短編小説 晩秋

大空ひろし

晩秋

 晩秋


 浜(はま)貝(がい)稔のご近所には、家作が数軒集まった土地がある。その中の一軒に70歳代の老夫婦が住んでいた。折(おり)傘(がさ)富雄、幸恵夫妻である。

 年金暮らしをしていて、その生活は慎ましかった。近年になって妻幸子に初期認知症と診られる症状が現われ、富雄は将来をとても案じていた。


「お二人揃って散歩ですか? 朝晩冷え込み始めたけどお体の方はいかがですか」

 犬の散歩をしていた浜貝は、すれ違う折傘夫妻に声を掛けた。

「妻の方は相変わらずですが、私の方がどうも。歳ですかね、余り具合が良くないんですよ」

「それは心配ですね。一度お医者さんに診て貰った方が良いですよ」

「そうする積りで居るんですが、幸恵が心配で家を空けられないんですよ」

 幸恵の認知症は初期症状から進んでいた。


「そうですか。あっ、そうそう。来月に町主催のお年寄りを集めた催し物があるんですよ。歌を歌ったりとか簡単なゲームや身体を動かす企画もあるようなので、きっと奥さんも喜ぶんじゃ無いでしょうか。その間にご主人は病院に行けるんじゃないですか?」

「知りませんでした。楽しんでいる時の妻はいたって正常なので、少しの間預かって貰おうかな」


 浜貝は、詳しい情報を手に入れたらお伝えにお邪魔しますと伝え、犬のリードを手繰り寄せその場を離れた。

 折傘富雄が救急車で運ばれたのは、その朝の散歩から数日後だった。そして、そのまま亡くなってしまった。


折傘夫妻には親戚縁者との交流を経っていたらしく、当然近所の人達は目にしたことが無い。幸恵に訊ねると、親戚とは縁が切れているので連絡しなくても良いと言い張り、結局誰一人として連絡することが出来なかった。

「私一人で夫を送るからいいの」

 そう言い張るので、町内会やご近所の方々の骨折りで、自宅の家作で葬儀をう。

 幸恵からは認知症の症状がすっかり消え去り別人に生まれ変わったようだった。対応こそ満足に出来なかった部分が有ったが無事富雄を送り出した。


 全ての葬儀が終わると、幸恵は小さめの仏壇の前に富雄の遺骨を置いた。暫くの間、幸恵は抜け殻のような放心状態になった。やがて、お骨を抱くように屈むと声を出して泣き出した。

 近所の人達はその姿に居たたまれなくなり、一人二人とその場を後にする。


 浜貝は折傘夫妻とそんなに親しくはなかった。それでも、夫婦の散歩と浜貝の犬の散歩でよく出会うので、会話や交流もそこそこあった。

 そんな縁から、翌朝浜貝は折笠家を訪れた。そして驚いた。


「誰だい?」

 そう言いながら幸子は玄関ドアを開けた。

「浜貝です。どんなご様子かと、ちょっと寄らせて貰いました。それから、昼食の足しにと私の妻が煮物を作ってくれました。宜しかったら召し上がって下さい」

 浜貝は微笑みを湛え、煮物折を入れたレジ袋を幸恵に差し出した。

「あんたは誰だい。何の用だい?」

 明らかに昨日の様子とは違う。認知症がぶり返したのか?


 浜貝は民生員宅に駆け込み事情を話した。

「今後どうしたらいいか、一度話し合おう」

 

 民生員の呼びかけで近所の人が数人集まった。

「さっき様子を見に行ったけど認知症が一気に進んだみたいだった。このままでは放って置けない程だ」 「遺族年金が支給されるから、それでどこかの施設に行って貰ったらどうか?」

 などなど、複数の意見が出た。結果、役場と緊密に連絡を取り、取り敢えず、彼女が入れる施設を探して上げようとなった。


 浜貝は少し不満だった。幸子を施設に入れれば心配の種は消える。しかし、認知症の進んだ彼女を受け入れてくれる施設があるのか。例えあったとしても、身寄りの居ない幸子がその施設で幸せに暮らせるだろうかとも思う。

 肉親でも、認知症となった者を世話するのは想像を絶するほど大変である。時には「早く死んじまえばいいのに」と恨み節も出るという。

 ましてや仕事とは言えスタッフの人達が、彼女を苦痛無く扱ってくれるか疑問である。

「このままこの家で暮らせる方策はないものか?」

 浜貝は一人で悩んだ。


 子供が居ない折傘夫婦は、仕事以外は常に一緒だった。何らかの事情で縁者が居なかったのかも知れない。そう言う意味で、頼れるのは連れ合いだけだったのだろうか。

経済的に決して裕福では無かったものの、夫婦間はとても仲が良かった。たまの夫婦げんかも退屈しのぎだったのだろう。

 そんな風に、この家作で暮らして20年以上になる。最早、この家には隅々まで二人の息吹まで染みこんでいる筈。夫と共に暮らして来たこの家を、妻は離れたいと思うだろうか。

 病に冒されたとは言え、その病を超越した何かを、彼女はこの家に感じてはいまいか。


 もう一つ。常に付添っていた過ごした夫が、妻の症状を憂い

「幸恵もこっちに来いよ。一緒に違う世界に行こうよ」

 と、彼女に呼び掛けるのではと思ってしまう。そうしたら幸恵は喜んでついて行ってしまうだろう。

「幸恵さんの命は長くないかも知れない」

 そんな超々現象な論には誰も付いて来ないだろうと推断出来るので、浜貝は皆の結論に従うことにした。  

 幸子はドアに鍵を掛けるのも忘れてしまったのか、何時も鍵は開いており中に入れる。それを幸いに、施設が見つかるまでと近所の人達が交代で昼食夕食用の食べ物を届けた。

 部屋から殆ど動かなくなってしまった幸子の食事量は微々たる物だった。


 番が回って来た浜貝は妻の作った料理を持って折傘宅を訪れた。ここ数日、声を掛けても殆ど返事が返って来ないとは聞いている。しかし、余りにも静か過ぎる感がした。

 仏壇のある部屋に入ると、幸恵は仏壇を背に寄りかかるようにして足を伸ばし、お骨の入った箱を抱いていた。

「幸恵さん。幸恵さん?」

 何かおかしい。浜貝は彼女の口近くに耳を近づけ呼吸音を確かめた。辛抱強く息の流れる音を待った。


「そうだよね。ただ生き長らえるよりも富雄さんの元に行った方が幸せだよね」

 幸恵を見る浜貝の目から涙が溢れた。

                      了


この晩秋のBGMに相応しいオリジナルBGM曲 https://youtu.be/1fJW7cWxNg0

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