第39話 ハスラ防衛戦争 Ⅷ
ハスラ南の城壁にて。
シルヴィアとミランダは、敵の退却を確認していた。
「退却していきますね」
「ああ。そうだな。よくお前も追撃を指示しなかったな。偉いのさ」
「先生。先生なら、あの陣を敷いている敵に追撃などしないでしょう? あれほど統率されているのです。さすがの先生でも、あれからは混沌を生み出せないでしょう」
「まあな。あいつら、かなりの強者だったからな。もっと上手い具合に罠に嵌めこまないとあたしでも無理だな……」
「ええ。そうですよね。先生、この戦。私があまりにもいけませんでした。初戦を間違えた結果がこれです・・・私が情報を読み違えたのです。これは今後の戦に生かさないといけません」
「ほう。お前が間違えるのは珍しい。まさか誤報でも受けたのか?」
「さあ。それすらも分からないので、あとで調べておきます」
大砲をこちらに向けつつも、向こう岸から到着した大型船に敵が乗っていく。
追撃の警戒と、穴のない防御陣形での巧みな退却であった。
だから、その見事な退却の様子からしても、王国の指揮官はなかなかの人物であるとミランダとシルヴィアは思ったのだ。
「ああ。そんじゃ。もう一人の弟子の所に行くか。お前もこい」
「・・・はい。もちろんです・・・」
「しかし。駄目だろうな・・・すまないな。あたしのせいだわ・・・フュン。すまん」
右手で額を押さえて、悩ましい顔をしたミランダ。
師のそんな顔を初めて見るシルヴィアも、私が悪いのですと無念そうな顔を浮かべたのであった。
◇
北の城壁。
敵が逃げる方向とは反対である北側。
ミランダの指示で、退却してきたウォーカー隊はそこに置いた。
都市の内部に置くよりも敵を早くに視認できた方が、この隊であらば逆に気が休まるだろうと思ってのことだ。
あえて、ミランダは皆を城壁の上で休憩させていた。
「ミラ。お嬢。来たか」
「ああ。ザイオン。どうだ、フュンは?」
「・・・まだ起こしてない」
「そうか・・・・」
ミランダもザイオンもフュンを起こせばどうなるか分かっているからこそ、それ以上何も言わずにいた。
ゼファーも双子も彼のそばにいるが無理に起こそうとはしなかった。
疲れ果てた彼にこの現状を耐える心があるのかと心配になっていたのだ。
それはエリナもサブロウも、そして最後に脱出の際にそばにいたサブロウ組のカゲロイたちも同様だった。
◇
ミランダたちがフュンの元に到着してから三十分後。
「・・・う・・・う・・・あ・・・は!?」
「で、殿下!?」
最初にゼファーが気づく。
譫言を言い出したフュンが目覚めた。
「殿下! ご無事で」
「あ、は。僕は・・・あ! シゲマサさん。皆さん。あ・・・そうだ・・・僕のせいで。僕が・・・・ああ。あああああ」
起きて早々、錯乱状態に入り、しばらくのたうち回る。
その光景を静かに皆が見守る。
誰も声をかけずにいるが、皆の顔は心配していた。
予想通りの反応をしているフュン。
初めての戦場で、初めて仲間を失うのはそうそう経験することではない。
だから、あえて一人にした。
悲しみを吐き出し、そこから立ち上がって心を強くしなければならない。
しかし、彼だけはそばに寄り添おうとする。
なぜなら彼も初めての経験なのだ。
主君の錯乱状態など初めて見る彼の状態で放っておけるわけがなかった。
「殿下。殿下。気をたしかに。殿下」
あの最後の戦場の光景。
あれが、フュンの脳から離れない。
死に際の皆の晴れやかな顔が、否が応にも思い出せてしまった。
悲しみの渦の中に一人でいる。
それは起きていようが寝ていようが、その中にいたのだ。
「ああ・・・・僕が、僕のせいだ・・・・皆さん・・・・亡くなったんだ・・・ああ・・・ああ」
カゲロイがフュンのそばに来た。
カゲロイは鬼のような形相で彼を見下ろした。
「ふざけんなよ。このクソ王子」
「ああ。僕が・・・僕のせいだ・・・」
何も言えなくなっているフュンの胸ぐらを掴んで持ち上げる。
その瞬間。
「…き、貴様ぁ。殿下をよくも!」
敵対行動だと認識したゼファーが、即座にカゲロイを攻撃しようとしたが、瞬時にミランダに止められる。
高速で動いたミランダは、ゼファーの頭を右手で押さえて地面にたたきつけた。
「ゼファー。我慢しろ。これは、フュンが越えねばならん試練なのだ」
「…せ、先生。殿下が・・で。殿下が」
