第一章 少年サザナミ、十二歳⑧

 異国人のサザナミからすると、アルバスの敬語は難解であった。親しくない人間にとりあえず使うような簡素な敬語だけならまだしも、ユクスのような王族に使うような最高級にかしこまった言葉遣いは、サザナミはこれまで耳にしたことがほとんどなかった。

 しゃべるたびに言葉を詰まらせている様子を察したのか、ユクスは体を離すと「ほんとうに気を遣わなくていいですから、好きなようにしゃべってくださいね」と微笑んだ。

 そうは言っても相手はこの国で二番目に偉い人間。サザナミはユクスの好意を無碍にしないように気遣いつつも、若干砕けた敬語を使うにとどめようと思った。

 ちなみにユクスは敬語のほうがしゃべりやすいらしい。生まれたときから周囲の大人たちに敬語を使われて育った彼は、気軽な言葉を習うよりも前に、大人たちが使うかしこまった口調が身についてしまったという。

 ――あの沈黙は不機嫌でも気まぐれでもなく、俺のことを心配して言葉を探してくれていたのだろう。

 ひとしきり語らいあったあと、サザナミはずっと思っていた疑問をあらためて口にした。

「で、けっきょくどうして俺のところに来ていたのですか。というか、前提として『俺に会いにきていた』でいいんですよね」

「ええ」

「どうしてなんです」

 ユクスは顎に手をあててしばし考え、口を開いた。

「初めて会った日、サザナミはご自身の魔力に苦しめられていたように見えました」

「まあ、そうですね」

「ああいうことはよくあるのですか」

 いえ、とサザナミは言い淀む。

「あれが自分の外側に出たのは初めてです」

 祖国にいたころ、魔力が暴走して熱を出すことはしばしばあったが、外側に漏れ出ることはなかった。

 ユクスはまた考える仕草をしてから口を開いた。

「あの赤黒いのは、私がふれたら収まったように見えたのです」

 ユクスは一言一言、確かめるように発音した。

 サザナミは思わず、はぁ、と間抜けな声を出してしまう。

「サザナミはそう思いませんでしたか」

「いや、わからないです。すぐに気絶しましたから」

「……そうですか」

 ユクスはふたたび考え込んでしまった。

 沈黙が二人の間を流れる。

「……はあ?」

 サザナミは大きな声を出していた。

「自分がふれたら、魔力が収まったように見えた? だからなんだって言うんです。あんた、医者か研究者かなんかなんですか?」

「い、いいえ」

 サザナミの勢いに圧されたユクスが、ふるふると首を振る。

「じゃあなに? 俺が死のうが苦しもうがあんたには関係ないでしょう。見ず知らずの! 見るからに貧しそうな! ただの子どもに?? 団長がどこまで伝えたのかは知りませんが、俺は奴隷でした。あんた、そんなやつに手を差し伸べようと思ったんです? なんで?」

「あなたともっとお話ししたいと思ったんです。それではだめですか」

 ユクスの菫色の瞳がサザナミを正面からとらえた。サザナミの心の内側のざらついた部分を握らんばかりに蠱惑的で、その一方真心で包み込むような穏やかな瞳。

 ――また、これだ。これに見つめられると、俺はどうしようもできなくなってしまう。

「……だめじゃないけど」

 じゃあなんで、とサザナミは独りごちた。

 生まれたときから貧困と隣り合わせの生活をしてきたサザナミは、他人から善意の施しを受けるよりも、悪意に満ちた眼差しで見下されることのほうが圧倒的に多かった。齢十二の体には、もうすっかりと他人の善意を疑ってかかる心が巣食っていたのだ。

 ユクスはそっとサザナミの手を取った。

「どうですか。魔力が落ちつく感じはありますか?」

「いや、いまは落ちついているからわかんないよ」

 でもありがとうございます、とサザナミはもごもごと口にした。

 サザナミの耳がほんのりと朱色に染まっているのを見て、ユクスはふんわりと笑った。

「サザナミ、あなた思ったよりもはきはきとものを言うのですね」

「は? ああ、失礼でしたら申し訳ございません」

「ううん。騎士団の方にはそうなのですか」

「あ、いや……まだそこまでじゃないです」

 サザナミは下を向いた。

 少年団の子どもたちはサザナミにやさしかった。東の出身と言っても差別の目を向けることはもちろんない。慣れない言葉を覚える手伝いも買ってでてくれるし、ひとりで食事をしていると一緒に食べようよとも言ってくれた。彼らと食事をともにするのは楽しかった。

 しかしサザナミには、まだそんな無償のやさしさを素直に受け取れる心の準備ができていなかった。

「じゃあ私だけだ。私のひとりじめ」

 ユクスはいたずらっ子のような顔で笑った。

 王子らしい凛とした顔、年頃の子どもらしい膨れ顔、頬を染めて恥ずかしがる顔――ユクスのころころと変わる表情を、もっと見てみたいとサザナミは思った。

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