第一章 少年サザナミ、十二歳④
目を開けると、真っ白い照明がサザナミのまぶたを貫いた。
まぶたの裏がちかちかと光り、頭に鈍痛が走った。すぐに目を閉じ、こめかみを手で押さえる。
頭上から、「おはよう」と声が降ってくる。
痛む頭を刺激しないようにそっと目を開けると、騎士団長のアキナが慮るような表情でこちらを覗き込んでいた。
「気分はどうだい」
こめかみを押さえながら、サザナミは頷く。
金髪の子ども――ユクスに魔力を向けたあたりでサザナミの記憶は途切れていた。
アキナのことを見るために視線を宙に彷徨わせると、彼の腕の先に白いシーツが目に入る。サザナミは自分がいま、寝台に寝かされているのだと理解した。
体を起こして周囲を見回そうとするも、思うように動かない。諦めて頭だけ捻って左右を見回すと、白い衣装を身に纏った大人たちが、室内を忙しなく動きまわっていた。みな薬瓶や包帯、書類を手に持っている。
ここはアキナが言っていた「医師団のテント」だろうか。
「無理やり連れてこられて怖かっただろう。すまなかったな。ぼっちゃ……ユクスさまもおっしゃっていたが、俺たちは誓っておまえのことを害さない。どうか安心してほしい」
「……すみませんでした」
アキナは顔を歪めて笑い、乱暴にがしがしとサザナミの髪をなでまわした。
ひととおりなでまわしてから手を止めると、柔和な表情をすっと消して、真剣な面持ちでサザナミを見据える。
「起き抜けに悪いんだが、しゃべれるくらいの気力があるのなら聞きたいことがいくつかある」
サザナミはおそるおそる上半身を起こして、はい、と頷いた。
「名前と年齢を教えてくれ」
「サザナミと言います。平民なので名字はありません。年齢は十二歳です」
「そうか。サザナミの出身は東だったか」
「はい。東の小国ホムラの国境にある、名もなき小さな村で生まれました」
「家族は」
「両親と歳の離れた兄が一人。妹も一人いました」
アキナはぴくりと片眉を上げる。
「ご家族はいま、どこにいるんだ」
「知りません」
「知らない?」
サザナミはアキナを見上げ、静かに頷く。
「なぜか聞いてもよいだろうか。あ、いや、言いたくなければ言わなくていいのだが」
「問題ありません。北との戦で村が焼かれたので、俺たち家族は西境にある集落に逃げ込みました。東の難民が多くいたところです。しばらくはそこで生活をしていたのですが、兄と両親の稼ぎだけでは生活が苦しくて。幼い妹と体調が安定しなくてろくに働けない俺は、役立たずだからという理由で売られました」
アキナは顔を伏せ、そうか、と呟く。サザナミからは表情がうまく見えなかった。
「サザナミの体に流れているのはなんだ」
「魔力です。東の民の血を継いでいる者のなかから、稀に魔力の使い手が生まれることがあります」
「それは聞いたことがあるし、先の戦争で実際に目にしたこともある。おまえは魔力が扱えるのか」
先の戦争とは、北のマンドリムとホムラの間でおこった戦のことだろう。停戦のため、世界平和軍として西の大国アルバスも参加したと聞いている。
「いいえ、俺はまだ魔力の使い方を知りません。俺たちの国では十六歳で成人するのですが、大人にならないと魔力の使い方は教えてもらえないのです。使い方によっては他者を害することも国を滅ぼすこともできる危険な力だから、子どもの身では持て余すだろう、という理由です。なので、俺のような魔力持ちの子どもは、溢れ出る魔力を体力や筋力に還元して使っていることがほとんどでした」
「どういう意味だ」
アキナが訝しげにサザナミを見る。
「かんたんに言うと、そうですね……魔力で体を増強している感じです。魔力持ちの子どもは、体力や筋力が並の子どもの十倍はあると思います」
ほう、とアキナは瞳を光らせた。
「じゃあ、あれは意図的か」
「あれ、と言うと」
「この国の王子に魔力を向けたことだ」
アキナの顔から表情がすっと消えた。
サザナミは体を強張らせる。
「い、いえ、そのような意図はまったくありませんでした。無礼を承知で申し上げると、あの方が王子だとは俺は知らなかった。もちろん、やんごとなき身分の方だとは察していましたが。それに、ああやって魔力が外に暴走したのもはじめてのことで……」
「理由に心あたりは?」
「ないです。でもあの方の顔を見たら、なにか、なにか……」
サザナミは両の手のひらををまじまじと見つめた。あのユクスという名の王子が自分に向けた菫色の瞳が、脳裏にこびりついては消えない。けっして不快ではなかった。むしろその逆で、サザナミの心を強く惹くなにかがあった。
「体を鍛えるのは好きか?」
ふと思いついたような感じでアキナがそう言った。
「あ、はい」
「野を走り回るのは?」
「好きです」
「動物はさわれるか」
「幼い頃から家畜とよく遊んでいました。あ、あの、急になんでしょうか」
困惑するサザナミをよそに、アキナは淡々と言葉を続ける。
「子どものきみが市井で自立した生活を営むことはまだ難しいが、俺の名前を使えば裕福で善良な家庭に預けることはできる。しかしね、その力をわれわれは放置するわけにはいかないのだよ。アルバスには魔術の類を扱う者がいないから、目の届かないところにみすみす放り出すことはできかねるんだ」
もっともな意見であった。サザナミは頷く。
「そこでだ。しはらくの間、騎士団で働くのはどうだろうか。騎士団といっても、この国の法律は子どもが戦に参加することを禁止しているから、主な仕事は鷹や馬の世話、炊事、掃除、要人警護あたりになるだろうが」