「我慢だ! これは、お前にとっての試練でもある。いつも寄り添うことだけが従者の役目ではない。時には厳しく。離れて見守らなくてはいけない時が来るのだ。お前も・・・フュンと一緒になって耐えねばならんのだ。だがな。信じろ、自分の主君は、必ず立ち上がると。信じるんだ。お前はそういう心の強き君主に仕えているのだとな」
「・・・私の主を・・・・信じる・・・立ち上がる・・・」
ミランダが諭したことで、ゼファーの全身から力が抜けた。
彼の頬が地面に着いた。
「てめえ、いい加減にしろよ。気づけ! フュン!!!」
カゲロイが胸ぐらを掴んで、目の前で叫んでも。
「僕が・・・・僕の・・・僕・・・・・」
まだ反応がない。
「ふざけんな!」
だからカゲロイは思いっきりフュンの頬を殴った。
「うぐっ」
フュンは吹き飛び、城壁の壁にぶつかる。
顔への一撃も背中に響いた衝撃も凄かったのに、フュンにはその痛みが分からない。誰に殴られたのかもわからなかい。
それほど彼の世界には色がなく、映し出すはずの景色を瞳が捉えていなかったのだ。
「お前な! あれはお前のせいじゃないって、言われただろ! シゲマサ本人によ。お前、忘れたわけじゃないだろうな!」
「あ・・・あ・・・」
シゲマサが最後に自分を応援してくれたことをフュンは思い出す。
自分に未来を賭ける。
最後の最後までシゲマサは応援していたのだ。
その彼の思いをどこに置いていくつもりなんだと、カゲロイは涙の拳を向けたのだ。
「あ・・・・あ・・・あああ」
双子が前に出てきた。
「殿下」「いっぱい悲しんだら」
「シゲマサが」「悲しむぞ」
「笑え! シゲマサは」「それが嬉しいぞ」
「繋げ! シゲマサは」「最後に言ったぞ」
フュンは双子の言葉でさらに思い出した。
シゲマサは、証明しろと言っていたのだ。
死んで守るほどの価値ある人間になれと。
そうなのだ。
フュンは、心が折れてはいけない。
フュンは、今ここで負けてはいけない。
この先を生きて、思いを繋いでいかないといけないのだ。
シゲマサたちの分も・・・・。
「そ。そうか……ぼ。僕は・・・・生きなきゃいけないんだ。シゲマサさんの為にも」
「そうだ。お前は生きねばならんのだ」
「せ、先生」
フュンの目が世界を映し出す。
音だけの世界から、色味がかかっていく。
瞳が世界を映し出していった。
世界が変わると、世界には仲間がいた。
そばには大切な人たちがいた。
彼らの目が、とても心配そうで、不安そうで。
それでも、ずっとそばで寄り添ってくれているというのに。
自分が立ち直っていないのは、この人たちに失礼である。
皆の思いの力で、フュンは奮い立つ。
「フュン。お前には辛いことだろうがな。ここは耐えろ。そんで乗り越えるんだ。いいな。お前は、自分の出来うることを精一杯やり遂げた。それに、お前はこの戦争でなにも間違えていないのさ。どちらかというと、あたしが判断を間違えた。今回の難しい戦争で、お前に指揮権を渡したこと自体があたしの間違いなんだ。初陣で任せるような戦いじゃなかった。あの戦場では、ベテランだって上手く出来ん。だから、すまん」
「せ、先生。僕は・・・相手に・・・策を・・・」
いいえ。先生のせいではない。
自分が悪いんだとフュンが否定しようとするも。
「いいえ、それは違います」
ミシェルに誤りを訂正する前に止められた。
「…み、ミシェルさん!?」
「私たちはあの時、あなたの策が完璧だと思ってましたよ。これならば勝てるはずだと思いましたよ。ですからあなたは間違えておりません。そうでしょう、ザイオン様!」
ミシェルは槍を立てて誓う。
あなたは決して間違えていないと。
「ああ、その通りだ。俺も完璧だと思った。だが、あの策は結果、失敗に終わった・・・・戦つうのは、素晴らしい策でも失敗ってするもんなんだ・・・・だからな、フュンよ。どんな時でも、誰にでも、失敗は必ず起こる。ミラや俺にも、エリナやサブロウにもだ。でも俺たちはそれらを乗り越えて前を向いている。それは失敗を糧にして生きてきたからだ。成功も失敗も経験して、お前も俺たちのように進め。前だけをな」
「・・・・ザイオンさん」
美しい銀髪が彼の目の前に現れた。
フュンの瞳は、確実に色が見えている。
「そうです、ザイオンの言う通りなのです。ですが一番悪いのは私なのです。フュン殿。申し訳ありませんでした。私が、このような籠城戦にさせてしまった事。これが最大の間違いなのです。それが無ければシゲマサも、皆も。都市の住民も死ななくて済んだでしょう。申し訳ありませんでした」
