37話 古の聖窟

 古の聖窟の中はしんとしていた。石造りの扉は確かに厚みもあったけれど、外にあれだけの一団がいるのに何の音も聞こえないのは不思議だ、と思いながらローゼは顔を前に向ける。整えられた白い石の道は奥へ続き、白い石で出来た壁はぼんやりと発光している。歩きやすそうだし、ランタンを点ける必要もなさそうだ。


「よっと」


 掛け声をかけて荷物を背負いなおし、ローゼは奥へ向かって進み始める。白い石の道は歩きやすかったし、ローゼ自身も歩くのに慣れているつもりではあったが、さすがに荷物が重いので道行きはなかなか捗らない。そのせいだろうか、道は妙に遠く感じる。夕刻から歩き始めたはずなのに外ではもう夜も更けてきた頃になってるはずだ。


(これは神様があたしに、帰れって言ってる……とか)


 そんなことすら思って汗をぬぐったとき、正面から眩い光が差してきた。


(……あら?)


 ローゼが足を踏み入れたのはグラス村の礼拝堂とさほど変わらない広さの空間だ。光源はないのに昼間かと思うような明るさに満ちており、もちろん床も壁も天井も白い石で出来ている。

 奥の壁際には壇があり、十段のきざはしが上へ導く。壇上には人と変わらない大きさをした十柱の神々の像が、やはり白い石でかたどられて立っていた。


(もしもまだ先に道が続いてたらちょっと困るなあ)


 そう考えたローゼが壇の下まで進んだ途端、上に眩い光が現れた。光は像の中のひとつ、中央左側のティファレト神から発せられている。

 いや、それはもう像ではなかった。長い白の髪は風もないのにふわふわと揺れており、長い衣はどう見ても柔らかそうな布だ。そして切れ長の青い目はしっかりとローゼを見つめている。

 ティファレト神はおそらくローゼが今まで会った誰よりも、それこそフェリシアやアーヴィンよりも整った顔立ちのように思えるのだが、残念ながら放たれる光が眩しすぎて容姿の細かい部分は良く見えなかった。


『私はティファレトです、ローゼ・ファラー』


 天上の楽の音とはこういう声だろう。そのように思えるほど麗しい声で呼ばれ、神の奇跡に呆然としていたローゼはようやく我に返った。慌てて荷物を横に置き、その場に膝をつくと、神はさらに告げる。


其方そなたに聖剣を授けます』


 壇上のティファレトが何かを差し出すように両手をローゼに向けると、階段の下――ローゼの目の前に、一振の剣が現れた。いつか夢の中で見たのと同じ剣。


 柄頭には楕円形をした透明の石がはめられている。中で黄金の光が瞬いている不思議な石だ。

 黄金の握りはあっさりとした模様だが、続く黄金のつばは左右に広げた翼を模していて、見る者にとても優美な印象を与える。凪いだ湖面を思わせる刃の長さはローゼの片腕より少し長いくらいか。そっと持ってみると嘘のように軽かった。これなら片手でも十分扱える。


「これが、聖剣……」


 あまりの神々しさにため息が出る反面、聖剣の隣に置かれていた鞘にローゼは困惑する。素材は飾り気のない黒い革、ずいぶん使い込んだものなのか、ところどころに傷がある。あまりに不釣り合いな双方を見比べていると、女神が告げた。


『鞘は人の手でこしらえるが良いでしょう』

「ありがとう、ございます」


 聖剣を再び床に置き、ローゼは思い切って口にしてみる。


「この聖剣はどういったものなのですか? そして私はなぜ、聖剣の主として選ばれたのでしょうか?」


 女神は淡々と答えをくれた。



* * *



 その昔、闇の王は人間たちに対して魔物を送り込んだ。

 神々は対抗手段として人間に神聖術を与えた。聖句を通じて神の力を使えるようにしたのだ。

 しかし力を振るう魔物に対抗するにはそれだけでは足りないように思われた。

 協議した神々は力の一端を剣に変え、地上へ下すことにした。


 しかしあまりにも強すぎる力は人の世を狂わせるかもしれない。

 故に神々は各々が一振ずつ、十柱で十振の剣を作って人に与えた。


 剣が持つものは純粋な神の力、人が持つには強すぎる力。

 この力を完全に制御できるよう、悪用されぬよう。聖剣には主を決め、その主以外には使用できぬようにした。

 主に不意の出来事があったり、戦いの継続が困難だと判断した場合には、新たな主をいただくようにもした。


 しかしこのやり方には欠陥があった。

 次の聖剣の主となる者は、最初に聖剣を手にした者の子孫であることが絶対だった。

 これは初めに主となった人間の血と聖剣を結び付けてしまったことに由来する。


 力を維持するために血は絶対だが、血の素養が次に続くとは限らない。

 時が経つ中で最初の主の血は薄れ、少しずつ変容してゆく。

 ならばどうするか。


「もう一振だけ与えよう」


 偉大なる主神ウォルスの決定により十一振目の剣が作られた。

 前回の失敗を踏まえ、血との結び付けは行わない。神々が選んだ魂と結び付けることにすればよい。


 これならば血の影響は受けずにすむ。



* * *



『神の力は魔物だけを退ける力。人を殺めることなき神の力。我々は魂を選び、十一振目の剣と結びつけ、人の世に下ろしたのです』


 もしも主の魂が天に召されても、神が次の魂を選んで剣と結びつければ良い。

 そうすれば十一振目の剣は、常に人の世でその力をふるうことが出来るだろう。


『しかし十一振目の剣は、人を殺めました』


 ローゼは目を瞬かせた。

 つい今しがた、聖剣は人を殺せないと言わなかったか?


「どうしてですか?」


 ローゼが問い返したとき、


【ろーぜ きた】

「ふぇっ?」


 急に低い声が話に割ってきたのでローゼは頓狂な声をあげた。しかしあたりを見回しても誰もいない。


『既に剣は人に与えられました』

【けん ひと】


『天の力しかなかったときとは違い、人の手が、地上の力が、加わったのです』

【かみ ちがう】


『地上に神の力は及ぶとも、神のことわりは届かぬのでしょう』

【ちじょう いく】


『そう判断した我々は剣を人に返すべきだと判断しましたが、幾度試みようと剣に魂が結び付けられません』

【えらぶ いや】


『しかし其方を選定した際、ようやく剣が反応したのです』

【ろーぜ いい】


(待って。二か所から声が聞こえて混乱してるから待って!)


『十一振目の剣を頼みました、ローゼ』

「あ、ちょっ――!」


 眩い光が消えてティファレトは像の姿に戻る。

 後には片手を伸ばして固まるローゼと、一振の剣とが残された。

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