第一章 少年サザナミ、十二歳⑤


   ***


 サザナミが奴隷商人に連れられてアルバスに来てから十日。

 体調が落ち着いたころを見計らい、王宮の一角にある騎士団の建物を案内してもらうことになった。

 そう、サザナミは騎士団に入団することに決めたのだ。もとより、身寄りのないただの子どもが異国の地で一人で生きていくなど到底無謀。それこそ奴隷になるくらいしか生き延びる術はないと、幼い頭でもすぐに理解ができていた。

 エーミール・オルロランドと名のった若い団員が、異国の豪奢な建物を目にして怯えと興奮で行ったり来たりのサザナミを先導する。

「サザナミくん、ここが馬小屋」

 エーミールがひらりと翻って、黄昏を彷彿とさせる橙色の瞳でサザナミを見た。ひとつに束ねた銀色の長髪が、彼の肩の上で優雅に跳ねる。

 エーミールはシャツの上に上等そうな生地の紺色のベストを合わせていた。長身痩躯かつおよそ戦闘に向いてなさそうな、むしろ貴族のような出で立ちを不思議に思いつつも、「はい」と返事をする。

 案内に従って馬小屋に入ると、縦に長くまっすぐのびた通路が眼前に広がる。両脇には簡素な仕切りがつけられ、一頭ごとに馬がとめられていた。ホムラと似通った造りの馬小屋だ。

 牧草と獣のにおいが混じった刺激臭がサザナミの鼻を突く。けっして不快ではない、むしろかぎなれたにおいにサザナミの頬は自然とほころぶ。

 どの馬もしなやかな体躯で、心なしか凛として見える。きょろきょろと周囲をうかがうと、一番手前にいた毛並みのよい白馬と目が合った。

「かれらは僕たち騎士団の足であり大事な仲間。きみにも世話をお願いしたい」

「わかりました」

「うん、よろしくね。詳しいことは少年団の子らに聞いて」

 はい、とサザナミは頷く。

 少年団とは騎士団で働く未成年が所属する隊だと、先日、アキナが教えてくれた。サザナミは当面の間、その少年団の一員として働くことになっている。

 餌や清掃道具の場所をひととおり説明すると、エーミールはふと口を開いた。

「ところでサザナミくん、出身は東?」

「あ、はい」

 そうだよね、とエーミールはサザナミの顔を遠慮がちに見た。控えめながらも探るような視線を受け、自分の出自を知りたがっているのだろうと勘づく。アキナは元奴隷だと言っていないのだろうか。

 しかしこの濡羽色の髪と朱色の瞳なら、だれだって東の出身だと気づくはずだ。ただでさえ敗戦国の民なうえに、こんな遠い土地に身寄りもない子どもが一人。なみなみならぬ事情があると思われているに違いない。

 サザナミは心のうちで苦笑いした。

「東は幼い頃、一度だけ行ったことがあるよ。あの桃色の花……名前はなんだったっけ。ああ、サクラだ、サクラが美しかったな」

 サクラは祖国ホムラの春を象徴する花だ。風が吹くと空も地面もひとたびに桃色に染まる、美しい季節。

 エーミールはうっとりと目を細め、その景色を想像しているようだった。

「エーミールさんはこの国の方ですか」

「僕? ううん、違うよ。僕は北の出身。北の国の内乱でアルバスに亡命してきた亡命貴族の次男なんだ」

 エーミールは優雅に笑った。

 開け放たれていた扉からいつの間にか老犬が入り込んでいたようで、よたよたと近寄ってくる。エーミールはしゃがみこみ、犬を撫でた。

「アキナ団長はね、捨てられた子猫とか子犬とかを拾って世話するのが好きなんだ。この子もそう。どこにそんなに転がってるんだよって思っちゃうくらい、よく拾ってくるんだよね」

 老犬に視線を向けたまま、エーミールは話を続ける。

「僕やきみのように団長に拾われた子どもがここにはたくさんいる。僕はね、亡命貴族の子どもなうえに、次男という立場上、人生に迷っていたんだよ。簡単に言うと、家督を継ぐ必要はないから、いずれ働かなければならないのだけれど、知らない土地でなにをすればいいのかわからなくて。つまるところ、生きる希望を失っていたのね。偶然、父と団長が古い顔見知りで、あの人は剣を握ったことのない僕に戦うことを教えてくれたんだ」

