39話 最期の夢1

 あの最悪の帰郷から五日目、立ち寄った村で俺は大神殿が“十一振目の聖剣の主”を探してるらしいという噂を耳にした。

 頭の中には赤い髪の女と壮年の神官が浮かぶ。俺は唇をかみしめ、こみ上げてくるものを飲み込んだ。


 分かってた。

 エルゼは俺に関しての話を神官へするだろうし、神官は必ず大神殿に連絡するはずだと。俺なんかよりも、大神殿への義理や忠誠を取るに決まっていると。……そんなことは分かってたじゃないか。なあ?


 俺はマントのフードを深くかぶると、下を向いて歩き出す。


「……さて、これからどうしようか」


 街道を進みながらいつものように腰の聖剣へ声をかける。

 もちろんいつものように返答なんてないが、俺と一緒にいてくれるのも、話を聞いてくれるくれるのも、こいつくらいなんだ。


 そのままうつむいてどのくらい進んだろうか。なんとなく視線を上げると、遠く北にある険しい山並みが目に入った。暑い時期をすぎたばかりなのに上の方は白い。あれが万年雪というやつか。


 ……そういえば北方地域には行ったことはなかった。あそこは特殊だもんな。


 北方は今でこそアストラン国の一部だが、昔は小さな国だったそうだ。元国王だった家は、現在は領主となって北の地を治めている。ただしあまり従順ではないらしくアストラン王家も手を焼いているとか、民も領主にならって排他的な傾向があるとか、そんな噂を聞いた。そもそも北方地域には未だに独自の宗教観が息づいてるから、ウォルス教の神殿も少なくて――。


 ……ん? 待てよ。

 排他的で神殿が少なく、他の地域からの人間が寄り付かない場所。これはよく考えたら、今の俺が行くのにうってつけじゃないか?


 よし、決めたぞ!


 俺は北への進路を取る。

 聖剣と、腰の物入れに入れたままの『禁忌』を連れて。



   *   *   *



 北は噂通りの土地だった。

 他人と関わりたくない俺にとって排他的な気風は好都合だったが、困ったのは路銀が稼ぎにくいことだ。


 俺の金策は森や山の中にある香木や野草、珍しい薬草などを採ってくること。だけど困ったことに北方ではなかなか買い取りをしてもらえない。俺が店に入ると露骨に顔をしかめて出て行けと身振りで示されるばかりで、品を見るどころか話も聞いてもらえないんだ。

 路銀の残りも少なくなってきたので仕方なく野宿の日が増えたが、気温の低い北の地での野宿は結構つらかった。


 幸いなのは、魔物とほぼ遭遇しないことか。見かけたのは最初のうちだけ。このところはまったく会わなくなった。おかげでなんとか休めているが……。


 その日も何も売れず、俺は暗い気持ちを抱えて野宿のために町の外へと向かう。

 もうじき雪が降りだすだろう。

 これ以上の野宿は命の危険を伴うから暮らしていく方法を何か考えなければいけない。だけど北方の集落はどこも気持ち悪いんだ。なんというか変な匂いがして、あまり長居をしたくない。金の問題もそうだが、この匂いも俺を苛立たせる原因のひとつだった。


 ……ああ、金に関してはいい考えがある。そら、そこで遊んでいるあの子ども。あいつの命を盾にすれば親は金を払うんじゃないか?

 いや。いっそどこかの家に押し入ればいい。一家の命を丸ごと奪えば手っ取り早く金が手に入るじゃないか。


 それはとても良い考えだと思った。

 腰の小刀――聖剣では人を切ることは出来ない――に手を伸ばしかけて俺は我に返る。首を振り、町の外へと歩き出した。


 まただ。

 以前から多少なりともそんなことを考える日があったけど、ここ最近は度を越している。気を抜くと誰かの命を奪うことばかりを考えてしまうんだ。……これもきっと寒いせいに違いない。やはり早くなんとかする必要があるな。

 マントの襟元を掻き合わせながら森へ入って、俺は思いがけない奴に出会った。


 町中で「銀の森」という言葉はちらほらと耳にしていた。


 北の領地の中でも飛びぬけて広いその森には、大きな銀色の狼が住むと言う。

 その銀色の狼は“銀の森”のぬしなんだと。


 銀色の狼なんて俺は見たことがない。

 北方には珍しい色の狼が住むもんだと思っていたが、目の前に現れたそいつを見て俺はまず「こいつが噂のぬしか」と思った。

 だけど。


「……銀色……ではないな」


 大きな狼の体毛は噂に聞く輝く銀の色ではなく、もう少し暗い、銀灰色をしている。

 そしてこいつは、魔物だ。


 ……いや、魔物じゃないのか?

 なんだか良く分からない気配だ。少なくとも、今まで遭った魔物とは違う。


 だが、魔物の気配がするなら倒す。

 俺は聖剣を抜いた。

 すると狼は目を細め、なんだか楽しそうな様子で口を開いた。


『珍しい気配がしたので出迎えてみたが、なるほど。それが聖剣というものか。初めて見るな』

「そうか。俺も喋る魔物に遭うのは初めてだな」


 くくく、と狼は忍び笑いを漏らした。


『なかなか面白いことを言う。わしは精霊だ。精霊ならば会話も可能だろう?』

「残念ながら俺は精霊を見たことがないんでね。だけど魔物なら嫌ってほど見てきた。――おとぎ話まで持ち出して騙そうとしても無駄だ。お前の気配は隠しようがないぞ、魔物」

『ほう。では儂も問おうか。そなたは何者だ』

「時間稼ぎの問答のつもりか? まあいい。乗ってやるよ。俺は人間だ」


 俺が聖剣を構えたままそう答えると、狼は豪快に笑った。


『そなたはやはり面白いな! それだけ魔物の気配をさせておるくせに、まだ自分を人間と言うか?』

「なに?」

『髪が黒いぞ、己では確認せぬのか?』


 そんな馬鹿な。

 俺は慌てて結んだ髪を見る。手に取ったその色は。


「……黒……」


 どんなに目を凝らしても、髪の色は黒だった。

 確かに髪が黒っぽい気はしていた。

 しかし北は曇り空が多く、俺は森の影に居ることが多かった。そのせいだと思っていたのだが……。


『気づいてなかったか』

「……なんで」

『この地の人間が住む場所には守りの力がある。瘴穴しょうけつは弾かれる。しかしほかの守りの力は、残念ながら人間の住む場所ほど強くはないのだ。聖剣の持ち主よ、この地でそなたが寝起きをしていた場所はどこだ?』

「森……」

『ならば瘴穴から吹き出す瘴気にあてられたのだろう。儂と同じよ』

「そんなはずは」


 ない、と言いかけて俺は口ごもった。


 確かに北方に来て最初のうち一度だけ、森の中で魔物を見かけた。その森の中にはとても心地よい場所があって、俺はしばらくそこで寝起きしていた。


「……なるほどな」


 口から出た声は、我ながら冷静だった。

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