第二章 ホムラの民②
サザナミは王宮の正門を前にして、盛大なため息をついた。
——いったいどうしてこんなことになったのだろうか。
サザナミはいま、エーミールを外出に誘うため、彼が働く王宮の一室をめざしていた。
エーミールは騎士団に籍を置きながらも、王宮内の文官としても働いていた。彼の知識量と正確な仕事ぶり、さらには北ならではの視点と見識の広さが買われたらしい。
騎士団に所属するサザナミは王宮の本城にも自由に出入りすることができる。とはいえ、とくに理由がなければおいそれとおじゃますることはできないため、とくに用のないサザナミはこれまで中に入ったことはなかった。
正門で警備する衛兵に「文官のエーミール・オルロランドさまに書類を届けにきました」と告げると、入城を許される。
書類は食堂でアキナから渡されたものだ。「ついでに誘ってこい」とにやにやした顔で背中を押されて、サザナミはなんとも言えない気持ちになった。
そわそわしながら衛兵の案内に従い、文官たちが働いているという一室に通される。
部屋の壁一面には書棚が並び、入り口から見て手前にはソファと小さなテーブルが設置されている。そのソファの奥に背の低い本棚が仕切りになっていて、さらにその奥に文官らが働く机が並べられていた。
「失礼します」
エーミールは入口近くの書棚から本を取り出し、考え事をしているようだった。サザナミの声が聞こえると、はっと顔を上げ、小首をかしげる。
「あれ、サザナミくん。どうしたの」
エーミールはいつもは束ねている銀髪を下ろしていた。ゆるやかなウェーブが肩で跳ねている。
いかにも貴族らしい姿にサザナミは緊張する。
「団長から書類を預かってきました」
書類が入った分厚い封筒を差し出すと、エーミールはお礼を言ってそれを受け取る。すぐに中身をぺらぺらとめくって確かめると、あれ、とつぶやいた。
「たしかアキナ団長って今日はおやすみだよね。どうしてこんな急ぎじゃなさそうな書類をわざわざ届けてくれたんだろう。サザナミくん、なにか知ってる?」
サザナミはうっと言葉に詰まる。
アキナ団長が気を利かせたからです、だなんて言えない。
「あ、あの、エーミールさん」
「うん、なあに」
「外に出かけてくるように団長に言われたのですが」
「うん」
「今度のお休みはいつですか」
「ん?」
エーミールは首をかしげる。書棚に置かれている暦に目を向け、腕を組んでしばらく考え込むそぶりをしてから「サザナミくんと一緒で次の週末だよ」と口にした。
サザナミはぱっと顔を上げる。
そんな少年の期待に満ちた表情を見て、エーミールはすべてを察した。
「僕、ちょっと出かけたいなと思っていたんだけど、今度のおやすみにもしよければ付き合ってくれないかな」
サザナミは「はい」と元気よく返事をする。
まるで飼い主にしっぽをふる子犬のようだと、エーミールは心のうちで微笑んだ。
「失礼しました」
文官の部屋を辞すとすぐに、サザナミは頬をほころばせた。妹以外の人と初めて出かけることになり、浮き足立つ心を止められない。
――どこに連れていってもらおう。俺はアルバスのことをよく知らないから、エーミールさんに任せてしまってもいいのだろうか。
このまま気が済むまでスキップして廊下を散歩したい気持ちだが、用もないのに王宮に長居することは許されていない。表情を引き締めて足早に歩く。
そのとき、遠くから人が歩いてくるのが目に入った。
先頭にいる小柄な人物がユクスだと気づくやいなや、サザナミは廊下の端で片膝をついた。遠くから見たので判然としないが、ユクスのうしろにいるのは服装からして王宮勤めの侍従だろう。
床を見つめるサザナミの頭上に、小さな影が一つ落ちる。
「サザナミ。お顔を上げて」
ユクスの声は二人きりで話すときより硬い。おずおずと見上げると、菫色の瞳と視線が交わる。サザナミを見つめてはいるものの、どこか遠くに向けられているようだった。
うしろに控える侍従らの遠慮ない視線がサザナミを射抜く。おまえはいったい王子とどのような関係なのか。そう問いつめるような視線が痛い。
それもそのはず。ユクスの関係を知っているのは、アキナとエーミール、それからたまたま二人でいるのを目撃した騎士団員くらいだからだ。
サザナミは知らないが、こう見えてユクスは騎士団を訪れる際に多くの人と会わない時間帯やタイミングを選んでいたのだった。自分の立場が異国の子どもに与える影響を、年若い王子は十二分に理解していた。
いつもと違う、緊張した気配が漂う。
「サザナミがこんなところにいるなんてめずらしいですね」
「はい、騎士団のエーミールさんに用事がありまして」
「ああ、オルロランド家の次男の」
ユクスは目を細める。やはりサザナミには、その声色と大人らしい仕草がずいぶんと遠くに感じた。
「騎士団のお仕事ですか?」
「いえ」
「お仕事じゃないのですか」
ユクスがわずかに目を丸くする。
「はい。あ、いえ」
困惑するサザナミがおもしろかったのか、ユクスは首をかしげて微笑んだ。
侍従らがうしろで息をのんだ気配がする。サザナミは怪訝に思うも顔には出さない。
「おまえ、エーミールと仲がよかったのですね」
「よくしていただいています」
「そういえば、エーミールとまともにお話ししたことがありませんでした」
サザナミは合点した。
――エーミールさんのことをよく知らないから、あんな変な反応をしたのか。
ならばエーミールのことを教えてあげなければならない。サザナミはそう考え、自分を見下ろすユクスに向かって口を開いた。
「エーミールさんはとてもやさしくて、頭もいいんです。ご自分では戦闘は得意じゃないとご謙遜されますが、ほんとうに素早いこと! 速さだけでしたら騎士団内で右に出る人間はいないのではないのでしょうか」
そう一気に捲したてると、ユクスはつまらなさそうに「ふうん」と呟いた。
思っていた反応と違い、サザナミは呆気に取られる。
「エーミールがどういう人かはどうでもいいんです。それで、サザナミはけっきょくなにをしに彼のもとに訪れていたのですか」
「あ、はい。こんどの休みにエーミールさんと出かけようと思って、お誘いにいっていました」
ユクスの上品な顔が、一瞬だけひどく歪められたように見えた。とんでもないものを見てしまったとでも言わない顔。羽虫でも飛んでいただろうか。
ここまで無表情を貫いていたサザナミも、挙動不審なユクスに眉をひそめた。
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