 まあ、けっきょく事務仕事が専門だけれど、とエーミールは笑う。

「サザナミくん、どうか安心して。アルバスにはいまのところ大きな戦が起きそうな兆候はないし、なによりこの国の民は他者に誠実だ」

 はい、とサザナミは頷いた。

 アルバスの王子ユクスは倒れ込むサザナミに手を差し伸べるのを厭わなかった。アキナもそうだ。彼らのことをサザナミは幼いながらに好ましく感じ、ほのかに尊敬の念を抱いていた。

 とつぜん老犬が吠えた。

 エーミールはふれていた手を離して立ち上がり、開け放たれた扉のほうに視線を向ける。

「どなたでしょうか」

 エーミールの視線を追うと、小さな影がひとつ目に入る。おずおずと影が動く。

 ――気づかなかった。

 ひょこっと顔をのぞかせたのは、ユクスだった。

「すみません、盗み聞きをするつもりはなかったのですが」

 申し訳なさそうにユクスは眉を下げる。

 その姿を認めるや否やエーミールは機敏な動作で片膝をつき、頭を下げた。

「騎士団が末席、エーミール・オルロランドがご挨拶を申し上げます。どなたかわからず、ご無礼を申し訳ございませんでした」

 思えばアキナも同じようなポーズを取っていた。これがこの国の慣習かとサザナミは察し、横のエーミールにならって傅く。

 頭を垂れると、真白い革靴からのぞくひと際白いユクスの足の甲に、馬小屋のやわらかい土がついているのが目に入る。

「どうかお顔を上げて。楽にしてください」

 許しを得たエーミールが立ち上がったのを確認し、サザナミも真似をする。

「こちらこそ勝手に入ってごめんなさい」

 ユクスはそう謝ると、興味深そうに馬小屋を見まわした。好奇心と恐怖が入り交じる顔。サザナミには、ユクスがまるでここに初めて来たように見えた。

 いつの間にか老犬はいなくなっていて、馬の鳴き声と土が擦れる音以外は沈黙が流れる。

 エーミールは顔を上げたものの、目を伏せ、沈黙を貫いていた。それどころか、ユクスに視線を合わせようとしない。

 とつぜんの王子の来訪の目的が気にならないわけはないだろう。しかし、こちらからはけっして話しかけてはいけない人物。アキナの距離感がおかしいのではと薄々思っていたが、本来はこういうふうに接する人物なのだろうとサザナミは察する。

 きょろきょろと馬小屋を観察していたユクスだったが、満足したのかサザナミにちらりと目を向けた。

「サザナミ、体調はどうですか」

「はい、おかげさまで回復しました。王宮の医師の方々に治療をしていただいたおかげです。ユクスさまと国王陛下のご厚情に、心より感謝を申しあげます」

「……ならよかった」

 ユクスは消え入りそうな声でそう呟いた。

 サザナミは、ユクスの反応に違和感を覚える。

 ――俺はなにか失礼なことを言っただろうか。

 ホムラは小国。平民の子どもとはいえ、国主の血族に謁見する機会は何度かあった。かつて両親や親戚の大人たちがやっていたようにしゃべってみたが、ユクスの反応はいまいちのように見える。

