュンを支えていたのだ。
「・・・わかりました。それじゃあ、皆さんと一緒にベッドに横になります」
「はい。私たちが一緒にいますからね。いつもあなた様に心も寄り添っていますからね。安心してください」
とても大きなベッドに六人が横になった。
楽しそうにそれぞれのメイドが会話したり、ハーシェは、フュンの体にそっと手を置いて、絵本を読んでくれたり、王宮内のお話をしてくれた。
この皆の思いによって、フュンは少しずつ自分は一人じゃないんだと思い始めたのだ。
フュンは優しい人に囲まれて、優しさを取り戻して、生きる気持ちも取り戻したのだ。
そしてこの時の思い出が頭に強烈に残っているから、大きなベッドよりも狭いベッドの方が気に入っているのである。
誰かをそばに感じる事、これがフュンの安らぎである。
◇
フュンが過去を振り返っていたら。
「むにゃむにゃ・・・お腹いっぱいですよ・・・あ、王子も食べますか」
いつの間にか大きなベッドに横たわっていたアイネが寝言を言っていた。
口を大きく開けてから噛んだ。
夢の中で何かを食べている。
「フフフ……アイネさんはあの時も一番に眠ってましたからね。よく眠ることはいい事ですよ。いい子ですよね、アイネさんは!」
と彼女の方がお姉さんなのにまるで妹のように感じるフュンは、ジークに呼ばれるまで間、彼女のそばで本を読んで、彼が来るのを待っていたのでした。
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