第二章 ホムラの民①

 よく晴れた日の午後のこと。

 少年団の仕事がはやめに終わり、することがなくなったサザナミは、食堂で遅めのランチをとっていた。

 騎士団の宿舎に併設されているこの食堂は、いつもサザナミが利用する十二時から一時間ほどのあいだは、男たちの汗と喧騒で満ちていた。ふだんなら目の前に座っていても怒鳴らないと声が届かないほどのやかましさだが、いまは食器が擦れる音が反響しているのみ。非番の団員が一人二人、私服で食事をとっているだけで閑散としていた。およそ見慣れた光景とはかけ離れている。

 なんだか落ちつかない気持ちになったサザナミは、一番奥の窓際にある四人がけのテーブル席に一人で座った。

 窓からやわらかな日差しがさしこむ。年中をとおして温暖なアルバスらしい陽光であった。

 大きなあくびをして、伸びをひとつ。

 ——静かだな。

 窓の外をぼうっと眺めていると、正面に誰かが座った。

 ちらりと見ると、私服姿のアキナが「よお」と手を上げた。慌てて敬礼をしようとすると、「いらん」と制止される。

 麻のシャツに動きやすそうなスラックスという出で立ち。きっと非番なのだろう。コーヒーを片手に正面に腰を下ろしたアキナは、心なしかいつもよりも柔和な気配をまとっている気がする。

「いい天気だな」

「はい」

 アキナはコーヒーを一口啜る。

 かちゃり。ソーサーにカップを置く音が控えめに響く。

「身体はどうだ」

「はい、さいきんはとても落ちついています。医師の方も問題ないとおっしゃっていました。ただ、いつどうなるかはわかりませんが……」

 サザナミは、先日の定期検診で医師に言われた言葉を思い出す。

『きみの身体に流れているもの――ホムラでは魔力と呼ばれるものが、私たちアルバス人はなにかわかっていないんだ』

 老齢の医師はサザナミの目をまっすぐ見てそう口にした。

 国主が保守的なあまり鎖国がちだったホムラは、外の国からすると魔力のことだけでなくその実態すら謎に包まれているという。

『きみたちは魔力を外に放出することもあるのだろう? でもそれが私たちの目には見えないんだ。どうして私たちには見えなくてきみたちには見えるのか、なぜきみたちだけにしか扱えない力なのか、どういう条件で魔力持ちが生まれるのか、身体にどんな影響があるのか、なにもかも判明していない』

 だから、いまは落ち着いているきみの体調がいつまた乱れはじめるのか予測できない、と医師は続けた。もしサザナミの生死に関わるほど具合が悪くなっても、アルバスの医師では処置のしようがないかもしれないそうだ。

 ――でも、俺だってなにもわからない。

 八つで国を出たサザナミは、魔力がなんたるものなのか、大人たちに教えてもらっていないのだ。

 ホムラにいたころ、サザナミはその身体には多すぎる魔力量に苛まれ、たびたび寝込んでいた。両親はそんなサザナミを気味悪がっていて、幼い妹だけが懸命に看病をしてくれた。医者だった兄にも見て見ぬふりをされていたことを、サザナミは忘れない。

 奴隷になってからは熱が出て倒れても誰も助けてくれなかったどころか、仕事に穴を開けるなと鞭を打たれていた。

 アルバスに入国したあの日以来、サザナミの魔力が暴走することはなかったが、そうは言ってもいつなにが起こるかはわからない。家族から受けた仕打ちと奴隷時代のいやな記憶があるため、魔力のせいで他人に迷惑をかけることをひどく厭っているサザナミは、騎士団の生活に心地よさを覚えるほど「倒れてはならない」と緊張を募らせていた。

 考え込むサザナミを見て、アキナは脚を組み直して口を開いた。

「おまえ、休みの日はなにしているんだ」

「だいたいアルバス語の本を読んでいます。しゃべるのは以前よりだいぶ慣れたのですが、読んだり書いたりするのがまだ時間がかかるので。エーミールさんに相談したら図書館の入館証をつくってくださったので、まとめて本を借りられるようになったんです」

 勉強熱心だな、とアキナは微笑む。

「どこかに出かけることはないのか?」

「エルマの様子を見にいくことなら」

 エルマというのは、騎士団が擁している鷹のことだ。サザナミが属する少年団が面倒を見ている。

「エルマの世話は仕事じゃないの。王城の外には遊びにいかないのか?」

「外ですか? いえとくに。食事はここでとれますし、日用品は騎士団のなかにある出店でまかなえるので」

 アキナは、信じられないといったふうに肩を落とした。

「遊んできな」

 そう言って、サザナミに銀貨をほいっと投げた。いきなり大金を渡され、サザナミは口をぽかんと開ける。

「い、いただけません!」

「いいのいいの。絶妙に出世しちまった独り身のおじさんはね、お金が余ってしかたがないんだよ。騎士団の長になるときに爵位なんてもらっちまったけれど、俺はもともとおまえと同じ平民の出だから贅沢は性に合わないんだ。このままだと死ぬまでに使いきれないくらいにはあるから、こうやってお小遣いをあげるくらいしか使い道がないの。どうかもらってやってよ」

「き、寄付とか……」

「してるしてる。それでも余っちゃうから、身近な子どもにお小遣いをやってるってわけ。おまえだけじゃなくて少年団の子らにもあげているから、特別扱いしているわけじゃないぞ」

 サザナミは銀貨とアキナに何度か視線をやって、納得のいかない顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。

 そんな少年を見て、アキナはふたたび微笑む。

「誰と遊びに行ってもいいからな。とはいっても、少年団の子らとはなかなか休みが被らないか。坊ちゃんは……」

 アキナは顎に手を当ててふむと考える。

「さすがに気軽に外には出れんか」

「一人で行きます」

「土地勘がないサザナミが一人で出かけてもろくに楽しめないだろう。迷子になるかもしれんし」

「いや、でも」

 サザナミは焦る。

 これまで幼い妹と手を繋いで家の近くで遊ぶくらいで、誰かと遠出をしたことがなかった。もちろん自分から人を誘ったこともあるわけがない。そう言いたいのに、恥ずかしさからうまく言葉が出てこない。

「あ、そうだ。エーミールなら空いているんじゃないか。一緒に出かけてきな」

 いい案を思いついたと言わんばかりににかっと笑うアキナに、サザナミは困惑したまま頷くしかなかった。

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