2 思い出の樺太 (1)伏子の思い出【ゴメ釣り、小鳥とり】

 生れ育った古里の村を思い出すとき、懐かしい思い出は尽きないが、特に強い印象と共に思い出されるのは、子供の頃の遊びである。小学校の五、六年の頃はよく"ゴメ釣り"をやったり、紅ヒワをとって遊んだことがある。ゴメというのは春の鰊漁の頃になると亜庭湾内に飛来して、雪が降る頃まで海岸を飛び廻っているうみねことあじさしの類を総称して伏子ではゴメと呼んでいた。延繩用の針に小鰊を餌につけ、波打際に置き、永井綿糸をつけて、綿糸の先端を持って、飛んでいるゴメに姿を見られないように隠れて、波打際を注視しているのである。ゴメは数羽で群をなして海岸沿いに飛びながら、小魚をあさっているのである。ゆっくり飛びながら小魚を見つけると、急降下してきて持ち去る。そしてある程度飛んでから呑み込むような習性をもっていたようだった。こうした習性をある程度知っていた私達は、波打際においてある針のついた小魚をゴメが銜えて飛びあがると、持っている糸をどんどん伸ばしてやる。そして呑み込む寸前に糸を引張ると、針がくちばしに引っかかりゴメを手許に引き寄せることが出来る。こうして釣ったゴメを石油箱に網の蓋をして数日飼うが、父母に叱られて放してやる。しかし釣るのがおもしろくて、叱られても、叱れれてもよくゴメ釣りをやったものである。九月の末頃になると、春に魚粕を干したり、身欠鰊の干場にしていた所に、あかざが茂り実がなる。あかざの実は芥子粒けしつぶぐらいの大きさだが、身のなる時期には多くの小鳥が集まる。特に多いのは紅ヒワの群である。あかざの茎にとまって実をついばみ、チー、チーという鳴声をたてながらあかざからあかざに飛び移る。頭の赤いこの小鳥が百羽ぐらいも群をなして飛び移るさまは、誠に壮観なものであった。よう網を張ってこの紅ヒワを取ったものだった。五羽も十羽も一度に網にかかることがあった。時にはつぐみの群があかざの実を食べにやってきた。紅ヒワと同じようにしてとったものだが、とってどうするということもなく、ただとることが楽しみで、二、三日飼っては放してやるのが例だった。又よく野原に雲雀の巣をさがしては、その雛をとってきて養ったり、鳥の巣を見つけては、巣立ったばかりの鳥の雛をとって来て養ったりもしたものだった。雲雀の雛や、鳥の雛は養っているうちに愛情も湧き、鳥の雛はなかなか悧巧なところがあって、昼間などは放して置くと、他の鳥の群と一緒に遊んでいるが、夕方になると帰ってきたりして、いじらしいと思ったこともあった。

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