2 思い出の樺太 (1)伏子の思い出【冬と流氷】

 樺太は十月の末頃から寒くなりぽつぽつ雪も降り始める。そして一月の末から二月の始めにかけての寒さは特に厳しい。零下二十度を越える日が幾度も続くことが多い。この頃になると、波静かな亜庭湾の海岸一帯は氷の海になる。藍色に見えていた水平線も白色に見えるようになる。夏の頃は留多加川の川口から多蘭内まで約三里程の海岸線は、干潮の時など天然の自動車道と言ってよい状態だが、一月二月の頃になると、打寄せる波が岸に凍りつき、海岸線一帯に、天然の氷の断崖が出来るのである。更に寒さが厳しくなる凪ぎの日が続くと、海面に氷が張りつめるのである。その上に雪が積もり、白い雪原に見えるようになる。時折この氷の割れ目から、あざらし(トッカリ)が氷の上に出て愛嬌のあるかっこうで、よちよち歩いているのが見かけられたものだった。この海岸線一帯に張りつめた氷も、夜半風が吹くと、次の朝は綺麗に沖に流されて、あとかたも見えなくなっていることもあった。西海岸は暖流の関係もあって、海水の凍ることは殆んど見られなかったが、東海岸や亜庭湾内ではよく見られたことだった。大泊の港では立派な埠頭が出来るまでは、連絡船や貨物線などがよく氷上荷役をしていたものだった。氷の上を荷を積んだ馬ソリや犬橇が船と陸の間を、忙しく往復しているのを見かけた事があった。三月の声を聞くと、樺太の寒さもゆるんでくる。切れ切れの流氷が亜庭湾一帯を漂うようになる。ところどころに流氷が見える紺碧の海面に、鴨の群れが元気よく"アッアッアオナ"と鳴きながら遊泳しているのを見かけるのもこの頃である。三月も末頃になり、道のあちこちに馬糞が見える頃になると、春の鰊漁の準備がぽつぽつ始まり、部落も少しずつ画期が出てくる。流氷の漂よう沖合に水平線に沿って、一頭・二頭と続いて潮を吹きながら、鯨の群が通り過ぎるのを見るのもこの頃だった。噴水のように勢いよく潮を吹いて沖を通る鯨の群の雄壮な光景を見て、子供心に一種異様な感に打たれたものだったことをおぼえている。


 樺太の自然は、如伺にも荒涼として、索漠たるものだろうと想像している人達が多いように思っているが、そして一面その通りであるところもあるが、私にとってはいろいろなことを訓え育ててくれた懐かしい風土であった。

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