サザナミはアキナの真意を図るために彼をじっと見る。年端もいかぬ子どもに怪訝な表情を向けられたアキナは、「なんだ」と肩をすくめた。
「俺はこの国の王子を危険に晒しました」
「ユクスさまは、『急に視界が暗くなったが、とくになにもなかった。久しぶりに外に出たので目眩がしたのだろう』とおっしゃっている」
「え」
サザナミは驚く。よそから来た身分も出自も不明の自分を庇う理由がわからなかった。
アキナはそんなサザナミを見やり、すぐにふいと視線をはずして、「それにな」と続けた。
「騎士団は仕事柄いろいろなところへ赴くから、いつかご家族と再会できるかもしれない」
「……妹は家族に売られたあと、奴隷商の馬車に三日三晩揺られて、すぐに死にました。病弱な妹を奴隷に差し出した家族に会いたいとはあまり思いません。それに兄とはもともと折り合いがわるかったので、いまさら会っても、べつに……」
サザナミは視線を手元に落とす。
アキナは「そうか」と答えると、ふたたびサザナミの頭をがしがしとなでた。
「とにかくしばらくおまえは医師団の保護下だ。ゆっくり寝て、飯を食べて、元気になってくれ。いまみたいに栄養が足りないと、大きくなれないからな。騎士団の件はそのあと考えてくれればいいから」
そう言うと、アキナはテントの外へ出ていった。
***
今日の祭りのために、医師団はアルバス市街地の広場にテントを並べて駐屯していた。そのテントの一つをあとにしたアキナは、入口外に立つ人影を認めると片膝をついた。
「ユクスさま」
「楽にしてください。さっきも言いましたけど、私、アキナにかしこまられるの、いまだに慣れないんです」
ユクスは肩をすくめ、アキナを見上げる。
その子どもっぽい仕草をアキナはめずらしく思うも、「まいったな」と相好を崩した。アキナは昔から、この王子のお願いに弱い。
「外で待たせてしまってすみませんでした」
ユクスはすぐにいつもの冷たい顔つきにもどると、首を振った。
「あの少年は、なぜだかわかりませんが、私の姿を見て取り乱したように見えました。私がいたらまた混乱させてしまうかもしれませんし。それで、彼の様子はどうでしたか」
「ああ、彼はサザナミという名前だそうです。しゃべるくらいの元気はありましたよ。医師からも栄養失調気味だけれど、体に異常はないと」
「そう、よかった」
サ、ザ、ナ、ミ、とユクスは一音一音ゆっくりと口にした。
小さくてかたちのよい桜色の唇が、東の民の名前をなぞる。アルバスの民からすると、いささか馴染みのない母音の並びであった。
「それで、あの、赤黒いのは……」
「先ほどからおっしゃっている、赤黒いの、と言いますと」
「サザナミを覆っていた気配です」
「ああ、あれのことですか」
アキナはふむ、と腕を組む。
「彼曰く、魔力らしいです」
「魔力……東の民に宿る力ですね」
「ええ、そうです。もうすこし話を聞きたかったんですが、まだ本調子ではなさそうだったから、また日を改めてゆっくりと教えてもらおうと思っています」
ユクスは少年の魔力を「赤黒いの」と評していたが、じつはその色はアキナの目にはまったく確認できていない。サザナミが倒れたあとすぐその場にいた騎士団連中にも状況を確認したが、みなアキナと同じで「東の子どものまわりが急に暗くなった」ことしか理解できていなかった。
――なんとなく、いやな感じがするあの気配。いったい坊ちゃんにはなにが見えているんだ。
「アキナ、どうかしましたか」
「ああ、すみません。それでサザナミなんですけど、聞けば身寄りがないと言うから、騎士団で預かろうと思っているんです」
「じゃあ王宮にずっといらっしゃるの!?」
まるで興奮を抑えきれない子どものように大きな声だった。
思わずアキナは目を丸くする。
「なんだ、坊っちゃん。やけにうれしそうだな」
「だ、だって……」
ユクスは顔を赤らめ、下を向いてしまう。
アキナはそんな年相応の表情をほほえましく思う。まだ十四歳だと言うのに、近ごろは第一王子としての責務を意識してか、いつも厳しい表情を見せていた。
手を伸ばし、サザナミにやったようにがしがしと頭をなでた。
「同じ歳くらいの子どもはしばらくいなかったもんな」
ユクスは頷いた。
――ただの子どものように表情をくるくると変える坊ちゃんをを見られたのは、いつぶりだろうか。
アキナは手を止め、頭上から「ユクスさま」と呼びかける。ユクスはぱっと顔を上げた。
「しがない独身のおじさんからのお願いを聞いてくれますか」
「なんでしょうか」
「サザナミね、この国とは縁もゆかりもないんですって。おじさんはあいつがここでうまく生きていけるか心配しているわけなんです」
ええ、とユクスは神妙な面持ちで頷く。
「それでな」
「わ、私!」
ユクスは頬を赤らめたまま、大きな声を出した。
「サザナミとお友だちになりたい。……なれるでしょうか」
アキナは白い歯を見せてにかっと笑う。
「坊ちゃんなら大丈夫、なかよくなれるさ」
ユクスを騎士団の護衛にまかせて別れたあと、一人になったアキナは考えごとをしていた。
――あの少年、サザナミと言ったか。かの国でも魔力持ちは非常にめずらしいと聞いたことがある。
アキナの目には、暴走していた魔力はユクスにふれられて収まったように見えた。
ユクスの母親、シラユキの生まれは東。
「ふむ」
アキナは顎をさすった。
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