 不安に思うも、ユクスとエーミールが喋らない以上、不要な発言ははばかられる。

 ただ所在なげにサザナミとエーミールの足元を見つめるユクスを、失礼にならないように横目で観察するしかできることがない。

 ――とつぜん押しかけてきてなんなんだこのお坊ちゃんは。

 あまりの沈黙の長さにサザナミが若干苛立ったころ、とつぜんユクスが「あの!」と声を上げた。

 こんどはサザナミをしっかりと見ていた。

 菫色のまんまるの瞳にわずかに上気した頬。同じ歳のころの子どもらしい表情に、サザナミは狼狽える。

 ユクスは真白の革靴に土がつくのもおかまいなしに、ずいと一歩前に出た。その勢いに気圧されて、サザナミは一歩うしろに下がろうとする。

 しかしサザナミが動くよりも前に、ユクスに両手を掴まれてしまう。

「あ、あのね……」

 ユクスがなにかを決意したかのような表情でサザナミを見下ろしたとき、外から彼の名を呼ぶ声が聞こえた。

「お話し中に申し訳ございません。こちらにユクスさまはいらっしゃいませぬか」

 侍従らしき男が馬小屋を覗いていた。

 ユクスはサザナミの手を取ったままわずかに顔をしかめ、しかしすぐに凛とした表情にもどすと、振り返って「ここに」と告げた。

「ユクスさま、どうかお部屋におもどりください」

 侍従の冷たい声色にサザナミは体が強ばる。

 ユクスはサザナミのほうに向き直ると、両手をぎゅっと強く握って離した。

「お話の邪魔をしてしまいましたね。それでは、また」

 いったいなんだったんだとサザナミがため息をつくと、隣で気配をころしていたエーミールも大きく息を吐いた。

 ちらりと見ると、エーミールの額にはうっすら汗が滲んでいた。サザナミの視線を感じたのか、緊張の余韻を口の端に浮かべたままにこりと笑う。

「はじめてユクスさまとしゃべったよ」

 え、とサザナミは驚く。

「ユクスさまはね、公務以外で外に出ることがこれまでほとんどなかったんだ」

「なぜですか」

「サザナミくんはこの国の王族のいざこざを知っている?」

 正直に言っていいものか迷ったものの、エーミールの純な瞳を信じて口を開く。

「……東の民が噂していた内容ぐらいであれば。国王は子どもに恵まれていたが、そのほとんどが成人を前にして病に伏せてしまったとか」

「うん、そうだよね。ほんとうはみな後継者争いに巻き込まれて亡くなっているのだけれど、あまりにも外聞がわるいからそういうことになっているんだ」

「え」

「それで、ユクスさまは唯一の生き残りなんだ。当時いちばん幼かったユクスさまは、幸か不幸か内輪のごたごたに巻き込まれなかったらしい。ご年齢のこともあったかもしれないけれど、ユクスさまのお母さまのご身分が、王妃内でもっとも低かったからではと言われている。シラユキさまはざんねんながら病気で亡くなってしまわれたのだけど」

 エーミールは嘆息を漏らす。

「シラユキさまって、ホムラの姫の……?」

「あ、うん、そうだよ。そうか、サザナミくんの国の姫だったね。アルバスに嫁いだことは知っていた?」

「はい。シラユキさまは国交を目的にアルバスに献上された、と」

「僕もそう聞いている」

「あ、あの。それじゃあ、ユクスさまは東の民の血を継いでいるのですか」

「そういうことになるね」

「でも……」

 ホムラの民は濡羽色の髪に朱色の瞳が特徴であった。かつて遠巻きに見たシラユキ姫も、サザナミやほかの民と同じ特徴を持っていたと記憶している。

 しかしユクスには、ホムラらしい見た目がなに一つ現れていなかった。もちろん外見は遺伝しなかっただけかもしれないが、それにしても金髪紫目の見た目はアルバスならではすぎる。

 サザナミは続きを口にしていいものかと迷って、口をつぐんだ。

「お生まれのことで、ユクスさまのことを忌み子だと言う人もいるんだ。戦のこともあって、東をよく思わない人もいるから……ユクスさまご本人もあまり公に姿を現してこなかったから、謎が深い人物だったんだ」

「……そうだったんですね」

 先ほどの侍従の態度が冷たかったのは、そういう理由なのだろうか。

「それにね、国王陛下は慈悲深い方だから、王妃や子らが亡くなったことに非常に心を痛められたんだ。それ以来、陛下は王妃や養子を迎えていない。つまり、正当な王位継承者はユクスさまただ一人。この国の王族は、強固な血統主義によって民らに支持されている。そもそも異国のシラユキ姫を迎え入れたのも異例中の異例だったんだ。ユクスさまは幼くして聡明であられたから、ご自分の肩にのしかかる重責を感じられて、自分だけは死んではならぬとこれまで頑なに外に出なかった」

 大国アルバスにもそのような醜い争いがあったとは。驚きを隠せないサザナミだったが、ふと一つの疑問が頭に浮かぶ。

「あ、あの。俺はまだここに来てまだ十日ほどですが、ユクスさまが外にいるところをたびたび見かけています。最初は祭りのパレード。あれは公務でしょうが、そのあとに何度か部屋まで見舞いに来てくださったのと、今日は馬小屋までいらっしゃっています」

「そう、そうなんだよ。 だからみな何事かとざわついているんだ。幸い城の外には出ていないようだから騎士団の目の届く範囲内だけれど、未曾有の事態に王宮内はずっと緊張状態なわけ」

 ユクスは、なにかと用事をつけて療養するサザナミのもとへやってきていた。

 きっとめずらしい見た目の子どもに興味を持っただけだろう。世間知らずな王子の気まぐれだろうと思いつつも、あの真剣な眼差しに落ち着かない感情を抱くサザナミであった。

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