オパールの手

水辺ほとり

オパールの手

 今日も、テナガダコは電灯を磨く仕事に就く。夜、海底を照らす電灯にフジツボや虫がつかないように、毎日ピカピカに磨き上げるのだ。


 紺色の薄黒い海に、朝日がほのあかるくゆらゆら波打って降りてくる頃、テナガダコの仕事は終わる。体が疲れてしまい、固められたオキアミを食べてすぐ寝る。


 電灯は海の生き物たちが賢くなるにつれて、夜行性で狩りをすることが減ったゆえ目が悪くなって作られた。タコ族はみなその頭の大きさ賢さゆえに政治家になるのがほとんどなのに、俺は頭が悪いから、手の長さだけが取り柄だから。しょんぼりしながらテナガダコは海藻のスポンジと自分の吸盤でピカピカに電灯を磨く。

 テナガダコが電灯磨きを任されているところは、町のはずれで、魚っ子いっぴき通らないようなさみしいところだった。でも、テナガダコはピカピカに拭き上げた電灯が、真冬の太陽みたいに邪魔なく真っ直ぐに輝くのを見ると、自分の仕事に惚れ惚れとした。


 今日は掃除が一段落したけれど全然夜が明けない。寒くなる時期の始まりだな、とテナガダコはかじかんだ触手をこすり合わせた。


 ふと、耳を澄ますと、遠くから誰かが泳いでくる音がする。珍しい。こんな時間に、誰?あまり会うことはないからこそ覚えている、掃除仲間や近所の魚の顔を思い出した。


 近くまで泳いできた音がして、ちら、と電灯の上から振り向くと、そこには、オパールみたいに光るヤリイカがいた。


 こんなに美しい魚介を見かけるのは初めてだ。テナガダコは呆然とヤリイカを見ていた。


「……どうしたの?」

 夜の静けさに澄んだ声が響いた。


 声をかけられると思ってなかったテナガダコ、飛び上がってから海底に降りた。

「お、おれは……。いや、君はこんな時間にいっぴきで歩くなんて。危ないよ」

 どもりながら答えると、ヤリイカはクスクスと笑った。


 ヤリイカは「さみしいから、夜寝れなくて……」と細い触手でテナガダコにするりと触れた。はじけるような弾力の肌から、よほど若いのだとわかる。


 テナガダコは一瞬、理性が沸騰しかけたが、若さに気がついて、むしろ心配になってきた。


「そんなことしなくていい。何も聞かないから、美味しいものを食べに行こう」


 テナガダコは、海草が囲う地味なレストランにヤリイカと入った。何年ぶりかわからないけれど、ここには久しぶりに来た。小さい頃こういう店に親が休みだと連れてってくれたんだ、と思い出をとつとつと話した。


 ヤリイカはさっきとはまるで違う、幼い子が変な生き物でも見る顔つきで不思議そうに話を聞いていた。

 ヤリイカは食べっぷりがよかった。とても食べ方が綺麗だった。


 妹さんはどんな人?おかあさんおとうさんは?ヤリイカは歌うようにテナガダコに質問して、面白そうに話を聞いていた。

「そんな面白い話でもない。ごめん」

「ううん、興味深かったわ。またね」


 嬉しそうなヤリイカは、刃物のような形になって、颯爽と店から出ていった。




 なんだったんだろう。




 伝票と共に取り残されたテナガダコは、呆けた顔で会計をして、のっそりと店を出た。


 いつもならとっくに寝てる真昼間なのに、眠気が来ない。


 帰宅し、なんとなくテレビをつけると、昨日の映像として高級車に乗ったイカの王様と女王様が触手をゆらゆらと振っている。無縁な世界だった。


 ハッとした。にこやかに触手を振るイカの王様一家の中には、オパール色の美しい手も混ざっていた。顔はほとんど映ってないけれど、彼女に間違いなかった。




「さみしいから、夜寝れなくて」

 彼女の言葉を勘違いした自分が恥ずかしかった。たぶん、彼女は本当に、ただただ、さみしかったのかもしれない。


 それから、テナガダコの生活に一つだけ楽しみができた。

 早朝、寝る前にテレビをつけると、王室の映像が映る。そこに例のオパールの姫君がいないか探すのだ。


 姫君は、インタビューの中でこんなことを言っていた。

「民のひとりに、耳を傾ける機会をいただくのが何よりうれしいのです。そこに、生活があるとわかるからです」

 その砂のようにたくさんいる民の声のひと粒として、受け入れてもらえたなら何よりだなぁと満足した気持ちで眠りについた。



 ヤリイカだとテナガダコが思ったのはヤリイカではなく、ベレムナイトという旧い旧いイカの生き残りであり、王家の姫君だった。


 姫君は、私のことを知らない者がいるなんてね、と思いながら、そわそわと触手を擦り合わせた。タコに絡めた感触がまだ残っている。あの逞しい腕に少ししか触れられなかった。私を知らないなんてね。知れたかもしれないのに、ふふふ、と姫君は笑ったあと、自分の触手を名残惜しそうに撫でた。

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