2 思い出の樺太 (1)伏子の思い出【伊藤先生のこと】

 伏子の小学校にも私達が学んでいる頃から終戦近くまでの間には、多くの先生方が赴任してきたが、その中に二十年近くも村の学校に勤めて、殆んどの村の子供達が指導を受け、親しみを持っている先生に伊藤先生が居られる。伊藤先生は私が小学校三年の頃北海道から赴任してこられた。十七才か十八才の頃だったように思う。よく指導していただいたし、年令もそんなに離れていなかったせいもあって、よく生徒達と遊んでくれた。大変親しみの感じられる先生だった。授業のことで、こんなことを思い出す。読み方の授業で、"虎と蟻"というところを教わった時だった。物語は強い虎も、一見小さくて弱そうに見える蟻の多数の団結の力の前に、降参せざるを得なかった、というところだったが、一応読解も終り、漢字の書取練習を各自でやるように命じ、あとで聞いて見るからと言って、複式学級だったので、他の学年の指導にあたられた。あとで聞いて見るということだったので、私達の学年の者は一生懸命に練習した。そのうちに他の学年の指導が一段落した先生が、私達のところに来て、一同に教科書をとじさせて、いろいろと漢字を黒板に出て書かせたものだった。いくつかの漢字を書かせた後、"トラ"という字を書ける者はと聞かれた。一同は全員手をあげた。先生は山名の義雄君を指した。義雄君は黒板に出て"虎"と書いた。私もこれでいいなと思った。然し先生は頭をかしげられ、外に、と言われた。皆顔を見合わせたが、そのうちに中村の虎夫君が手をあげた。私も自身はなかったが手をあげた。すると先生は私を指した。私は出て"虎"と書いた。これでも先生は満足されず、外に誰かと言われた。最後に中村の虎夫君だけが手をあげていた。先生は虎夫君を指した。虎夫君は黒板に出て"虎"と義雄君の書いたのと同じものを書いて机に戻ってきた。先生はこれにも満足されず、先生は一寸情けないような表情をされたが、先生は黒板に"虎"と書いて(虎冠)の部分を強調したのであった。教科書を開いて見て、私はなる程と思ったが、その時はそれ程何も感じなかったが、後になって一見平凡に見える指導の中にも、緻密な行き届いた指導振りに感じたものだった。


 その後伊藤先生は、二十年近く伏子の小学校に居られて、私達の後輩は皆お世話になり、厄介をかけたものだったし、青年団の人達もよく学校に集まって指導を受けていたし、父兄の人達の中にも、いろいろと相談にあずかったりお世話になった人達もあったと聞く。伏子のことを思い出す時忘れることのできない先生である。現在は東京に住んで居られると聞いているが、お元気に過ごされるようお祈りしたいと思う。


 伏子を思い出し、静かに目をつむると、あそこに神社があり、その後に小川が流れていて、小川を渡った雑木林の中でよく茸を採ったことが思い出されたり、あそこに焼場や墓があり、その附近には一面に盆花が咲いて、蟻地獄の逆三角錐の穴がぽつぽつあったり、あのあたりには落葉松の林があって、そこには鈴蘭がいっぱい咲いていた事や、あのあたりでフレップを沢山採ったというようなことが思い出されて誠に懐かしい。それにしても訪ねて見ることが自由に出来ないのは残念でならない。

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