50話 神降ろし
ローゼがフェリシアと顔を見あわせてクスクス笑っていると、再び扉が叩かれた。現れたのはアーヴィンだ。彼はフェリシアに向かって軽く頭を下げ、ローゼに向き直る。
「目が覚めていたんだね、良かった。気分は?」
「んーと、なんともない……」
答えてローゼは妙な気分にとらわれる。なんだかアーヴィンとこんなやりとりをした気がするのだ。それもごく最近。
「ねえ。あたし、アーヴィンと……」
言いかけたけれど、アーヴィンと最後に会ったのは十日以上も前のことだ。だから話をしたような気分になったのは何かの思い違いだろう。そう考えなおし、問うような視線のアーヴィンに首を振ってみせる。
「ううん、なんでもない。そうだ、今ね、フェリシアから昨日のことを聞いてたの。騒ぎになったみたいでごめんね」
「ローゼが無事だったのだからそれでいいんだよ。だけど、あれはもうやってはいけない」
「あれ……っていうと、祭壇を使ったこと?」
「違う。神降ろしのほうだ」
フェリシアは小さく「やはり」と呟くけれど、ローゼには聞き覚えの無い言葉だ。アーヴィンの厳しい瞳にたじろぎながらも、小さな声で尋ねてみる。
「神降ろし? ……って何?」
すると、アーヴィンの雰囲気が少し和らぐ。
「神降ろしとは、人の体に他の存在を呼び入れることだよ。入るものは神や人の霊魂、それに……精霊という例もある」
「なんか大変そうね。あたし、別に意識してやったわけじゃないんだけど、そういうことってよくあるの?」
「滅多にない。というより、本来なら神降ろしは大神殿の巫子くらいしかできないんだ。執り行う際にはかなり体力を使うから、条件が悪ければ訓練を積んだ巫子でさえ命を落とすことがある。よって大神殿でも神降ろしを行う際には慎重を期すし、容易に実行の許可も出さない」
横でフェリシアがうなずいているからアーヴィンの言葉は脅しではなく真実のようだ。
ローゼはごくりと唾をのむ。
「知らなくても出来たということは、ローゼには神降ろしに対して何かしらの適正があったんだろうね。だけど今も言った通り、神降ろしは危険なものなんだ。――昨日のローゼが何をしたのかは聞かないでおこう。だけど今後は同じことを絶対しないように。いいね?」
ローゼとしてはエルゼに呼びかけてみただけのつもりだったが、そんな大変なことになるとは思わなかった。
だけどもうエルゼから話は聞いた。同じことは二度とやらない。真剣な眼差しのアーヴィンに力強くうなずくのにはなんのためらいも無かった。
「分かった。もうやらない」
ローゼの答えを聞き、アーヴィンは目元を和ませた。そうしてローゼの枕近くに置かれた剣へ視線を向ける。
「お祝いが遅れてしまったけれど、無事に聖剣を受け取ることができておめでとう、ローゼ。それとも、聖剣の主様とお呼びすべきかな?」
「……あたしが『聖剣の主様』なんて呼ばれて喜ぶとでも思ってるの?」
「ローゼがどちらを望むか分からなかったからね」
「アーヴィンの嘘つき。絶対わかってたでしょ? 本当に意地悪なんだから」
少しばかり眉を寄せながらローゼは立ち上がり、聖剣を手にしてアーヴィンの前で抜きはらう。
「そうよ。これが十一振目の聖剣。で、この剣に関してはちょっとした話があるの。本当かどうか分からないし、あたしの頭が変になっただけかもしれないんだけど……話したいから聞いてくれる?」
「もちろん。ちなみにそれは書き記しても良いものなのかな?」
ローゼは聖剣に「どう?」と聞いてみる。
【好きにしろ】
そっけない答えが返って来たけれど、拒否ではない。
「いいって」
「では、場所を移そうか」
客間を出たアーヴィンが案内してくれたのは応接室だった。
青い絨毯が敷かれた上には長椅子があり、向かい側の一人掛けの椅子との間には机がある。そこには既に紙と筆記具が準備されていた。暖炉の赤々とした火は既に室内を温めているし、相変わらず用意のいいことだ、とローゼは苦笑する。
一方でフェリシアは部屋の隅に置かれた移動式の台を見て「あら」と声をあげた。
「ポットとカップがございますわね。あちらはわたくしが使っても構いませんかしら?」
「ええ、どうぞ」
許可を得たフェリシアはいそいそと茶器へ向かう。なんだか嬉しそうだ。
そういえば以前、アーヴィンがジェラルドに関して「お茶を淹れる技術だけは大したものなんだよ」と言っていた。フェリシアがお茶を淹れるのを好きなのは、もしかしたら従兄であるジェラルドが影響しているのかもしれない。
ローゼは長椅子の右に座り、聖剣を膝に置いた。正面の椅子にはアーヴィンが座る。トレーを持ってきたフェリシアがアーヴィンの前にカップを一つ、そして長椅子の前に三つ置いてローゼの左側に座った。
三人だが、カップは合計四つ。つまりカップのうち一つは、どうやら。
【これは俺のか?】
「みたいね」
【いい子じゃないか!】
別に飲めるわけではないけれど、一人前扱いされて嬉しかったのだろう。レオンの声は弾んでいる。
子どもみたい、と思いながら顔をあげると、アーヴィンは仄かに微笑んでいた。やはり厳しい顔よりも笑った顔の方が好きだなと考えて、こんなにも自然に「好き」という言葉を彼に向けて出せる自分をローゼは意外に思う。
(だけど……そうね。あたしはもともと、アーヴィンのことが嫌いってわけじゃなかったのよ。だって友達だもん)
六年前に起きた北の森の一件のあと、ローゼがアーヴィンと会えるようになったのは、彼と『友達』になったからだ。
(うん、だから別にアーヴィンのことを好きだって思ったっていいのよね)
少し恥ずかしいけれど嫌な気分ではなかった。これも、村を出たことによってローゼが成長できた証拠かもしれない。
なんだか晴れ晴れとした気分でローゼは紙と筆記具に視線を送る。アーヴィンがペンを取ったので、ローゼは改めて口を開いた。
「それじゃあ、話すね」
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