シルヴィアは、フュンの両手を優しく包み込んだ。
しかし、その優しい手の温もりから伝わってくる感情は後悔。
フュンはそれを感じ取れた。
なぜなら自分と同じ思いだから。
彼女の後悔と自分の後悔が混じり合うような感覚を得たのだ。
でも。それでも。
シルヴィアの方はすでに前を向いていた。
心に悲しみがあったとしても、それを覆い隠すように体全体から力強い息吹を感じる。
フュンは、彼女の目から彼女の本当の心を見ていた。
「・・・シルヴィア様! ご、ご無事で」
「ええ。私は無事であります。皆のおかげで私は無事なのです。それはあなたも同じなのですよ。あなたも私と同じように皆に守られたのです。だから、生きているのです・・・・フュン殿。いいですか。私たちは、皆に命懸けで守ってもらっておいて、彼らの死をいつまでも嘆き悲しんではいけないのです。私たちがずっと後悔と悲しみの中にいると、死んでいった者たちは浮かばれないのですよ・・・・しかし、そうは思っても、この道は辛いですね・・・・ですが、あなたも辛く悲しい道を歩んでいかなればならないのですよ。フュン殿」
シルヴィアの言葉は自分に向けられた言葉でもあった。
頂点に立って仲間を失う辛さを知っている。
今まで歩んだ道のりが彼女を作りあげている。
そして、フュンもこの同じ道を歩まなくてはならない。
勇気づけられるのは同じ立場のこの人物しかいなかった。
「私は、立ちます。間違えても、後悔しても立ちます……あなたはどうしますか。ここで座って荷を降ろしますか。この道は辛いのです。きっとこの先も辛いのです。それでもあなたは、この道を知ってもなお。前だけを見て進めますか? 立ち上がって戦えますか?」
シルヴィアは後悔の中でも進む。
彼女の選択は前へと進むである。
「・・・ぼ、僕は、戦います。シゲマサさんが最後に応援してくれましたから。僕は命が尽きる最後まで戦うことを選びます」
「ならば、私の手を取って共に戦いましょう。皆の思いの分もですよ。よろしいですか?」
シルヴィアは、フュンに右手を差し出した。
この手を握る覚悟はありますかと。
「…はい。僕は。このあなたの手を取ります。僕も戦っていきます」
フュンがシルヴィアの手を取って立ち上がると、彼女は柔らかに微笑む。
そして周りにいた皆も、声を出さずに顔だけは笑っていた。
フュンは皆に支えられて、失敗を乗り越える力。
挫けぬ心を得たのだ。
策に失敗して、戦いに負けて、心が砕け散って、それでもフュンは前へ。
シルヴィアと共に前へ行くと誓ったのだ。
そしてこのハスラ防衛戦争が、アーリア大陸の歴史に名を残す男の初陣であった。
ハスラ防衛戦争。
事実上は敗北に近しいが、アーリア戦記では引き分けとなっている。
なぜなら、ハスラは敵の手に落ちていないからだ・・・。
◇
仲間のおかげでフュンの心が強くなった。
その中で、皆に背を向けて城壁から外を眺めていたサブロウと、隣にやって来たエリナの会話。
「エリナか・・・煙草あるぞ?」
一本くれとサブロウは手をぶらぶらとさせた。
「ああ、持っとるよ。ほれ」
エリナは、煙草を一本。
サブロウにあげてから、その煙草に火をつけた。
サブロウは煙草を指に挟んで、口に持っていき、咥えただけにした。
「…ん? そういやお前、煙草なんて吸ったっけっか?」
「いんや・・・・・これは、たむけぞ」
「そうか……じゃあ、あたいもたむけするわ」
エリナは自分の分の煙草を取り出して火をつける。
ぷかぷかと浮かぶ煙を空へと送る。
「にしてもシゲマサはよ。次に賭けたんだな。あいつらを見りゃあな。シゲマサの気持ちがだいぶ分かるな。なぁ。サブロウ」
エリナは煙草を吸った。
「ああ。立派な奴ぞ。おいらの部下にはもったいないぞ」
「まったくだな。あたいの下にいたのも、もったいなかったわ。あいつ。今度はもっと良い奴の下につけよな。はははは。いや間違ったな。シゲマサがリーダーになった方がいいな!」
「ふっ、それはそうぞ。本来あいつはその器ぞ。おいらやエリナよりも立派な男ぞ・・・ははは」
二人は、一緒になってたむけの狼煙を空へと送り出した。
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