1 一 日露史上の樺太(2)日露戦役末期と樺太国境の画定

【日本軍の樺太進攻】


 明治三十八年(一九〇五年)五月、日本海海戦において、我が聯合レンゴウ艦隊はロシヤの誇るバルチック艦隊を完膚なきまでに撃破し、日露戦争も終わりに近づいた三十八年七月のはじめ、我が北遣艦隊四十九隻の軍艦に護衛された独立十三師団原口中将麾下キカの陸軍部隊は、二十隻の御用船に分乗し、樺太のロシヤ軍基地を襲撃することになった。北遣艦隊は途中掃海作業をしながら、亜庭湾内深く侵入し、七月七日コルサコフ(大泊)の近くのメリヤ(女麗)に上陸を開始したのである。

 当時ロシヤの守備隊は、南はコルサコフ、北はアレキサンドル周辺に置かれていたと言われている。メリヤに上陸した日本軍は、コルサコフを目指して進撃し、コルサコフ周辺では短かったが激しい戦闘が行われたという。日本軍の進攻は、迅速かつ効果的であり、コルサコフ周辺のロシヤ軍は、街を焼き北方のウラジミルフカ(豊原)方面に退却した。

 これを追撃した日本軍との間に、豊原近郊のイクサ川附近でも激しい戦闘が行われたが、七月十一日までにはウラジミルフカ周辺を掃討し終えたのである。その後は殆んど抵抗を受けずに北進したという。

 一方日本軍の第二陣は七月二十四日北樺太のアレキサンドロフスクに上陸し、ロシヤ軍の援軍と補給を断ち、島内のロシヤ軍を圧迫したのである。

 本国よりの援軍と補給を断たれた島内のロシヤ軍は繊維を喪失し、七月三十日停戦を申出で、一切の物資・将校・下士官・兵・関係文書を引き渡すことを約し、十七名の将校と四千三百名の兵が武器を捨てたのである。かくて原口中将が全島に軍政施行の布告を出したのが七月三十一日であった。

 尚八月二十日には、日本海海戦に敗れて亜庭湾内に潜入していた露艦ノーウイック号が、コルサコフ沖に撃沈され、樺太全島は完全に日本軍の占領するところになったのである。そして当時の国民は、樺太全島が日本領土になるものと信じていたという。


【ポーツマス条約締結】


 然し、三十八年九月五日調印されたポーツマス条約によって、北緯五十度線以南の所謂イワユル南樺太が日本に割譲されることになり、北樺太はロシヤ領として留まったのである。このことは、当時の日本国内に大きな失望と幻滅を感じさせたものだったと言われている。然し条約が締結された以上は、それは尊重されなければならない。


【国境画定作業】


 かくて、三十九年夏から、日露両国によって、北緯五十度線国境画定の作業が進められたのである。日本側は砲兵大佐大島健一を国境画定委員長に任命し、ロシヤ側委員と協議し、緯度の観測、森林の伐開、境界標設置場所の決定、標石等の製作等を分担し、三十九年七月四日から作業開始し、夏期のみ七ヶ月間の作業により、四十年十月二日に北緯五十度線の国境が出来上がったのである。東海岸の遠内から西海岸の安別まで、百三十一キロメートルの間を十メートル幅に森林を伏開し、この伐開した十米幅の地帯は中立地帯とし、その中央北緯五十度線上に、東海岸から西海岸の間の四箇所に国境標を置いたのである。東海岸の遠内に天測境界標第一号、幌内川右岸の境に同じく第二号、半田沢に同じく第三号、西海岸の安別に同じく第四号を置いたのである。更にこれら天測境界標の間に、中間標石十七基と、中間木標十九本が補助的に立てられていた。


【天測境界標】


 天測境界標は、花崗岩を将棋の駒形に形造り、南面には中央に菊の紋章を刻み、上部に大日本帝国と、下部に境界と刻まれていた。北面には中央に双頭の鷲の紋章が刻まれ、上部にロシヤ帝国、下部に一九〇六年又は七年と完成された年度が刻まれていた。東面には天第〇号と、一号から四号までそれぞれに応じたものと、明治三十九年又は四十年と完成された年度が刻まれていた。西面はロシヤ語で東面と大体同じような語句が刻まれていた。

 私は昭和八年から十七年まで敷香小学校に勤めていたが、この間に、昭和十年の秋同僚達とこの国境線まで行って見たことがあった。国境線から約二粁離れた南に半田沢警察官派出所があり、ここに十数名警察官が常駐していて国境警備にあたっていた。私達はこの派出所に立寄り、警察官に付き添われて国境線まで行ったのであった。この頃はソ満国境での緊張が云々されている頃だったので、付添の警官も相当神経質になっていたように感じたものだった。天第三号の国境標の傍に立ち伐開されて見通しの開けている東西を眺め、国境面定当時の人々の労苦を偲び、更に北方ロシヤ領アレキサンドルフスクに通ずる道路の草むしりしている様を眺め、長い日露の紛争などを振り返って思い起こして見たものだった。


 この時、国境標の拓本をとったり、郵便交換所のそばに立って写真をとったり、国境線を一歩踏み出して放尿したりした事なども、今静かに懐かしく思い浮かべているのである。

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