2 思い出の樺太 (1)伏子の思い出【水泳と北寄掘り】

 樺太も七月から八月にかけては、やはり暑い夏である。氷水屋も店を開くし、ところてんやアイスクリームなども売り始められる。短い期間だが、水泳も出来る。私も子供の頃はよく海で泳いだものである。泳いでは熱くやけた海岸の砂に腹ばいになって体を暖め、また海に入る。こんな繰返しをしているうちに、唇がぶす黒くなった事もあった。時には一の瀬まで泳いで行って北寄貝を掘ってきて、海岸に火を焚いて皆で焼いて食べたりしたものだった。焚き火の上に置かれた貝はだんだん熱せられてくると、貝殻が口を開き中に赤く煮えた貝が見える。この北寄貝の味は何とも言えない程おいしいものであった。伏子の海は、遠浅で波打際からだんだん深くなり、背が立たなくなる所から更に沖に出ると、浅い瀬にたっている。私達はここを一の瀬と呼んでいた。一の瀬は子供の腰までくらいの深さで、ここでよく北寄貝を掘ったものである。天気のよい水の澄んだ日、瀬を静かに歩きながら、下を窺きノゾキ金色に光っている二箇の穴を見つけて、そこを足で掘るのである。そうすると北寄貝が採れるのであった。北寄貝は砂の中にもぐっているのであるが、入水管を海底に出していて、どうしたわけかこの二つの穴が金色に光って見えるのだった。乱暴な音をたてて歩くと、貝はすぐその管を引っ込めてしまって見えなくなるので、ぬき足さし足で静かにこの二つの金色に光る穴を探して、一の瀬を歩いたことなどを思い出す。一の瀬から更に沖に出ると、又深くなり更に進むと浅くなって背の立つ所に出る。私達はここを二の瀬と呼んでいた。高等科に行くようになった頃、よく数人の友人達と磯船で二の瀬まで漕ぎ出し、イカリをおろし、舟から飛び込んで泳いだり、北寄貝を採ったりしたものだった。亜庭湾内は七月八月は凪ぎの日が多かったが、十月も半ばを過ぎる頃からは、時化シケが多くなり大きな嵐の日のあとなどには、よく海岸に北寄貝、帆立貝、その他の貝類や海藻類が浮木などと一緒に打ちあげられていることがあった。時化のおさまった翌朝薄暗い頃から、海岸には貝拾いをしている人達の姿が見られたものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る