1 一 日露史上の樺太(3)日本領南樺太の四十年

 ポーツマス条約によって、日本領になった南樺太は、その豊富な水産資源・森林資源・地下資源によって、北方の資源基地として大きな役割を果たしたのである。


【水産資源】


 樺太が北蝦夷と言われていた昔から、日本人は水産資源を求めて、この島に往来していたことは、史実に明らかなことだが、その水産資源の豊富なことは、流石に世界の三大漁場の一つと言われるだけのことはあった。領有後初期に渡樺した人達の中には、漁業関係者が多かったように聞く。私の父も明治四十四年に樺太に渡り、亜庭湾内の小さな漁村で漁業に従事していて、私は大正三年この漁村で生まれ、物心ついてからの少年時代の殆んどをこの漁村で育ったのだが、春先に産卵のために、海岸沿いに回遊してくる鯨の大群の見事な光景は、今でも私の眼底に残っている。夏には小鯨や鰯の回遊があり、夏から秋にかけての鱒や鮭の漁獲も大きかったし、冬に向かう頃と春先にかけて鱈の漁獲も大きいものであった。このほかに北寄貝・帆立貝・たらば蟹・昆布や伊谷草などの藻類、更に札塔における捕鯨や海豹島におけるオットセイ等等・・・と誠に多くの水産資源に恵まれていた。又これにともなって水産物加工場などが各地にあったし、罐詰カンヅメ工場なども操業されていたものであった。


【森林資源】


 森林資源については、全島を覆うえぞ松・とど松・から松・白樺・榛・柳等と誠に豊富なものであった。これらは北洋材として輸出されていたし、えぞ松・とど松を原料とした製紙工場が全島各地に操業されていて、我が国の紙の大半はここから産出されたと言ってもよい程だった。から松・白樺・榛等は薪炭材として、石炭が家庭用燃料として用いられるようになるまでは、貴重なものであった。


【地下資源】


 地下資源は、全島殆んど石炭とツンドラの島と言ってよい程で、良質の石炭が各地で採掘されていたし、封鎖炭田として手をつけないであった鉱区も多かった。ツンドラは、特に北方幌内川流域に多く、層の厚い所では三米以上に達するような所も見かけたことがあった。三十センチメートルから五十糎程度のツンドラ層は全島各河川の流域いたる所にあった。蘚苔類センタイルイ小灌木カンボク等が長い年月の間に推積し、泥炭化しつつあるツンドラ層は、その上を歩くと海綿の上を歩いているような感じを持つが、資源としても貴重なもので、防音防湿の性質を持つツンドラ板をはじめ、燃料・肥料・飼料として利用され、幌内川をへだてた敷香の対岸佐知部落にはツンドラ工場が操業していて、無尽蔵と思われる程のツンドラも、重要な工業資源として脚光を浴びはじめていた。


【農業】


 農業は寒冷地のため内地に比べると微々たるものであったが、開拓農民の努力と当時の指導奨励によって、亜寒帯における農業経営の研究も着々進み、馬鈴薯ジャガイモ・青えんどう・甜菜テンサイ燕麦エンバクその他麦類、きゃべつ其の他野菜類等多く産出した。これら農産物を原料とした澱粉デンプン工場や、製糖工場なども操業するようになっていたし、又養狐業なども盛んだった。

 稲作も試験的に行われていて、農産物品評会などに試作の米が出されているのを見たことがある。今後の研究によってはよい結果が現れることも期待されていた。


【教育関係】


 人口も年々増加し、昭和二十年の頃には四十五万を数える程になっていた。中等学校は、中学校が五校、女学校が九校、商業学校が四校、商工学校が二校、工業学校が二校、農業学校が一校、水産学校が一校、師範学校が一校などと多く、この外各町村には青年学校や実科女学校などもあり、大学はなかったが医師専門学校もでき、子弟の教育には十分配慮されていた。

 又先住民族であるアイヌ・オロッコ・ギリヤークなどの保護や教化にも努め、その子弟は土人教育所を設けて指導し、更に日本人小学校に通学することも奨励した。私が敷香に勤めている頃、幌内川を渡った対岸に、オロッコやギリヤークが集まり住んでいるオタスの杜という所があって、何度か行って見たことがあるが、ここにも土人教育所があって、川村先生夫妻が熱心に指導にあたって居られて、土人達からも慕われていたものだった。この土人教育序で優秀な生徒が何人か私の勤めていた学校に通学していた。

 更に研究施設としては、水産試験所や農事試験所があり、産業振興のための基礎的研究をしていたし、東大や京大・九大等の演習林などもあったし、豊原には立派な庁立の博物館もあって、島民の文化意識の向上についても配慮されていた。


 このように日露戦争後四十年間、四十五万島民が営々としてその開発に努め、、産業をおこし、異民族の教化をはかり、その生活向上にも意を用い、ようやく北方の楽土として、樺太に骨を埋めようとする者も多くなってきていたのであった。

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